第65話
「…う、ぇ…っ…」
吐き気を催した玲奈は、懐かしい日々から醒める。ぼんやりとした頭で気を失う前のことを思い出そうにも、覚えていることは眩しかったこと、地面が大きく揺れたこと、爆風に吹き飛ばされたところまで。未だに脳を揺さぶられるような衝撃が残っており、気持ち悪さを感じながら目を開ける。
目の前に苦悶の表情で目をつぶる頼人の横顔が見えた。
「頼人…?」
玲奈の掠れた呼び声に、頼人の頭がぐるりと動く。
「っひ…」
嫌な予感はしていた。玲奈は起きた時から、ずっと…漠然とした不安を感じていた。
それは今、現実となる。
頼人の顔半分は猪に変質し、喉に当たる部分から足先まで、所々の肉が溶け落ちていた。人の形を保っているが、骨が出ている箇所からは青々とした葉を携えた木の根が伸び、木が巻きつく腕は凶器と化している。
その姿は、正に…怪異そのものだった。
頼人が…怪異になっている。
その事実を目の当たりにした玲奈が目を見開いた時には、振り上げられた頼人の腕が玲奈の頭上へと迫っていた。木の根が幾重にも巻きついた腕は、巨大なミートハンマーと大差ない。
「ぁ、あ…よ、りと」
「危ない!」
茂みから飛び出してきた由良に抱きつかれた玲奈は一緒になって地面を転がる。遅れて、二人の背後から地響きのような重低音が響いた。
「いま、わたしのこと…」
ぼやける視界、喉が勝手に締まって震える声を上げながら玲奈は頼人を見上げた。そして、縋るように、あるいは詰め寄るように由良を押し退けて、頼人の元へ向かっていく。
「危ないから!」
同じく隠れていた和泉も茂みから飛び出して、由良と玲奈の腕を引っ張る。邪魔をするなと言いたげに玲奈は藻掻いたが、由良にも腕を掴まれ、半ば引きずられるようにして、近くの洞穴へ滑り込んだ。
「よ、頼人が! は、『離しっ」
和泉はうんうんと頷きながら、言霊を紡ごうとする玲奈の口を手で塞ぐ。獣のような息遣いと匂いを嗅ぐ音が、すぐそこまで迫っていたからだ。和泉と由良は玲奈を抑えながら、洞穴の奥へと身を寄せた。
「やっぱり、バレてる…」
和泉は外の様子を眺めながら小声で呟く。潜らなければ入れない小さな洞穴の口、頼人が無理に入ってくる様子はない。ただ、相手が自ら出てくるのを待つかのように周囲をウロウロと彷徨っていた。
「落ち着いて」
由良の言葉に玲奈は黙って、和泉たちの腕に爪を立てる。
「頼人さんについて話したいの。一旦、言霊を使うのもやめて」
頼人について…玲奈は口をへの字にしながらも頷いて爪を立てるのを止めた。その様子に和泉は胸を撫で下ろして玲奈の口から手を離す。
『動くな』
「あっ」
お願いを聞く気など毛頭なかった玲奈は自由になるなり、言霊を発すると二人の動きを止めた。
「ずっるい!」
「うるさい! なんで、頼人が化け物になってんの?」
あの時、この二人に邪魔されて、頼人に気を回せなかった。神社の奥でも何かあって、私が気を失っている間に…気づけば、こんなことになっていた。
『喋って』
玲奈は動けない和泉を背もたれ代わりに、見つめてくる由良を問い詰める。玲奈の問いに二人は目を見合わせた。
「私たちも分からない。私たちが目覚めた時には、もう…。その様子だと、玲奈さんも知らなかったんだ」
和泉も由良も、あの時は言霊を放とうとする玲奈を抑えることで手一杯だった。だが、二人は襲い掛かってきた頼人を間下が取り押さえたところを目撃していた。ナイフを振り回す頼人の姿は恐ろしかったが、少なくとも人間だった。しかし、あの衝撃に巻き込まれて目を覚ました時には、頼人は怪異へと姿を変えていた。
「…まさか、あの女…」
玲奈の憤りを感じた二人は「?」と様子を伺うように視線を漂わせる。
「なんでもない」
「…言霊なら、届くかも」
目を伏せたまま呟く和泉の言葉に、玲奈は力強く睨みつけた。
「私の言霊で! 殺せって言うの!」
「違います、違います! 言霊は酷いことするためだけのものじゃないハズです」
怒りのままに『死ね』と言いそうになった玲奈は、和泉の言葉に「はぁ?」と首を傾げる。何を言いたいのか、分からなかったからだ。
言霊は自分の感情の強さ、相手の霊感、言葉の短さ、指示内容によって、相手を眠らせることも、今のように動きを止めることも、人だって殺すことも出来る。なのに、酷いことするためだけのものじゃない…? 言霊を使えないくせに知ったような口…
「酷い言葉だけが叶うワケじゃないでしょ、言霊って」
『頼人、ずっと一緒だよ』
和泉をどう罵ろうかと思っていた玲奈の脳裏によぎったのは、過去の自分の言葉だった。
「…」
「言霊なら、会話…できるんじゃないかな?」
「そんなの」
やったことない。
「…ちょっと時間、ちょうだい」
玲奈は言霊で身動きできない二人を置いて、洞穴の入り口近くに移動する。後ろから「危ないよ」と心配する二人の声が聞こえてきた。すぐ近くで怪異と化した頼人が闊歩しているからだ。
「頼人、ずっと一緒だよ」
子供の頃から流れ星に願い続けた言葉を反芻しながら、玲奈は膝を折って座り込み、顔を伏せると目をつぶった。




