第29話
「死ね、死ね、死ねったら!」
「逃げるぞ」
「分かってるって!」
暴言を喚き散らかす少女、少女と一緒に逃げ回る少年、その二人に向かって火のついた矢を放つ男…。
「襲われてるな。どう…志貴?」
あれは…。
志貴は少女の口元を見ていた。少女が暴言を吐くたび、その口から水泡が零れるように、黒い球体が生まれていたからだ。それらは少女の敵意に呼応するように壱衛門の元へと飛んでいく。壱衛門は群れを成して向かってくる黒い球体を避けては正確に撃ち落とし、撃ち抜かれた黒い球体は燃え散って消えていく。
「もう、なんなの!」
「黙るな、死ぬぞ」
「分かってるよ、もう! 死ね死ね死ね、っあ!」
壱衛門ばかり見ていた少女は足元のくぼみに気づかず、大きく躓いた。その僅かな隙を逃さず、弓を構えた壱衛門が少女に狙いを定める。…が、壱衛門は大きく飛び退き、草陰から突き出された竹刀を弓で受け止めた。激しくぶつかり合いながら「…ちっ」と壱衛門は目の前の相手に向けて舌打ちをする。
暗闇からぬっと現れたのは庵だった。その眼光は月明かりに照らされ、ギラギラと煌めいてる。
「ラッキー!」
「馬鹿! 言ってる場合か、さっさと行くぞ」
少年は少女を起こすと背後を警戒しながら逃げていく。その間、庵と壱衛門は互いに牽制するように身構え、向かい合っていた。
「いっ!」
肩甲骨辺りを小突かれ、志貴は声を上げる。不可視の敵を警戒し、志貴の指示を待っていた間下からの一撃だ。
「黒い球の怪異はどうした」
「え、えっと、今はどこにもいない」
戦況が目まぐるしく変わって呆気にとられていたが、いつの間にか周囲から黒い球体が消えていた。間下はその返事を聞くなり、今にも竹刀を突きだそうとする庵と弓をつがえた壱衛門の下へと走っていく。壱衛門は分が悪いと判断したのか、後ろに飛び退いて暗闇へと姿をくらましてしまった。
「待て、壱衛‥」
「お兄ちゃん! ストップ!」
追いかけようとする庵の袖を掴んだのは、息を切らした由良だった。
「だが」
「いいでしょ! 襲われてた人は助かったんだから」
「…そうだな」
「さっきのガキ二人は知り合いか」
二人のもとに辿り着いた間下の質問に由良は首を横に振った。
「知らない人です。でも、あの怖い人に襲われてたから…あ、間下さんたちは大丈夫なんですか!」
由良は間下の右腕、コートの下に隠れる火傷を見る。
「今夜の条件は……おそらく、達成済みだ」
あの怪異が、芋虫の言っていた人形の怪異と言えるのか、疑問ではあったが…。少なくとも、間下は彼女を「人形」とは言いたくはなかった。断定できないところもあり、「おそらく」と曖昧な返事をする。
「はぁ…はぁ…庵たちは、どうしてここに」
遅れながらも、間下を追っていた志貴は追いつくなり、息を切らして膝に手を置く。
「俺たちも終わって、帰るところでした」
壱衛門が去っていった森を見ていた庵は二人へと視線を向ける。
「そしたら、あの子たちが襲われているのが見えて」
助けに入った、と。志貴は深呼吸しながら、玉得綾子の話を思い出す。「先ほどの方は、花染 壱衛門。異界の瘴気にあてられ、犯罪行為に手を染めています」との話だった。実際、あの子たちに向かって火のついた矢を放っていたが、あの黒い球体を生み出していたのは、少女の方だ。彼は本当に無差別に人を襲っているのか…?
「そ・れ・よ・り! これ!」
由良は咳払いをすると立派な笛を皆に見せた。
「笛?」
「龍笛…。由良、これをどこで」
「さっきの怖い人が落としていったの。これ、パパが持ってたのと同じやつだよね」
怖い人というと壱衛門のことか。由良はカバンから笛袋を取り出し、蓋を開けるともう一本…全く同じ見た目の龍笛を取り出した。
「由良、ダメだろ。勝手に書庫から持ってきては…」
「だって、パパが、もしもの時には、これを…いっ!」
龍笛を見ていると痛みが走り、各々顔をしかめる。皮膚が引き攣る痛みに腕を見れば、「夕中五五丄五中夕丄五〒ン夕五゛ン丄〒〒」という文字が焼印のように刻まれていた。
「どういうことだ…」
皆一様に漢字と記号の羅列が腕に刻まれている。間下は眉間に皺を寄せて「何かの暗号だろうが…」と志貴の疑問に答えたのか、独り言か、そう言い淀んで考え込んでしまった。
「ここのマークも、やっぱり同じだ…。でも、どうしよう、また新しい試練…?」
混乱の最中、由良は不安げな表情で小さく呟く。由良の言う通り、二つの龍笛の頭にはハートの形をした葉の紋、終わりの尾には対になるように向かい合う…斜めに傾いているソフトクリームのような葉? に蝶が止まった意匠が描かれている。
「だが、セミの意匠が違うな」
志貴の指摘に由良は首を傾げる。
「え、同じ丸半分ですよ」
「向きだ」
壱衛門が落としていった龍笛は、丸を横一線にして半分になったお椀のような見た目であり、由良たちが持っている龍笛は丸を真っ二つにして左半分だけ残してあるような見た目だ。
「この笛、父親の物なのか」
「うんと、父の遺品なんですけど、母の遺品でもあって…」
「両親は笛について何か言ってなかったか」
「もしもの時には、これを持ち歩くこと! あとは…うーん…あっ! たしか…この世は、欠けてないって感じの…」
「幼い頃、遊び程度ですが、笛を教えてもらっていた時に、父はよく「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と言っていました」
言葉に詰まってしまった由良の代わりに、庵が口を開く。だが、言葉を聞いてもピンと来ていないのか、由良は首を傾げたままだ。
「? お兄ちゃん、翻訳!」
「簡単に言えば、この世は自分のためにある。私の力は満月のように欠けているところがない、だ。 …? 歴史か古典の授業で習わなかったか?」
「え! んー? 私のクラスは、まだかも~?」
伏目がちで見てくる庵の言葉に由良はギクリとした様子で苦笑いを返す。




