第59話
「どういうおつもりですか」
「…ん?」
「お兄様を操って私を殺そうとするなんて…気でも触れましたか」
手に力を込める、首を絞めるために。…あれは、松木忠文の仕業だったのか。
俺は何にも気づかず、意のままに操られて潔子の首に手を伸ばしたのか。
「冷酷な女だ。実の兄を呪い殺すとは」
「…当主になるための試練だった。で、済む問題ではありませんよ」
「何を言っている。私はこれからも当主だ。君が当主になるなど認められない」
「まさか、そのようなことのために、このような暴挙を…?」
潔子は姿勢を崩さず、僅かに眉をひそめた。
「やはり、小細工では駄目か……『ひれ伏せ』」
『あなたが頭を垂れなさい』
潔子に命令を下した松木忠文は膝を地に着け、頭を深々と下げた。
「な、に…」
「私は松木家当主に選ばれた者。与えられた任と責を背負う者」
「っ…ぐ」
「誰が私の才を見いだし、当主に任命したかお忘れですか。―――あなたです」
「…私は」
「忠文様。一体、誰に唆されて、このよっ…」
突然、潔子が前のめりに踏み出したかと思うと、そのまま床に倒れ込んだ。その背にはナイフが深々と突き刺さっており、志貴は即座に妹の背後へと目を遣った。
「聞いてはなりません、当主様」
玉得綾子…。
巫女服に返り血を浴びても尚、松木忠文に微笑む玉得が倒れ伏した自分たちの前に立っていた。
「兄さま、し、き…磯城に、行って………」
自分に手を伸ばす潔子に志貴は応えようとしたが、この体では言葉一つかけられなかった。
…玉得綾子。
彼女は松木忠文が協力者として呼んでいた女性だ。松木家以外の人間を天災封神祭に組み込むのは異例だったが、天災様を封印する神社で巫女をしている玉得の協力が必要だと松木忠文が説いて、行動を暫く共にしていた。
「本家の長男である松木忠輔様は妹様のご乱心により呪殺され、次期当主候補の潔子様は今、死にました。あなたこそ、当主にふさわしい」
玉得は優しく朗らかな態度が消えた美貌で、今は妖艶に微笑み、松木忠文を唆している。
「ふ、はっ、あはっはっははは。そうだ、私こそが一族を仕切る当主にふさわしい」
「えぇ、えぇ、あなたしかおりませぬ。潔子様は霊感があるでしょう。一族に芽吹いた光…それを捧げれば、数年前のようなミスは起こりませぬ。まさに、尊き犠牲となるでしょう」
そう言って、玉得が扉に視線を遣ると、待機していたであろう玲奈と頼人が現れた。
この二人、玉得綾子の仲間だったのか。
「そうだな。潔子は優れていたが、あの方に名を頂いていない以上、当主の器ではなかった」
何を言っている。
潔子が当主にふさわしいと任命したのは、あなたじゃないか。それに、怪異に変質している事に気づいていないのか。何故、玉得綾子も松木忠文の姿を受け入れている。
「ほんと、馬鹿だよね」
「裸の王様ってやつだな」
隠れて松木忠文を嘲笑う、この二人も何者なんだ。
玲奈は言霊を操り、頼人は人にナイフを向けることに慣れていた。玉得に付き従っているようだが、ただ事件に巻き込まれて異界に連れて来られた被害者というわけではないだろう。
潔子が玉得たちに連れていかれる…
天災封神祭の贄にするつもりだ。止めたいのに身体は言うことを聞かない、分かっている、これは過去の追体験だ。今の俺は感じることしかできない。俺は松木忠文と潔子の相反する力を強く受け、気絶し……記憶を失った。そして、潔子だけが利用価値を見出され、俺は捨て置かれた。あの二人にとって、俺は松木家の恥部と言われるほどの出来損ない。生きていようが死んでいようが、どちらでもよかったのだろう。
この後、俺は朦朧としながら立ち上がって…
「し、き…っ…に…」
薄れゆく記憶の中で、妹の、潔子の言葉を頼りに歩き始めたんだ。
「志貴」
気がつけば、間下が隣にいた。だが、目の前が滲み、その顔は良く見えない。
「アンタは妹を殺してなかった、分かったか」
言って聞かせるような間下の言葉に静かに頷く。もし、真実から目を背けていたら、潔子の身に起こったことを知ることもなく、その想いを踏みにじるような選択をしていたかもしれなかった。
「ありがとうな、間下。でも、俺は…責任を取るよ」
間下は短く息を吐く。眉間には皺が刻まれ、ほんの僅かに視線が鋭くなった。
「俺がしっかりしていれば……せめて、刺される前に守ってやれれば、潔子は生きていたかもしれない」
「妹のことで責任を感じているなら、代わりに妹の遺志を継いでやれ」
そう言って、間下が繋いだままだった手を引っ張ると、志貴は困ったように微笑みながら、よろよろと立ち上がる。
「全く、アンタのせいで寝そびれた。もうそろそろ集合時間だろ」
事件はまだ何も解決していない。だが、緊張の糸が切れる音がした。先程まで、胸を締め付けていた何かが、少しだけ緩んだように思う。志貴は再び、それをぴんっと張らせて前へと踏み出した。




