第53話
「やっぱり、壱衛門さんの炎でも完全には治らないんですか?」
和泉の言葉に壱衛門は不服そうに目を逸らした。松木忠文の言霊を呪い火で相殺しようとしたが、炎で焼き切った端から悪性腫瘍のように次々と増殖し、壱衛門を嘲笑うかのように際限なく呪いが溢れ出すのだ。これ以上は意味がないと判断し、不毛な行為を切り上げたに過ぎない。
「……俺の時間をドブに捨てるのは、これくらいで十分だ」
話を聞く限り、既に怪異と化した松木忠文と壱衛門は何度か交戦しているようだ。そして、どちらも相手を倒しきれないまま、膠着状態となっている。
「やはり、奴を倒すしかない」
庵は重力に抗うようにゆらりと立ち上がり、その視線を由良へと向けた。
「あの怪異は尊き犠牲と称して由良を狙い、無差別に死の呪いを放っている元凶‥会話が通じぬ相手ならば、仕留めるしかあるまい」
死の呪い…松木家が放っているという呪いのタイムリミットも刻一刻と迫っている。異界において、一日の周期が現実世界と大きくずれているとはいえ、既に三日目の十五時頃を迎えており、時間はあまり残されていない。松木忠文に殺される前に、呪いの刻限を迎えて全滅する可能性すらもあり得る。
「…仕留める、か」
庵は松木家の当主である松木忠文を倒すことが出来れば、この死の呪いを解くことが出来るのではないかと考えているのか。だが、呪いが解ける確証はない。そもそも、松木忠文…あの怪異は、知性を有した強靭な怪異だ。こちらも疲労が溜まってきている…下手に動けば、仕留められるのは俺達だ。
「すまない、俺が万全ならば…」
「そんなことないさ」
自覚してくれているようだが、庵も本調子に戻ったというわけではない。薬を飲んで一時的に症状を緩和しているようなものだ。
「それでは、契約といきましょう」
にっこりと和泉は微笑み、壱衛門の腕を掴むと鈴の鳴るような明るい声を上げた。
「契約…?」
「はい、あの怪異を一緒に倒してくれるなら、私だけでなく、今ならもれなく壱衛門さんも協力します」
和泉の言葉に「おい!」と壱衛門は反発を示す。だが、和泉の腕を振り払うようなことまではしなかった。
「…倒したとして、その後は?」
「えーと、最悪、壱衛門さんが庵さんを不意打ちするかもしれませんけど、まぁ、そこは保証外ということで」
怪異を倒したからといって呪いが解ける保証もなければ、松木忠文を倒した後も油断できないじゃないか。
「その契約でいい」
「庵!」
「今のままでは勝てる見込みがない。ならば、少しでも活路があるほうを選ぶべきだ」
色濃かった死相が薄れ、気高さを取り戻した庵は、クリアな思考で改めて己の状態を把握すると、それを前提とした体力の配分を組み立て直す。
「契約成立です。ということで、壱衛門さん、あの怪異を倒すまでは協力!ですからね」
和泉の甘い考えが分かっていた壱衛門は、反論する気力まで割くつもりはないと舌打ちをして、肯定ではない肯定の返事をする。
「はぁ…」
「ため息をついたら、幸せが逃げちゃいますよ?」
「共闘で、話はまとまったか」
その声に皆の視線が間下に向く。開錠された南京錠は床に落ちており、開かれたクローゼットの先には地下へと続く石階段があった。天井から風化したしめ縄が垂れ下がり、四方八方に貼られた夥しい数のお札がおどろおどろしく出迎えてくれている。
「なに、これ…姉さん、この先に居るの…?」
ゴールを間近にした焦燥というべきか、和泉は間下の制止を無視して石階段を駆け下り、それを慣れた様子で壱衛門が追いかける。志貴も急いで由良を背負い、追いかけようとしたところで「姉さん!」という和泉の声が聞こえた。
姉に再会できたのか…と遅れて石階段を下りていくと篝火に出迎えられながら、神社のような、斎場のような儀式場の広間へと辿り着いた。
「姉さん! ねぇ、姉さんってば!」
さらに奥、祭壇のような場所に和泉たちの姿を見つけた。その壁は三面鏡のように壁一面が鏡となっており、志貴は鏡の自分と目が合いながらも一人の女性が祭壇に横たわっていることに気がついた。
「姉さん、起きて!」
間違いない、和泉の姉――大威清佳だ。
前に見せてもらった人探しのビラに載っていた顔と寸分違わぬ姿で目を閉じていた。和泉が声をかけながら、その肩を揺さぶっているが、彼女は一向に目を覚ます気配がない。その様子を見ていた間下は徐々に険しい顔つきになっていき、足早に近寄ると大威清佳の手首を手に取った。
「……死んでいる」
集中するために閉じた目は事実を目の当たりにした時、黙祷に近しきものへと変わった。間下は感情を抑えるように唇を噛んだ後、再び目を開け…自分を不思議そうに見上げていた和泉に事実を伝えた。
…脈がない、と。
「びょ、病院に、病院に行けば、あ、え、AEDですか! えっと…」
そんな和泉の言葉を遮るように、間下は首を横に振った。
それは…もう手遅れだということを示していた。
『これも尊き犠牲だ、致し方あるまいよ』
目の前で女性が…大威清佳が倒れている、いや、死んでいる。その「精神」を松木家に捧げてもらったからだ。松木家の力を高めるために必要な犠牲だった。
『今回はこちらで準備を済ませておいた。儀式が成功した暁には仕組みを教示しよう』
贄の間に置かれた死体を前に動じず、儀式の流れを説明する衣冠単を纏った男性は…松木忠文だ。
松木家の元当主。松木家の血が薄れた現在でも僅かながら、その言葉に人を扇動する…洗脳する力を有している。言霊に似たような力だ。
隣を見れば、村で見かけた女性が立っていた。
「…犠牲はつきものなのでしょうか」
……………あ。
その声を聴いた途端、志貴は並び立つ女性が…自分の妹だったことを思い出した。
俺とは違う癖のない髪質のボブ、当主にふさわしい立派な出で立ち…そうだ、そうだそうだ、何故、今まで忘れていたんだ。
松木潔子、松木家の現当主にして稀代の天才、俺の唯一の肉親であり、大事な妹じゃないか。妹の願いで村を巡って手を合わせ、ここには「天災封神祭」を引き継ぐために来たんだ。
『何かを成すということは、それなりの犠牲を覚悟しなければならない。それが人知を超えることなら、なおさら…』
己の口が喋り出す。妹の言い分も分かる、犠牲は極力出したくない。だが、その理想を語れるほど、今の松木家に力はない。天才の妹とはいえ一族全体の衰え、年を経るたびに封印の稚拙さは増し、天災封神祭の周期が年々早まっている。前回の封印から数十年も経たずに天災は力を取り戻し、封印を解こうと現世に呪いを放ち始めた。犠牲を躊躇していては、今に何倍、何百倍もの犠牲が出る。だから、松木忠文の言う通り、大多数の人間を救うために大威清佳の犠牲は仕方のないことだ。
『ですが、犠牲になる者を選別することはできましょう』
背後から妖艶な女性の声が聞こえ、振り返ると……。
怪異へと変貌した、現在の松木忠文が立っていた。




