第4話
「…っ、どうなっている」
今夜だけで、何度そう思ったか。
間下は噛みしめ、口元を歪ませる。廃ビルの外、路地裏を出てしまえば繫華街の大通りに出る。いつもどおり、優しくないネオンの光が、寝不足の自分と年上の男を出迎えた。しかし、人が居ないのだ。人で溢れていた夜の街から人の姿が消えている。
電子機器も通常通りに起動してインターネットも申し分なく使えるというのに、電話やメールなど第三者と連絡を取ろうとすれば、電話先の機械音声が「この電話番号は現在使用されていません」と述べ、メールを送ろうとすれば、このメールアドレスは存在しないとエラーを吐く。
「なんというか、こういうのを孤立無援と言うんだろうな」
どうやら、どっちにしろ警察に保護してもらえるほど、事態は甘くなかったらしい。辺りを見回すが、建物の明かりはついているのに、人の気配はなく、生活音も聞こえてこない。なんとも不気味な街並みを走り、二人は環橋駅に到着した。人を探しながら駅のエスカレーターを駆け上がるが、駅員の姿すら見当たらない。
「…ん、どのロッカーだ…?」
改札口を通って目標のコインロッカーを前にして、鍵を構えた志貴はふと立ち止まる。鍵の名札に印字されていた文字は擦れて読めなくなっていて、どこの物か分からない。
「しらみ潰しだな。芋虫野郎の用事を済ませて、他の人間がいないか探すぞ」
「そ、そうだな」
とりあえず、右上から鍵を刺していこうと近づいた時、二人の真横にあたるロッカーの扉がそれぞれ開いた。
「なっ!」
ロッカーから黒いヘドロのようなものが噴き出したかと思うと、ぐっと引っ張られて二人して仰け反る。見れば、黒いヘドロのような何かに腕を掴まれ、コインロッカーの中に引き込まれようとしていた。志貴は綱引きをするような体勢になり、隣に居る間下も動揺した様子で、足を振り上げて眼前のコインロッカーを踏みつけ、左腕を引き抜こうとしている。
「どう、なってやがる!」
「怪異に掴まれてる!」
「そんなの見りゃ分かる」
じりじりとコインロッカーに引き込まれながら、この状況を打開する手立てを模索する。
「せまい、くらい、たすけて…」
二人の耳に子供の声が聞こえてくるが、周辺に人の姿はない。故に、このどこからともなく聞こえてくる声の主は生者ではなく、目の前の怪異のモノだろう。
「間下、どうすれば‥」
「手を貸せ!」
その叫びに応えて、上半身をコインロッカーにぶつけながらも志貴は間下の右手を掴んだ。
【かぎひとつ こよいあけねば はつるみぞ いづれのとを さだめんとすらむ】
再び、芋虫が声を発した。
鍵は一本、今晩中に開けなければ死ぬ。どの扉を開けるか、選べ…?
「鍵を返して」
女性の声がした。間下も同じようで周りを見れば、怪異のように薄っすら体の透けた人間たちが自分たちと同じ状況に陥っていた。
「待って、私はどうするの?! 考え‥」
「俺が自由になったら、お前を引っ張りあげられるだろ、考えろ、馬鹿!」
ロッカーの鍵を巡って争いが発生していた。譲り合っている組もいるが、皆一様に恐怖に支配されている。罵声、裏切り、取り合い…争いの末に鍵を勝ち取った男は、自分の腕を掴む怪異が潜むロッカーの鍵穴に鍵を差し込んだ。すると、怪異は消失し、男は自由の身になったが、同時に、もう一人の女子高生は天秤が崩れたように凄い勢いでコインロッカーの中に消えていった。引き込まれた女子高生の入ったコインロッカーはとてもじゃないが、大人どころか小学生すら入れる大きさじゃない。
生き残って、その場から逃げ去る者もいれば、鍵を譲られた、助けられた者はもう一人を助けるために扉を開けようとした。だが、鍵が掛かっている音と同時に扉に開閉を拒否されている。
…返答すらないようだ。
「ど、どうする。間下が鍵をつか…」
「落ち着け! 惑わされるな」
「…え?」
「一蓮托生と言っただろうが! 片方が死んだら終わりだ!」
そう言いながら、間下は体勢を立て直し、志貴をじっと見る。
「相方が死んだ時点で、おそらく…失格だ」
この火傷を刻まれた者が生き延びた例はない。明確なものではないが、事件を追い続けていれば、ある程度の傾向というものが見えてくる。特に、現場で仕事をする者は…。四角く圧縮された遺体を間下は何度か見たことがあった。どのような殺され方をされたのか、今の今まで分からなかったが、その答えが目の前にある。
この非現実と対峙することが生き残ることにつながるのならば、火傷を刻まれた二人が手をつなぐことで現れ、指示を出してくる芋虫の存在は貴重だ。その芋虫を呼び出せなくなった時点で、この事件の手がかりが消える。そうなれば、保身で相方を見殺しにしたところで三日後に相方と同じ場所に行くことになる。なら、どちらかを助けて、どちらかを見捨てるような選択は間違いだ。だが、二人が助かる「正解」があるかと言われると微妙なところだ。この火傷を刻んだ犯人の目的が虐殺ならば、助かる道はない。現に火傷を刻まれて生き残った者はいないのだから。
「間下、手を!」
今度は志貴の方から間下に手を伸ばす。お互いに体力の限界は近い。手を掴むために、どちらかが体勢を崩せば、二人してコインロッカーに詰められる。それでも、間下は力を振り絞って、志貴の手を掴んだ。このまま耐えるだけでは死が待っているだけだ。ならば…と間下は捨て身で志貴の手を握り締めた。
「アンタ、怪異関係が得意みたいだからな」
その言葉には、お前がどうにかこの状況を打破しろという意味が含まれているようで志貴は内心、狼狽える。言葉に出さなくても通じたのか「アンタを信用してやってるんだ」と期待を吹っ掛けられた。
「もし、駄目だったら、間下が鍵を」
「考えがあるんだろ。アンタが死んだら俺も死ぬ。そのことを頭に入れて、足掻いてみせろ」
間下の激励のような、脅しのような言葉に背中を押され、志貴は集中する。先程のように、間下の手を強く掴み、もう片方の手でコインロッカーに触れる。ロッカーの鍵を握りしめることで、この駅に辿り着くことが出来た。ならば、同じ要領でこのコインロッカーに念じれば、この状況を打開する手立てを見せてくれるかもしれない。一本しかないロッカーの鍵を落とさないように強く握りしめながら、ノイズのような雑音と眩暈に目をつぶれば、あの時に聞いた駅のアナウンスが聞こえてきた。




