第63話
「ちっ」
頼人は言霊の処理に集中している庵を刺そうとしたが、その度に竹刀で弾かれていた。庵さえ動けなくなれば、言霊を処理できず、奴らは床に突っ伏する。玲奈と二人がかりであれば、余裕だと頼人は高を括っていた。だが、すぐにまともに相手をしてはいけない男だと分かってしまった。
純粋に勝ち筋が見えなかったのだ、奇襲ならまだしも真正面から挑む相手ではなかった。
頼人は縦横無尽に駆け、かすりもしない無意味な突き攻撃を繰り出す中で、玉得を見据える志貴が目に入った。
この男も松木家の人間だが、庵と違って隙がある。なにより、玉得を酷く傷つけた。頼人は標的を庵から志貴に変えると腰を低くして忍び寄る。そして、斜め下から首筋に食らいつくように志貴へとナイフを突き出した。
だが、その凶刃が志貴に届くことはない。
「やっと、来たか」
頼人の動向を見ていた間下が、その手を床に叩きつけたからだ。まるで、犯人がボロを出すのを待っていたかのように間下は口角を上げる。
「ま、間下」
「行け」
躊躇した志貴だったが、間下に発破をかけられ、後ろ髪を引かれる思いで前を向く。庵は作戦に従い、頼人と間下の取っ組み合いには目もくれず、言霊を薙ぎ払って玲奈へと距離を詰めていた。
「っ、おい!」
頼人は足を速めた庵を追いかけようとするが、間下に腕を抑え込まれ、ナイフを取り零す。痛みに呻きながら頼人は負けじと拳を振るったが、間下は目で拳を追いながら半歩ほど後ろに下がって避けた。力を込めた一撃が空を切った隙を狙って、間下は素早く頼人の懐に踏み込むと、容赦のないアッパーカットをいれた。低い唸り声をあげる頼人の腕を掴み上げて、最後は床へと押し倒して取り押さえる。
たとえ、荒事に慣れていようと一般人は一般人、刃物さえなければ、警察官との一騎打ちなど、結果が目に見えていた。
「頼人! お前、『死っ」
庵の突進を避けた玲奈の目に組み敷かれた頼人が映り、次には感情のままに間下へ死の言霊を放とうとした瞬間、庵の背後から伸びてきた手に口を塞がれる。
「ダメ!」
庵の後ろを走っていた和泉の手が玲奈の口を押さえつけたのだ。言霊を生み出す口を塞がれた玲奈は狼狽え、その腕を掴んで引き剥がそうとした。
『伏せっ
「ダメだってば!」
由良も庵の後ろから飛び出して玲奈の腕を掴むように抱きつく。二人がかりで玲奈にしがみついた結果、バランスを崩した三人はゴロゴロと床を転がった。
「多勢に無勢ですね。ですが、ここまでとは驚きました」
撫でていた猪の頭を磯城に鎮座した玉得は、ゆらりと二人の前に歩み出て微笑みかける。庵は黙って竹刀を構え直し、志貴はじっと玉得を見つめた。
「どうか、恐れないで」
「何故、そこまで魑魅を信じられる」
まるで、怯えた人間を諭すように語りかける玉得に、志貴は対話しようと疑問を投げかけた。玉得は微笑み、遠い昔を回顧するかのように目をつむると、胸に手を当てた。
「元々、私は天災封神祭の生贄の一人でした。とても恐ろしかったこと、今でも覚えています。…ですが、贄の間に向かう途中、私以外の人間が生命力を吸われたかのように命を落としました。そう、魑魅様が悪しき魂を滅し、私を助けて下さったのです」
「…魑魅は近くにいる生命を無差別に吸収し、封印を解こうとしているだけだ」
酷なことを言っていると、志貴は分かっていた。だが、魑魅は善悪による魂の選別をしていない。そもそも、神霊に匹敵する怪異を利用した統治なんて、上手くいくはずがない。
「お黙り下さい、松木忠輔様」
玉得は穏やかな笑みを浮かべたまま、志貴へと手を伸ばす。あまりにも自然な接近に思考の隙を突かれた志貴は腕を掴まれていた。玉得は表情一つ変えず、懐に隠し持っていたナイフを振り上げた。
「松木家の方は魑魅様を知ろうとしていない。あのお方の神意を!」
カッと目を開き、玉得は声を荒げた。ナイフが振り下ろされるよりも早く、その手を抑えた志貴が声を上げる。
「あなたが助かったのは偶然だ…!」
「必然です! 魑魅様が導いたのです! 罪深き松木家こそ魑魅様の選別を邪魔する害虫の一族、魑魅様の御力を今もなお内側から葉虫が如く食らい、魑魅様の導きを惑わせる」
玉得は忌々しげに志貴の腕に刻まれた火傷へと爪を立てる。
玉得の剣幕に気圧されながらも、志貴は説得を試みていた。だが、話し合いで大人しくなってくれるような相手ではない。魑魅の封印が解けかけている今、人間同士で争っている場合ではない。天災封神祭以外の封印方法を協力して探さなければならないのに…。
とにかく、庵と二人がかりで、どうにか押さえ………
そこで、ふと志貴は玉得から周囲へと視線を遣る。
少し離れた位置にいたはずの庵が、磯城へと足を進めていた。
「…何を」
「無駄ですよ。本家の血筋でない人間に、天災封神祭は不可能ですので」
玉得は庵が魑魅の元に向かっているのは知っていた。だが、松木家であっても本家の血筋でなければ、何の意味もない。故に、玉得は松木忠輔を、志貴を押さえつけ、その命を奪おうとした。腐っても本家の血筋、利用価値はあったが、邪魔をするならば始末する他ない。
既に松木忠文を唆し、魑魅を制御する場を玉得は整えていた。完全な封印は出来ないが、要さえ押さえていれば、本家の血筋でなくとも魑魅の顕現を防ぐことはできる。後は、定期的に贄を捧げて楔を打ち直し、魑魅様が魂の選別だけに集中できるようにすればいい。
「考えがあるのか!」
志貴の問いに、庵は僅かに振り返った。その目、その表情はいつもと変わらない。
「……もとより、俺は魑魅を封じようとは思っていない」
「……庵?」
その声に、志貴も、玉得も異変を感じ取った。
「お待ちなさい。何をするつもりですか」
玉得の全身が警鐘を鳴らした、あの男を放ってはならないと。先程まで感じていなかった焦燥感から志貴を押し退け、庵の元へと駆けだす。その後に続いて、志貴も駆けだした。ゾワゾワと背筋に悪寒を感じながら、磯城へと足を踏み入れる庵の背を見る。
「封印の度、このような事件が起こる。ならば…」
庵は誰にも邪魔されることなく、神籬の前へと辿り着いた。志貴の言っていた通り、磯城には、魑魅が封じられた猪の頭が大仰に祀られていた。庵は目の前に置かれた猪の頭を見下ろすと、躊躇なく竹刀を振り上げる。
「おやめなさい!」
「―――封印を解く」
「待て! 庵!」
空気を切る音と共に、竹刀は砕け散った。
猪の頭は血を噴き出し、内臓物をまき散らしながら磯城を跳ねて転がる。猪の頭が地面を跳ねるたび、大地は大きく揺れ、地響きと共に辺りが光に包まれた。




