第45話
怪異が跋扈する異界かつ凄惨な跡を残した誰も居ない廃村、その村の裏山を登っていく軽トラを指さす。
「追うぞ」
怪異か、他の生存者か、立ち往生していた四人は危険を承知で軽トラを追いかけた。広大な畑を横目に朽ちた郵便局を曲がり、村の裏山を登っていく。人間と軽トラでは馬力が違えど、あちらは寄り道をしながら山頂へと向かっていた。
「はぁ……っ…」
志貴は若者の後を追いかけながら息を切らしていた。
バクバクバクバク…この鼓動の高まりは、老いか、運動不足か、それとも…。
軽トラの目的地、そこは――― 墓場だった。
いくつもの墓が裏山を刻むように立ち並び、その全てに花が手向けられている。
そして…
「壱衛門」
墓標に手を合わせる壱衛門が佇んでいた。その声に応えるように壱衛門は祈りを止めて、ゆっくりと振り返る。
「…何故、ここにいる」
怪訝な顔つきの壱衛門の目は敵意に満ちているが、話を聞いてくれるのか、弓を構える気配はない。それにしても、彼を近くで見るのは初めてだったが、浅黒い身体には無数の傷跡があり、幾多の死線を潜り抜けてきたことを物語っている。何度も継ぎ合わされた衣服を纏う姿は廃村の番人のようだ。
「そうか。お前ら、松木家の者だな」
松木家…! やはり、彼は松木家について、自分たちが知り得ていない情報を知っている。
「松木家を知っているのか」
「知ってるのか、だと…?」
こちらを用心深く観察していた目をカッと見開いて、壱衛門は身を乗り出した。
「ふ、ざけるな、ふざけるなふざけるなっ! この村にした仕打ちを! 忘れたとでも言うのか!」
苛烈なまでの強い怒りと底知れぬ憎悪だった。壱衛門は感情のままに声を荒げ、弓を手に取ると志貴たちを睨みつけた。
「この村は松木家を許しはしない。たとえ、風化し、忘れ去られようとも、過去が罪を思い出させる」
過去が罪を思い出させる…。
真っ向から壱衛門に睨まれた志貴は、じくりと心の臓が痛む。
「罪なき者に安寧を、松木家に地獄を!」
壱衛門の感情に呼応するように弓は燃え盛り、敵を燃やし尽くさんとする。ご神体から溢れ出す火の粉を見るたび、壱衛門の脳裏には、あの光景が否が応でも甦る。
燃える
「壱衛門、逃げなさい」
幼き頃、母と自分が眠る住まいに火を放たれたことを。
燃える
「おかあさんをはなして!」
男たちが母を連れて行ったことを。
燃える
「あ、開かない、だしてくれ」燃える「あつい、のどが、やける」燃える「たすけて」燃える「やめてくれ、やめ…」
燃える
知らない連中が村に火を放ち、外に出られないようにドアを塞いでいたことを。
燃える
「だ、だれなんだ、なぜ」燃える「やめて」燃える「どうして…」
燃える
命からがら家の外に出た者は一人残らず捕らえられて、井戸に…。
燃える
「どうして」
壱衛門は分からなかった。
注がれる油、井戸から伸びる火の手、無数の悲鳴、自分の足元で地獄の釜が開いていた。
燃える
「どうして、こんなこと」
壱衛門は分からなかった。故に、己の首根っこを掴む笛を携えた男に問いかけた。
燃える
「尊き犠牲だ」
男はそう言って、手を離した。
燃える、熱い、あつい、あついあついあついあついあつい…
…この時の記憶は定かではない。だが、必死に井戸の外へと手を伸ばしていた気がする。
どうして、藁と灯油をかけられて蓋を閉められた。
どうして、絶叫や苦痛が井戸の内部に響き渡り、重石を乗せられた蓋は石の重みで割れ、火によって焼け崩れるまで、誰も外に逃がしはしなかった。
どうして、全身が焼かれる痛みに悶え、みんなの焼け爛れた皮膚同士がくっつき、溶けて固まり…一つの塊になっていく。
家が燃える
どうして、自分たちが、こんな仕打ちを受けなければならないのか。
人が燃える
どうして、慎ましく暮らす皆が、こんな目に遭わなければならなかったのか。
故郷が燃える
疑問は、悲しみは、怒りは、村全体を包む呪いとなった。
たとえ、村がなくなり、存在を消され、誰からも忘れ去られようとも、この村は異界と共に在り続ける。
燃える燃える、記憶が燃える…
燃える燃える、思い出が燃える…
燃える燃える、残るは呪い火。
―――この死に損ないに残ったものは、罪人を燃やす呪い火のみ。
「忘れようとも、その罪から逃げられると思うな」
壱衛門の言葉に靄のかかった志貴の記憶が僅かに蠢くと同時に、酷い悪寒がその身を襲った。
「松木家が全員、悪い人ってワケじゃないよ。私とか、お兄ちゃんも…」
「はっ、どうだか…。善人ぶってるだけだろ」
由良の控えめな主張を壱衛門は小馬鹿にするように鼻で笑い、目を細めて殺意を向ければ、庵は僅かに目尻を上げ、視線を返しながら身構えた。
「やめろ」
一触即発の事態を間下が収めようとした矢先だ。
「尊き犠牲だ」
見知らぬ声、次に突風が吹いて、気づけば…庵が地面を転がっていた。
「贄、だ」
怪異だ。一目で分かる異形の姿。人間の上半身をかろうじて残した細い体に、両手には鎌を携えた化け物が首を傾げていた。まるで、カマキリと人間を接いだような出で立ちが、由良を見下ろしている。
「足りぬ、足りぬ、犠牲が足りぬ」
庵によって奇襲が失敗に終わった怪異は凶刃を再び由良に向かって振り下ろす。だが、その鎌も態勢を整えた庵が間一髪で弾き返す。獲物を逸らされた怪異は鬱陶しげに『邪魔をするな』と言って庵を注視した。その刹那、間下は懐から拳銃を取り出し、異形の頭を撃ち抜く。
「相変わらず、この程度か」
人間で言うところの致命傷を与えたというのに、少しよろけた程度の怪異に間下は舌打ちする。
『贄だ、贄を差し出せ! 松木家に力を』
松木家! また、その言葉か。
怪異が口走った言葉に志貴は目を見開く。しかし、思考と身体が正常に動いたのは、そこまでだ。次には、目の前の怪異に由良を差し出さなければならないという強迫観念に襲われていた。
なんだ、なにが…。
他の三人も同様に頭を抑え、自意識と強迫観念の乖離に苦しんでいた。他の事を考えようとすれば、肉体は拒絶するように痙攣し、その思考も溶かされていく。
志貴たちは未知の感覚に混乱し、身動き一つ取れなかった。
「燃え散れ!」
由良の前に立つ怪異に火のついた矢が突き刺さる。壱衛門が矢を放ったのだ。
「がぁぁぁああ、不浄の者めぇぇ」
怪異は纏わりつく呪い火を払い除けながら、矢を放った犯人…壱衛門へと視線を向け、忌々しげに飛びかかった。その途端、志貴たちの思考がクリアになり、硬直していた身体も、鎌を振り回す怪異から距離を取るように身を引いていく。
『眠れ』
怪異の影響から脱したと思ったのも束の間、現状を把握しようとする志貴の背後から黒い球体が現れた。
志貴はヒュッと息を吞む。これは、金戸夫妻を殺した…志貴が何か発するよりも早く、後ろから耳を突き刺されたような感覚と共に眼球がぐるりと回り、志貴は昏倒した。




