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袖振りて 縁結ばれし 宵の月  作者: 水城


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第62話


あとすこし、あとすこし――

 女は祈る、猪頭を愛で奉りながら。

選別を、選別を。

 悪しき魂に死を、善き魂に永らえを。

山川の結界に抱かれしすだま神社、異界にあってなお荘厳、

 女は祈りを重ねる、畏くも美しき神域にて

お導きください、お導きください――

 清き魂の流れ、神の都に充ち溢れむことを。


 巫女は磯城の神籬へと祈りを捧げる、それこそ、死の呪いを吐き出す根源である。


 その背後には、玲奈と頼人が座っており、深々と頭を下げていた。

「あと少し…あとすこし…。ですので、邪魔をしないでいただけますか」

 そう言いながら、巫女が…玉得綾子が振り返ると、境内へと足を踏み入れる志貴たちが目に映った。玲奈と頼人も遅れて招かれざる客の訪問を察知して立ち上がると、志貴たちを警戒しながら即座に身構えた。

「ようこそ、すだま神社へ」

 巫女装束を身に纏う玉得は猪の頭を愛でるように撫でながら出迎えた。その笑みは浦江洲大学で会った時と一切の変わりなく、相対する志貴たちを慈しむような眼差しだった。

「その目、全てを思い出されたようですね」

 玉得が狐のように目を細めて微笑みかけると、志貴は顔を曇らせた。

「あなたは全てを覚えていたうえで…」

 欺いたのか。

 自分の手で潔子を殺し、その兄に対して何食わぬ顔で接してきたというのか。

 その言葉を口にする前に、玉得は堪えきれないとばかりに肩を震わせ、口に手を当てた。

「あっは、うふふふ、えぇ、えぇ、私は全てを知っておりました」

 その笑みは天女のようでありながら、魔が混ざり込んでいた。

「…何故、このようなことを?」

 松木忠文を破滅の道へと唆し、潔子を刺し殺してまで、何をするつもりなのか、その真意が志貴には分からなかった。

「魑魅様…いえ、皆様には天災様と言った方が伝わりますか」

「魑魅、だと」

 魑魅…古来より人を害する存在として恐れられてきた。

 それは、山川の淀みから生ずる鬼であり、魑魅魍魎の名を冠する山河総ての怪異。

 それは、山川の気から生ずる精霊であり、山に住まう無数の神の総称…山川を司る神。

 いくつもの獣の属性を併せ持った人面の怪物とされているが、一様に共通するのは人を害する「邪視」を宿していることだ。悪意を帯びた視線一つで人の魂を呪い、狂気と死に晒す。人と共に在ることは決して出来ぬ、人と交われば、残るは魑魅のみ。

「えぇ、松木家の皆様は名を呼ぶことを恐れて、天災様と呼んでいますが、正しくは「魑魅様」でございます。現在は、彼の御方に魂の選別をしていただいているんですよ」

「…何を、何を言ってる」

「玉石混交とは、よく言ったもので…世には、善き魂と悪しき魂が入り混じるように存在しています。その善き魂も時の経過と共に穢され、数を減らしてゆく。罪に対しても、司法が全て正しい判決と罰を言い渡せるとは限りませぬ、人間ですもの。ですが、上位存在…魑魅様であれば、悪しき魂に死をもたらし、善き魂を救うことができるのです」

「あなたは、魑魅の封印を解くつもりなのか」

「あはっ、ふふっ、封印は解きませぬ。魑魅様、その御身を晒せば、全てが息絶えるでしょう。ですが、現在の制御された状態であれば、魂の選別に集中していただける。この状況を維持するためにも、天災封神祭を決行させるわけにはいきませんでした」

 詫びるかのような視線の正体に気づき、志貴は顔を歪めた。

「そのために、そのために…潔子を殺したのか」

「彼女は天災封神祭を行える当主、松木家本家の人間でした…それに、私の考えにも賛同していただけませんでしたから、致し方がなく…。「尊き犠牲」というものですね。その点で言えば、忠文様は素直なお方で、私のお願いに頷いて良く働いてくださいました、ふふふっ。あなたはどういたしますか、松木忠輔様」

「魑魅はあなたの思う神かもしれない。だが、同時に恐ろしい怪異でもある。あなたの言う「魂の選別」は、魑魅が自らに課せられた封印を解くために、辺りの魂を無差別に取り込んでいるだけに過ぎない。今の状況は極めて危険だ。あなたもいつ取り込まれるか分からない。…だからといって、封印をするために犠牲を出したいわけじゃない。天災封神祭とは別のやり方で、封印する方法を探している。だから―――」

 志貴とも、松木忠輔とも、判別つかぬ顔で真っ直ぐ見つめられた玉得は少しばかり目を丸くしていた。

 松木忠輔、本家の出来損ない、資産を食うばかりの引きこもりと聞いていた。実際に行動を共にした時も、凛とした妹の後ろに隠れ、一言、二言しか喋らない兄…そのような男が、記憶が戻ったばかりだと言うのに、妙に落ち着いている。玉得の見立てでは、松木家の業の深さを知ったうえで自分の正体を知れば、罪の恐ろしさに震え、どこかに引きこもるか。あるいは、頼りの妹を探して、ここまで来たところで、救済する(心を折る)つもりだった。

 たとえ、調べれば分かる嘘であったとしても、妹を殺したのはあなたですよ…と囁けば、松木忠輔は壊れる。その割れた心を絡めとって、松木忠文のように傀儡にする甘言も、隙を突いて命を奪うことも出来た。だが、どうやら松木忠輔と言う男を低く見積もり過ぎていたらしい。

 いくら言の葉を紡いでも、怒り狂って向かってくるわけでもなく、膝を折って泣くわけでもなく、かと言って、依存先を求めるわけでもなく、ただ憐れむような視線を向ける志貴に玉得は薄っすら神経を逆撫でされた。

「綾子さんを守れ」

 玉得の困り眉に反応した頼人はナイフを構えると、口早に玲奈へと命令する。

「…はーい。『伏せろ!』」

 玲奈は仕方がないなぁといった表情で言霊を発した。

 ガム風船を膨らませるように、玲奈の口から言霊が膨らみ溢れ、志貴達へと黒い球体が向かっていく。だが、庵は顔色一つ変えることなく、使い慣れた竹刀を構えると、次には踏み込んだ勢いで瞬時に前方へと突き進んでいた。

 言霊を薙ぎ払いながら、槍で貫くかのようにして道を作る庵の様子に玲奈は口をいっーと歪ませる。

 嫌な予感が当たっていたからだ。

 あの時、言霊を破壊されたのは偶然だと思っていたが、目の前の庵達には言霊が見えている、目の動きで分かったのだ。庵秀一に至っては、祓う力も兼ね備えていた。

「なんで、当たんないの!」

 玲奈は後退しながら、何度も『伏せろ、伏せろ、伏せろ』と言霊を放つ。

 たとえ、見えていても言霊が当たれば、勝ちなのだ。聞けば(当たれば)、呪いが発動して動けなくなる、どんなに強い奴でも。前に『眠れ』と言霊を放って、この男を眠らせることが出来た。当たりさえすれば効く、ちょっとでも当たればいいのに、シャボン玉のように不規則に動く言霊を目の前の男は悉く切り捨てる。

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