第54話
「尊き犠牲をよこせ」
血走った目をギョロギョロと動かす松木忠文の言葉を聞きながら、周囲を見れば、潔子の姿はなく間下や庵が身構えていた。
…過去視?
だが、今のは、俺の…
「…どうして、姉さんを殺したんですか」
滲む目で怪異と化した松木忠文を捉え、困惑した声音で和泉が問いかけた。
何故、姉が死ななければならなかったのか。
それは…
「尊き犠牲だ。多くの人間の為に…仕方のないことだ」
「な、にそれ…そんなの、そんなの知らないよ! 返して、姉さんを返して!」
目尻に涙を溜めながら、怒りに満ちた目を和泉は向けた。その視線に松木忠文は静かに嘆息し、不快そうに眉をひそめる。何も知らぬお前に何が分かると、好き好んで犠牲を良しとしているわけでない、この苦悩を「そんなの」と言った小娘に詰め寄ろうとして…松木忠文は固まった。
祭壇の鏡を見て、己の異変を認識したのだ。
「あ、あ、ぁ…?」
事態の異変に気づいた者から現況を把握しようと松木忠文を注視する。
「これは、私は…なんだ、この、姿」
神聖な祭壇の鏡に映るは、衣冠単を身に纏った老齢の人間…ではなく、虫けらを模した化け物だった。松木忠文は信じられず、ヨロヨロと後退りながら己の手を見れば、五本の指は物もまともに掴めぬ血濡れの鎌へ、背には人間にあるまじき翅が擦れ合い、下肢は四足の節くれだった足へと変質していた。
いや、今になって、己の姿を正しく認識したのだ。
「…な、ぜ、私が…そう、か、名をっ、えら、た、し、し、試練。そう…当主としての試練、乗り越えた時こそ……贄だ、贄さえ、贄さえあればぁあぁあああ!!」
突如として、狂ったように笑い出した松木忠文の唇は裂け、内側から幾重にも重なる顎が獲物を咀嚼するかのように不快な音を立てて現れた。そして、贄である由良を捉えると一直線に飛びかかり、その凶刃を振り上げた。
「っ! ぐっ」
由良を襲うであろうと予測していた庵は近くの篝火の柄を掴むと薙ぎ払うように怪異へと叩きつけ、鎌の勢いを逸らす。火のついた薪は器から零れて床を跳ね、この場を戦場へと変えるように火が燃え広がっていく。
「ふっ…っ、ここで、仕留める」
言葉を漏らした庵が篝火を押し当てれば、松木忠文は庵の顔を削り取らんと口器を左右にガバリと開く。互いに致命傷を避けるように躱し、しのぎを削り合う。
「…」
出入口は松木忠文の背後にある一か所のみ、逃げ出せる状況でもない。だが、接敵している庵も本調子ではない。仕留めるならば、隙を作らなければならない。
隙を…
「…犠牲が無ければ、力も発揮できない“元”当主が何を言う」
「……………何?」
松木忠文は聞き捨てならない言葉に怒り、庵を押し返すと首をぐるりと回して、死に損ないの姿を探す。
祭壇から離れた火の海に、志貴が…「松木忠輔」が立っていた。
「どの口が言う、松木家の恥部が」
本家に生まれながら霊感も高くなければ、血の力を持たぬ長男。妹に当主の座を奪われた出来損ないが、何を言っている。
「俺は…そうかもしれない。だが、当主は松木潔子だ。貴方ではない」
松木潔子。
幼少期から霊感が高く、社交性に優れた自慢の妹。松木家が継いだ血の力に驕ることなく、怪異を討ち祓う様は不甲斐ない自分よりも、ずっと松木家の上に立つにふさわしいと思っていた。そう語るたび、潔子は「そんなことありませんよ」と謙遜していたが、実際に一族の会議で当主に指名されたのは、長男の自分ではなく、妹の潔子だった。
「時代遅れの当主は下がっていろ」
「っ、きさま゛ぁ゛ぁああ! 無能、無能、無能! 一族の恥さらし、資産を消費するだけのごく潰し、責任から逃げた男が、今さら何を言う! 何を言っている!! 貴様如きに言われる筋合いなどないわ!」
松木忠文は怒りのままに飛翔し、その鎌を松木忠輔に振り下ろした。しかし、その鎌は忠輔の頭上…空を斬る。
「ぁ、がっ、っぐ」
鎌よりも早く、その首を篝火の先が貫いたからだ。殺意の矛先が忠輔に向いていようと庵は油断せず、炎に紛れて怪異の死角まで駆け抜けると、全身全霊の力で松木忠文の首を突いた。
その一撃は、怪異の首を貫通していた。
痙攣する怪異を見上げ、忠輔は確信と共に由良を背負い直す。このようなことをしなくとも庵は来てくれただろうが、確実に怪異を仕留めるには、あともう一押し足りないと思ったのだ。故に、由良を背負ったまま、怪異を挑発するという非道な真似をさせてもらった。大事な妹の命が懸かっていれば、庵も本気を出さざるを得ないだろう。
『邪魔を゛するな゛ぁ゛あ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛』
松木忠文は呪詛を発した。
薄れたとはいえ、それは人を扇動し、一族に栄華をもたらした松木家の血の力。『邪魔をするな』という呪詛は音に乗って、瞬く間に聞く者の精神を蝕んでいく。
「っ…」
間近にいた庵は眉間に皺を寄せながらも篝火を突き刺すが、聞くたびにその身体は重くなっていき、まもなく…庵は片膝を地に着けた。
マズい、押し返される。
パンっ…
耳元で轟音が鳴り響き、忠輔は耳の痛みに悶えながら、由良を振り落とさぬように呻く。爆発音にも近い音のせいで何も聞こえず、状況を把握しようと眼球を動かし、紫煙の上がる拳銃を構えた間下を見つけた。同時に、身体の言うことが利くようになり、間下の意図にも気づく。
どんなに強力な言霊も聞こえていなければ、意味がない。
「ぐぅぅぅううっ!」
庵は最後の力を振り絞り、篝火の先が怪異の首にしっかりと突き刺さったことを確認すると、力任せに床へと振りかぶった。肉の引き攣れる音や血しぶきと同時に怪異の首がもげたかと思うと…背骨ごと引き抜かれ、ろくろ首のように伸びきった脊髄と共に怪異の頭が床へと叩きつけられた。
「はぁっ、はっ……」
怪異の呪詛が薄れていくの感じながら、庵は息を吐いて篝火の柄を握り締めたまま両膝から地に崩れ落ちる。
「まだだ!」
伸びきった首が繋がる胴体は、満身創痍の庵に向けて鎌を振り上げていた。
一撃目は間下が庵に飛びついて地を転がり、二撃目は…
「松木家に、地獄を!」
二撃目は振り下ろされる寸前、火の矢によって撃ち抜かれた。松木家の醜い争いを見つめながら、呪い火を矢に込め続けていた壱衛門が放ったものだ。一撃では終わらず、壱衛門は何度も刺すように松木忠文に矢を穿ち続ける。
「燃え散れ! 苦しみ死ね! 簡単に死ねると思うな! 苦しめ、苦しめ、苦しめ! ぁはっはっはははははははは!」




