第5話
瞼を上げれば、物憂げな女性と目が合った。駅構内、例のコインロッカーの前で自身は女性に持ち上げられている。先程と同じく、声が出せず、体を動かそうにも上手く力が入らない。だが、左手には間下の手の温度を感じる。志貴は落ち着かせるように目の前の光景は幻覚だと息を吐く。聞こえてくる音や感覚は本物のように感じるが、これは自分の身に起こっている事ではない。そう思えば、いくらか落ち着くことが出来た。
目の前の女性は大人びた格好をしているが、おそらく十代だろう。他に情報は無いかと志貴が身を捩っていると、「ごめんね…」と声をかけられてから顔面を布で覆われた。一瞬、パニックになった志貴だったが、ロッカーの開閉音や鍵の閉まる音、視界がさらに暗くなったことから、コインロッカーの中に押し込まれたのだと推測する。
「これは…。コインロッカーの中だったのか」
廃ビルでの記憶と同じ。真っ暗闇の中、雑踏や駅のアナウンスがくぐもって聞こえる。
そして…
「またか」
志貴は再び目から涙をこぼしていた。今度は、脳内にも「くらい、だして、たすけて」と声が響く。それは自分たちをコインロッカーの中に引き込もうとする怪異の声とよく似ていた。
「せまい、くるしい、おかあさん」
「これは…君の記憶か?」
志貴は恐れを抱きつつ、話しかけてみる。コインロッカーに収まる大きさ、天を仰いで泣くことしかできない存在…怪異の正体に予想がついていたからだ。志貴の憐憫を含んだ問いに返事はなかった。
代わりに
「なんで、そいつはいいの、なんで、ぼくはだめなの」
恨みが零れた。
「そいつ…?」
「あ、ロッカーの鍵って五番だっけ?」
突然、男性の声が間近で聞こえ、志貴は驚く。続いて、少し離れた位置から女性の声が聞こえた。
「え、五番…ううん、六番! あのさ、コインロッカーを使うの…やっぱり、止めてくれない?」
聞き覚えがある。先程、ごめんね…と謝り、自身をコインロッカーに閉じ込めた女性の声だ。
「え?」
「ほら、前に何が入ってたか分からないし、気持ち悪いでしょ?」
そんな会話と共に一個下の扉が開き、荷物が取り出されると声が遠ざかっていく。それに比例して、脳内に強い叫びが響き、志貴は片手で額を抑えて頭痛を抑えるように目をつぶった。
「なんで、なんで、なんで、ぼくはだめで、そいつはいいの、ずるい、なんで」
強い怒りに心が焼ける
強い悲しみに心が溶ける
強い恨みがじわりと志貴の脳に染みる。そして、プツンと恨みつらみが途切れた。終わったのかと耐えるように閉じていた目を志貴が開ければ、駅のホームに佇んでいた。
目の前には、お腹を愛おしそうに撫でる妊婦の女性と、それを労わるように荷物を持つ男性…仲睦まじい夫婦が立っていた。
「おかあさんはいつまでたっても、ぼくをむかえにきてくれなかった」
夫婦の会話が聞き取れない…耳障りで仕方がない。
「おとうさんはどこ、なんでたすけにきてくれなかったの」
駅のアナウンスが聞こえて人の波が動き出した…二人が前に進む。
なんで、そいつはよくて…ぼくはだめだったの!
ドンっ…気づけば、志貴は目の前の夫婦の背中を押していた。その事実を認識して、志貴が目を見開いた時には黄色い線の向こう側へと二人は投げ出され‥‥
「ぁ…っ……」
嫌な音がホームに響き、悲鳴が連鎖し、手も、顔も、体中…鮮血で汚れていた。志貴は自身の両手を見つめたまま、ホームに腰から倒れ込む。
くらくてさびしい、あけてよ…おかあさん……ぼくは、ずっとここにいるのに…。
志貴か、怪異か、どちらかも分からぬ涙が志貴の目から零れた。
「俺は…今…」
くらい、あけて
「人を…」
ゆるさない、ゆるさない、みんな…
「殺し…」
「志貴!」
その声と共に左手を強く引かれ、志貴は現実へと回帰する。瞬きしている最中もコインロッカーに体を何度も叩きつけられ、痛みで完全に目が覚めた志貴は我に返る。
「どうすればいいか、分かったか!?」
間下に凄まれた志貴は現状を打開する方法を考える。
先程の光景が本当にあったことならば、コインロッカーに潜む怪異の正体は母親に捨てられた赤ん坊だろう。母親だけでなく…周りの人間も殺さんとする殺意で溢れていた。あの恨みが晴れない限り、怪異は消えないのか。ならば、どうにかして倒すなり、それこそロッカーの扉を閉めきるなりして封印するしか…
「くらい、こわい、さびしい」
…本当に?
恨みはあった、怒りもあった、そして、根底には深い悲しみと暗くて寂しいという思いがあった。この子は今でも助けを求めている。見て見ぬフリなんてせずに、誰かに見つけて欲しい、開けて欲しいんじゃないのか。母親の反応や六番の開閉音が聞こえた位置を考えるに、あの赤ん坊が居たのは五番だ。
「…あった」
閉まりきった五番のコインロッカーに鍵を向ける。あそこに怪異がいる…。この鍵は自分たちを引き込もうとする怪異を閉じ込めるために鍵を使うんじゃない、開けるために使うんだ。
「うわっ!?」
一瞬の油断が命取りだった。足元のヘドロに足を取られてバランスを崩したのだ。背中を床に強かに打ち付け、あっという間に左足がコインロッカー内に引き込まれる。
「間下! 五番だ! 五番!」
もう立つことすらままならない。一か八か、志貴は己に目を向けている間下に呼びかけ、持っていた鍵を投げた。転ぶ様子に反応していた間下は、ふわりと弧を描いて飛んできた鍵を右手で掴み取ると間髪入れず、五番のコインロッカーの鍵穴に差し込み、扉を壊すような勢いで開け放った。
その途端、甲高い赤ん坊の泣き声が辺りに響き渡り、黒いヘドロは役目を終えたように消えていった。間下はコインロッカーにもたれかかる形で左手を、志貴は天を仰ぐように寝っ転がった体勢で両足をコインロッカーに突っ込んで静止していた。
傍から見たら、とんでもない酔っ払いのような様相だが、命の危機を脱して安堵している姿だ。筋肉の疲労を感じながらも、志貴は立ち上がり、間下と共に五番ロッカーを覗き込む。中に赤ん坊の姿はない。代わりに、また鍵が置いてあった。
「車の鍵…?」
「今度は怪異とドライブでもさせるつもりか」
間下は新しい手掛かりとして懐に鍵をしまった。
「…人の姿が戻らんな」
まだ、夜中の十一時だというのに、駅に人の姿がない。それは異変が続いていることを示していた。
「火傷も消えてない…」
志貴は痛めた筋を労りながら、未だに消える様子のない火傷を見る。
「一筋縄ではいかないと思っていたが…ちっ、今度は何をさせるつもりだ。次はこぉの、か、ぎ……っ…?」
会話が途切れる。急に呂律が回らなくなったと間下が気がついた時には、足元もおぼつかなくなっており、そのまま倒れ込みそうになった間下を志貴はギリギリのところで引き寄せた。けれど、支えきれず、志貴は巻き込まれる形で一緒に地面へと座り込む。耳元で呼ぶ志貴の声に応えるために間下は立て直そうとするが、気合ではどうにもならず、そのまま意識を手放した。
― 一夜




