第56話
「っ…ぅ……ぐっ…」
間下は酷い眠気に抗いながら目を開ける。夕焼けのような常夜灯で照らされた室内は旅館のような出で立ちで、間下は肌触りの良い暖かな布団に包まれて眠っていた。
「間下、よかった。目が覚めたか」
目だけでなく頭まで冴えていくのを感じながら、間下が重怠い身体を起こすと、情けない面をした志貴が視界に入り込む。
「その、え、っと」
「…また、迷惑をかけたようだな」
ぼんやりする頭では考えがまとまらないが、間下は謝罪して首に手を当てるとゴキゴキと音を鳴らす。まだ、混乱しているが、気を失っている間、あの場からここまで運んでくれたことは変わらない事実だ。そのことについて、間下は感謝を述べつつ、志貴の様子を観察していた。
「贄の間には隠された扉があってな。この屋敷に繋がっていたんだ。庵達も別室で休んでいる」
志貴は徐々に力の抜けていく間下を思い出す。間下を支えて、庵が清佳を背負い、由良が和泉の手を引いているのを確認すると妹の行動をなぞって、この屋敷へと辿り着いた。
松木邸。
昔ながらの日本家屋の意匠を残しながらも、所々に現代技術が後付けされている大きな屋敷。天井まで吹き抜けた玄関ホールの中央には、緩やかな弧を描く階段が設けられ、二階の廊下が橋のように渡されている。そこから階下を一望できる造りになっていた。
…妹の姿はどこにも無く、孤独を助長させるように静まり返った、ただ広いだけの屋敷だ。だが、松木家の持ち家の一つだと、すぐに分かった。志貴の記憶では、この広い屋敷に妹と訪れたところで記憶が途絶えている。それゆえ、どういった屋敷かまでは把握していないが、どこか懐かしさにも似た安心感があった。
「ここは瘴気も薄い。天災様を封じているとはいえ、呪いのダメージが蓄積しているんだ。間下は休んでてくれ」
「…おい」
「今回の騒動は松木家が招いたようなものだ。俺が…」
「待て」
身を引こうとした志貴の腕を掴んで引き寄せる。その強い制止に志貴は肩をぴくりとさせて、いつもより早く回る口を閉じた。
「アンタ……記憶が戻ったんだな」
間下は気を失う前の出来事を思い出し、じっと志貴の目を見つめる。松木忠文を激昂させた、あの言葉の数々には重みがあり、その場で思いついたハッタリではないだろうと間下も分かった。何より、松木忠文の言葉からも志貴との面識を感じられた。
「話せ」
打って変わって、口を噤んでしまった志貴に間下は助け舟を出してやった。間下が目を覚ましてから一向に目を合わせなかった志貴は、その言葉に目を泳がせ、やがて無言の圧に観念したかのように口を開く。
「…記憶、戻ったんだ」
志貴は目を伏せ、まるで喉に空気が引っかかるかのような感覚に藻掻きながら言葉を紡ぐ。
「俺の、本当の名前は…松木忠輔だ。松木家現当主 松木潔子の…兄、だ」
志貴は松木忠文の死と同時に…実感した。
自分は…自分の本当の名前は「松木忠輔」だと。
まだ、靄がかかったように記憶があやふやな部分もあるが、少しずつ思い出してきているのは間違いなかった。
「なるほどな。アンタも松木家だったわけか」
「あ、ぁ…」
自分は庵達とは違う。
彼らのように何も知らなかったわけではない。松木家の業を知ったうえで行動していた。
「一つ、いいか」
その言葉に志貴は母音で返事すらも出来ず、間下からの失望を震えて待っていた。
「アンタは、大威清佳についてどう思った」
「…」
その問いに、志貴の心は二つの答えを導き出す。
多くの人を守るために、大威清佳の死は必要のある犠牲だったという諦念。
もう一つは…
「仕方が無かった。だが、他に方法はなかったのか、とも思った」
「…」
「…」
沈黙が続く。
志貴は耐えられず、床を見ていた視線を上げれば、こちらをじっと見つめる間下と目が合った。
「アンタ、志貴のままだな」
先ほどから、独り相撲をしている志貴を間下はずっと観察していた。記憶が戻ったと言うが、様子を見る限り、あの時より志貴の人格に差ほどの変化を感じられない。間下としては、松木忠輔の記憶をもとに松木忠輔のように振る舞おうとして、空回りしているようにしか見えない。つまり、いつもより挙動が不審になっている「志貴」であった。
「そう、だな」
間下の言葉に志貴は頷く。記憶が戻ったとはいえ、未だに自分が松木忠輔本人であるという自覚がなく、まるで赤の他人の記憶が脳に流れ込んできたような感覚であった。記憶を思い返せば、幼少期に見た両親、執事やメイドらしき人たち、そして自慢の妹の顔が浮かぶ。
まだ、曖昧だったり、朧気だったりするが、記憶も思い出もある…だというのに、感情がついてこない。
松木忠輔としての自分の記憶すら、今の自分にとっては過去にあった「記録」としか捉えられなかった。
そう、松木家が犯した罪でさえ、償うべきだと、責任を持つべきだと…思うのに「何故、自分が…」という気持ちが、ずっと拭いきれない。
「記憶が、完全に戻れば、いずれ…元の、俺に……戻るだろう」
間下は「そうか」と呟いて視線を切った。その切れ長の三白眼が下を向いたのを横目に、志貴は少しばかり気が楽になっていた。解決しなくとも、人と話すだけで心はこんなにも楽になるものなのかと思ったのだ。話す前よりも血の気が引く感覚がだいぶ薄れていた。
「間下、まだ具合が悪そうだ。寝た方がいい。そうだな…一時間後くらいに起こすよ」
「…アンタも休め。酷い面だ」
「だが」
「仮眠を取れ。ガキ共も休んでるんだろ?」
青白く血の気の引いた顔をしていた志貴を間下は睨みつける。そんな状態で成し遂げられるほど、今回の事件は軽くない。拒否しようものなら、胸倉を掴んできそうな間下の冷静な説得に従い、志貴は隣のベッドに横たわった。
どうせ眠れやしない。
眼鏡をサイドテーブルに置いて、目をぎゅっと閉じる。力を抜いたせいか、はぁ…とため息にも似た吐息が漏れ出た。身体は疲れているが、目を閉じても妙に冴えており、思考はグルグルと同じところを堂々巡りしている。
抜け落ちている記憶はあるが、自分は松木忠輔なのだ。
あの松木家の血筋だった…。
村での出来事を何度も振り返るたび、胸に澱が溜まっていく気がした。今思えば、間下に言われた「霊能者」というのも、あながち間違いじゃなかった。霊能者の家系に生まれた出来損ない、松木家本家の恥部、何の力も持たない長男……いや、数日前から「過去視」が使えるようになったか。記憶喪失になったショックで、眠っていた霊能力が目覚めたのだろうか、今更になって…。
俺は、松木忠輔だ。
過去視も、身体も、戸籍も、そして、大多数を救うという名目で、尊き犠牲を容認した罪も…




