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袖振りて 縁結ばれし 宵の月  作者: 水城


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第28話

「あのクズ共と同じになるのか」

 凍てつくような声だった。まるで氷水をかけられたかのような志貴は夫妻から目を離し、声の主である間下を見る。

「同じ殺人犯になりたいのか」

 間下は怪異を見つめ、問いかけていた。

「こんなクズ共のために罪を犯すな。それに、待っている人がいるだろ」

 …待っている人?

「桜川桃菜。大方、児童養護施設から出たアンタを心配して、勤務外にも関わらず金戸家まで来た…勤勉な先生だ」

「せんせい、でも、私、悪い子だから」

「誰も殺してないだろ。こんなクズ共に構ってないで、さっさと先生のところにでも行くんだな」

 間下の語気は強いが、その声には優しさが乗っている。気づけば、熱く煮えたぎっていた感情が落ち着きを取り戻していた。

「そうだ。君は悪い子じゃない」

「でも、私はマリーだから、ひとりじゃ」

「君は人形じゃ」

「何度も言わせるな。よく覚えておけ! 他人が誰かに成り代わることなんて出来ない。アンタは人間だ、人形じゃない。人間なら自分で歩いて行け!」

 間下なりの激励と共に、二人は怪異の腕から手を離す。金戸夫妻がくぐもった悲鳴をあげてうずくまるが、そんなものには目もくれず、彼女は立ち上がって笑みをこぼした。

「…ふ、ふふ、そっか。私、マリーちゃんじゃないんだ。うん、分かってたのに…。ありがとう、優しいおじさんと怒ってるのに怖くないお兄さん」

 白い髪や赤いシミが消え去り…代わりに、黒い三つ編みにそばかすが特徴的な女の子となった怪異は「迷惑かけてごめんなさい」と頭を下げて、蜃気楼かのように消え失せてしまった。

「終わったのか…?」

 血の気の引いた顔をした金戸建志が呟く。黙祷を捧げていた志貴と間下は、その言葉に反応し、金戸夫妻を見下ろした。その視線は冷ややかなものだ。

「終わったのよね? はぁ、怖かった…もう」

「俺の同僚に今回の件は報告させてもらう。逃げられると思うなよ」

「何を言ってるの? 不法侵入するような警察を誰が信じるというのかしら。私たちは被害者よ?」

「まぁまぁ、被害者だとは言わないが、あんな化け物に襲われたんだ。罰を十分に受けたと思わないか? 死にかけたんだぞ」

「好きに言ってろ。俺は俺がやりたいようにする」

「なんだね、その態度は…」

「そもそも、あの子がマリーになれなかったのがいけないんじゃない。私たちは努力したのに」

「ふざけるな!」

 金戸あやの言葉に間下は怒声を上げた。

「子供は人形じゃない! 誰かの代わりになることなんてなぁ、できないんだよ! 分かったか?」

「なんなのよ、あなた…? 何様のつもり!」

 一触即発どころの騒ぎではない事態の中、志貴は瞬きを繰り返す。

 なんだ、あれは…志貴の目には幾つかの黒い球体が見えていた。シャボン玉のように浮いているソレは、間下や金戸夫妻には見えていないようだった。

 …嫌な予感がする。

 直感だ。考えなしに、今にも金戸夫妻の胸倉を掴みそうな間下の腕を引っ張って、志貴は自分自身に引き寄せた。考えなしということもあり、思いっきり引き寄せた間下の体重に耐え切れず、二人して床に倒れ込む。

「ぁ゛」

 短い悲鳴と共に悪寒のする温かい何かが体中に降り注ぐ。

 血だ。

 下着にまで染み込むような大量の血…出どころは、金戸夫妻だった。

「な、にが…」

 金戸夫妻は立ったまま、体中を黒い棘で貫かれて絶命していた。黒い棘の根本は先程から漂っていた黒い球体から伸びている。

「離れるぞ」

 信じられない光景に戸惑いながらも、間下は志貴の手を取って立ち上がらせる。

「志貴、どういうことだ。怪異は消えたんじゃないのか」

「その、はずだ。だが…っ、こっちだ!」

 黒い球体が自分たちに向かってきていることに気づいた志貴は間下を引っ張り、急ぎ足でエレベーターへと滑り込む。

 なんだ、あれは。…あの黒い球体に意思があるのか?

「っ…!」

 マリー…! 震える手でエレベーターの閉めるボタンを押し、閉まっていくエレベーターの扉の先、自分たちが走ってきた長い廊下を見た時、黒い球体とは別に、人形が…マリーが立っていた。

 あの子ではない…。

 夫妻に人生を狂わされ、怪異になったあの少女ではなく、ぎこちないながらも、お城に住まう姫のような美しい所作で、こちらに手を振る彼女は…ベッドに縛りつけられていた本物のマリーだろうか。この黒い球体との関係性は分からない。しかし、彼女はエレベーターに乗った志貴たちを睨みつけるわけでも、邪悪に嗤うわけでもなく、ただ静かに扉が閉まる、その時まで穏やかに手を振って見送るばかりだった。

「志貴、何が起きてる。説明しろ」

 間下は恐怖を抱いていた。突然、体中から血を噴き出して金戸夫妻が死に、本物の命を宿した人形が現れたのだ。間下には犯人の姿は見えず、死因すらも判別できなかった。

「分からないが、黒い球…おそらく怪異が、金戸さんたちを殺した」

「…アンタには見えたのか」

「あぁ」

「ちっ、厄介な」

 まもなく、目的地に着いた合図と共にエレベーターの扉が開く。

「…いない」

 志貴は玄関までの道のりを注視し、あの黒い球体がいないことを確認すると間下を先導して走り出す。人形の怪異の件が解決したかと思えば、休憩する間もなく何者かに襲われている。しかも、怪異の姿が見えるのは自分のみ、間下には見えていないという現状に志貴は焦りを感じていた。今の今まで、互いに助け合ってきたからこそ、生き残ってこれたというのに…兎にも角にも、今は逃げるしかない。

 そんな思いで志貴が玄関扉の取っ手に手をかけると、今度はいとも簡単に扉が開いた。あの少女の情念を取り除くことが出来たからだろうか。

「っ!」

 扉を開けながら身を乗り出したことが敗因だ。外で待ち伏せしていたのは、あの黒い球体。罠のように扉が開くと同時に棘が伸び、志貴の心臓を貫かんとする。視野が狭くなっていた志貴は屋内の殺気に気を取られ、自ら目の前の死へと向かっていた。

 …死っ

 不可避の死が胸に突き刺さる間際、横から光、次に熱を感じ、最後には火の玉が黒い球体を食らっていた。目が動きを捉えた時には、真横…自身が開けた玄関扉に火のついた矢が突き刺さっていた。

「奴だ」

 後ろから引っ張られ、志貴は家の中に引き戻される。黒い球体に警戒しながら、間下の言葉と視線を追って外を見れば、逃げ惑う少年少女、黒い球体の群れ、そして弓を構えた壱衛門の姿があった。


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