第57話
一方、庵達は個室に向かわず、広間のソファに固まっていた。移動が億劫だったこと、個室だと逃げ道がないこと、そして、和泉への心配もあって残っていた。
庵は目を細めて、ここに来るまでのことを思い出す。
松木忠文、由良に呪いのような言葉を吐いて死んだ男…俯き歩く由良に「気にするな」と声をかけたが、由良は表情を曇らせたまま「私は大丈夫」と答えるばかりだった。それに、遺体を背負ったのは、初めてだった。冷たく脱力した人間は人型の肉塊のようで、外傷のない綺麗な見た目でも死んでいると理解させられた。運んでいる間、和泉は泣いており、由良の手を強く握りしめていた。そして、この屋敷に着き、まるで眠っているかのような大威清佳をソファへ寝かせると和泉は膝を崩して、亡き姉に縋りついた。
志貴が消えていった方向に庵は目を遣る。
『庵たちも好きに休んでくれ。ここは…安全だと思う』
そう言って、早々に奥へ向かっていた二人のことも引っかかっていた。突然、倒れた間下の容態も気がかりだったが、冷静に振る舞っていた志貴の様子も別の意味で不安定さを感じた。
その男が安全だと言った、この屋敷を信用していいのか…
「お兄ちゃん! 大丈夫?」
呼び声に反応して庵は由良へと視線を遣る。由良は庵の腕に巻かれた包帯を見ており、次に庵の顔色を見るように覗き込んだ。
「あぁ、平気だ。大したことはなかった」
「絶対! 嘘! お兄ちゃんが包帯を巻いてるところ、初めて見たよ! それに良くなってるけど、ひどい顔色……」
由良は村で昏倒してから贄の間で起きるまでのことを知らない。そう、目が覚めたら、兄が酷く傷ついていた。それだけでも驚いたというのに、あのカマキリのような怪異の言葉や壱衛門のことがあって、今はそれどころではないと分かっているのに、それらのことが、ずっと頭の中を巡って離れないのだ。
気づけば、「何ともない」と言う兄を問い詰めていた。
「怪異から走り回って逃げていたからな、疲れもする。…少し休もう、由良も」
「いつもだったら、その程度の怪我でも素振りしてるでしょ! お兄ちゃんは座ってて、水とか手当に使えそうなものを持ってくる!」
「こら、由良…」
「いいから! 何かあったら、すぐ呼ぶって」
由良に言い負かされた庵は、その背を見送りつつ、先ほどから感じていた視線の主…和泉へと目を向けた。
「お兄さん想いの妹さんなんですね」
「…顔に出ていたか」
「え? あぁ、うーん、あんなに弱っていたって、分かってないと思いますよ」
一時は呪いに侵され、マトモに立つことすら出来なかった庵のことを和泉は思い出す。
今は回復してるみたいだけど、壱衛門さんが治療をしてくれなかったら、呪いの後遺症が残っていたかも。でも、治療していたとはいえ、渾身の力で怪異の頭を床に叩きつけて倒しちゃうなんて、スゴすぎ。壱衛門さんが真っ正面から戦いたがらない理由が分かった気がする…。まぁ、呪いを放っていた元凶…松木忠文を倒してから、少しずつ本調子に戻ってきてるみたいで、よかった。
「…そうか。あまり、由良を心配させたくなかった」
松木忠文が死に際に放った言葉…
『庵、由良ぁあ゛あ゛! 貴様だ、貴様のせいで、この村は犠牲になった』
『あの日、貴様の父親は我らとの契りを破り、貴様とそこの坊主を連れて、この儀式から逃げたのだ! 贄が足りず! 我らは、この村を犠牲に「天災」を封印する他なかった! 庵由良、貴様さえ犠牲になっていれば、この村の者は死なずに済んだのだ! 全ては貴様が逃げたせいだ!』
由良を犠牲にすれば、あの村の住人たちを殺さずに済んだ。たとえ、そうだったとしても由良は悪くない、怪異と化した松木忠文の言葉など気にするな。と由良を慰めたが、あまり効果は無かった。
「…心の傷は、すぐには回復しないものだ。兄としては、これ以上の負担をかけたくはなかったのだが、由良にはお見通しだったらしい」
「…分かんないな」
和泉の言葉に庵が首を傾げれば、和泉はハッとして言葉を続ける。
「今のは、壱衛門さんに対してです! どうして、あんなに庵さん達に冷たいんだろうって、あの松木忠文って人と全然違うのに…」
松木家は壱衛門さんの故郷を燃やして、お母さんも連れ去った。…私の姉さんも松木家に殺された。でも、松木家の血を引いている庵さん達は、姉さんの仇を取ってくれて、危険を承知で壱衛門さんも助けてくれた。だから、あんなに松木家を恨んでいた壱衛門さんも、あの時ばかりは満身創痍の庵さん達を見逃してくれた。だけど、「…今は見逃してやる。次、この村に来れば、命はないと思え」と脅していた。庵さん達が他の松木家の人とは違うかもしれないと分かっていても、すぐに切り替えられるほど、簡単なことじゃないのかな…。
「松木家の血を引く者全員に敵意を剥き出しにしているように感じるが…」
「それはそう、なんですけど…うーん…」
和泉が何とも言えない感情を言葉に出来ずに唸っていると、庵が足を組み直し「俺から質問してもいいか」と和泉に体を向けた。
「どうぞ、どうぞ」
「壱衛門について教えてほしい」
今まで遠目や戦闘中でしか壱衛門を見てこなかったが、今回行動を共にして分かったことがある。
玉得綾子の言っていた通り、壱衛門は異界の瘴気にあてられた狂人にも見えるが、戦略を考える冷静さを持ち合わせていた。そもそも、あの狂気じみた敵意は松木家に村を滅ぼされたことによる強い怒りが由来だった。それゆえ、松木家に無関係な大威和泉には落ち着いた様子を見せていた。どうにも聞かされていた人物像とは違う点が、いくつか見受けられる。
壱衛門自体も手足の細い痩身で、浅黒い肌全体に火傷の跡が痛々しく残っていた。そのような体でしなやかに動き回り、あの黒く淀んだ瞳で敵を正確に射貫く腕前、背負う古びた弓も特徴的だった。
「あの弓は、どこで手に入れたのだろうと思ってな」
庵は火の矢を放つ弓に着目した。壱衛門は矢に火をつけるような動作をしていなかった。矢自体にも、そういった仕掛けが見当たらなかったゆえに、何故、弓を構えて矢を放つだけで矢じりが燃え盛るのか、庵は疑問を覚えていた。
「たしか…村の神社? にあったものと言っていました」
「神社?」
「あの村では、火の神様を祀っていて、弓はその神社の奥にしまわれていたものだったそうです。だからなのか、弓を通して矢を放つと、想いが矢にのって燃え盛るんだと」
「ならば、あの弓には村の神が宿り、壱衛門を守っているのか」
庵の言葉に和泉は「今のは地雷かもしれないです」と、ジト目になった。
「…何故だ?」
「壱衛門さんなら「もし、神が守っているというならば、何故、村の皆を救わなかった? 俺よりも信心深い善人ばかりだったろうに…」的なことを言いそうだから、絶対に言わない方がいいです。特に、松木家の血を引いてる庵さんは」
火の神を信仰している村が焼き討ちに遭い、火によって壱衛門は全てを奪われた。もしも、神様が守ってくれているというならば、あの日の夜にこそ、村の皆を守ってほしかった、か。
「…そうだな。心配りに欠けた発言だった」
「いえいえ、普通、地雷だって分かりませんよ。庵さん、あまり気負わないでください」
「あぁ、心遣い感謝する」




