第24話
老夫妻に案内されて二階の客間に通された後、間下は改めて二人に挨拶と詫びを入れた。そして、何食わぬ顔で古くからの知人として志貴を紹介すれば、老夫妻も安堵した表情を見せる。こういう時、便利だよな…と志貴は間下の警察手帳を見つめる。あれ一つで自己の証明と相手からある程度の信用を得ることができる。
「私は金戸建志だ」
男性は金戸製薬株式会社の元取締役であり、現在は引退した身だそうだ。
「赤ワイン、お好きなんですか」
ワイングラスとオープナーの見える戸棚に間下は目を遣る。
「えぇ! うちのバーカウンター、見ましたかな? あのワインサーバー!」
緊張した顔つきだった金戸建志は少しばかり落ち着いたようで、背もたれに寄りかかると慣れた様子で話題に食いつく。
「拝見いたしました。ワイナリーやBARにしかないものだと思っていたので…」
「だろう! 取締役時代の会食でワイナリーのオーナーと知り合ってね。毎月、特別に卸してもらってるんだよ」
「在庫はどこに置いているんですか」
「庭に物置があってね。そこを改装してワインセ‥」
「地下室ではないんですね」
思わず口を挟んだ志貴は、金戸建志に怪訝な顔をされる。だが、赤ワインの性質と金戸の経済力を考えると、てっきり地下室をワインセラーに作り替え、エレベーターで運び出しているものだと思っていたのだ。
「あぁ、地下室にもワインは置いてあるよ? ただ、ちょっとしたワインの貯蔵庫だからね。ワインセラーと名乗れないレベルだから物置と変わらんのだよ」
「なるほど。質問ですが、玄関の他に人が出られそうな場所はありますか」
玄関の扉はもちろん、どの窓も志貴と間下の二人がかりで開けようとしたが、ビクともしなかった。
「私たちも探したが、一階はもちろん二階に至ってはバルコニーにすら出られん」
「地下には」
「あー、地下かい? そもそも窓すらないから無理だね」
「そうですか。それと、書斎を拝見させていただいたのですが……」
書斎で見た賞状や寄付の写真について質問すれば、「今でも、会社の顔として地域のイベントや取引先のゴルフ大会に参加するはめになってるんだよ。いやー、私も暇ではないんだがねぇ」と困ったような顔をしながらニコニコと語り出す。
「私たちは子宝に恵まれなくてね。代わりといってはなんだが、いくつかの児童養護施設に寄付をしているんだよ」
「…ネロマルキーナを使っているんですか」
突拍子もなく、隣に座っていた志貴から聞き慣れない言葉が漏れ、間下は行動や顔に出さなかったものの首を傾げた。
「君、分かるクチかい」
金戸建志には言葉の意味が伝わったらしく、目を丸くしたかと思うと、次には堪えきれない笑みを浮かべて、前のめりになった。
「‥この引き込まれそうになるほどの漆黒の大地も美しく磨かれていますが、そこに眠る白い筋…見たところ、幅の広いものから細い稲妻模様に一つとして同じものがない。この規則性のなさは、見せかけの偽物では出せない個性だ…と、思います……」
当惑していた間下は志貴の視線や言葉の意味を汲み取り、眼前の大理石のテーブルについて話しているのだと判断する。
「そう、天然ものなんだよ! なるべく、物を置かないようにした結果、喫煙者の命である灰皿一つぐらいしか置けなくてね。全く、テーブルが聞いて呆れるよ。今はプリント技術が発展しているのは分かっているとはいえ…あ! ほぉ~、君、あの絵をどう思う」
先程の様子からは想像できないほど、金戸建志は鼻高々といった態度で意地の悪い笑みを浮かべると、嬉々として壁に飾られた絵を指さした。玄関に飾られていた絵と同じように豪華な額縁に入っていて、薄っすらとピクチャーライトに照らされている。
「…」
妙に長身な男女が絡み合い、白い布で恥部を包み隠した裸体画だ。老いた男性は女性を静かに見下ろしているが、その目には自信がなく、誘う手もぎこちない。対照的に、見上げる女性は揶揄いを含んだ笑みを浮かべ、その瞳はどこか挑戦的だった。しかし、男性の手放すまいという誠実な力強さに、耳だけが赤くなっている。人体を細部まで描いており、なんとなく男性の方が尻に敷かれているのだろう…という感情面も伝わってきた。
しかし……。
「…え、えーと……ミケランジェロなどの作品に似ているように、みえますね…」
志貴が見たことのない絵画だった。
「………き、君~~っ! 分かってるねぇ! あれ、実は私が大学生時代に描いた絵でね」
金戸建志の圧に詰め寄られた志貴は困り顔でチラチラと間下にSOSを送れば「大学というと、イタリアでの海外留学の際にですか」と間下が問い、「そうそう! 留学した時に美術館で‥」と会話のバトンが移るが、思い出話を呑気に聞いている時間は無い。
間下はそれなりにおだてて、会話の流れを先程から黙っている女性の方に誘導する。
「ほら、お前も挨拶なさい」
すっかり上機嫌になった金戸建志に促され、女性は「妻の金戸あやと申します」と言って、礼儀正しく頭を下げた。先程と比べると落ち着いたようだが、金戸建志と違い、状況の異常さに危機感を持っているようで辺りを警戒して、今も肩が強張っている。
「先程、化け物に狙われていると仰っていましたが、具体的にはどのような被害に遭われたのでしょうか」
「一週間前の夜…家の中に化け物が現れて、私たちに襲い掛かってきたんです」
「なんとか、部屋に閉じこもってやり過ごしたんだが、警備システムが反応しなくてね。慌てて警備会社に電話をしたんだが、繋がらなかった。思えば、その時から外の様子もおかしくなった気がするよ」
金戸夫妻は怪異に襲われた夜、すぐにでも逃げようとしたが、家から出られなくなっていた。扉も窓も接着されたかのように動かず、自宅に閉じ込められていた。なにより、なんとかして外に出られたとして電話も通じなければ、自分たち以外に人の気配がしない外へと無暗に出て、怪異に強襲されればひとたまりもない。そのため、夫妻は外の異常を分かっていながら、備蓄などでやりくりし、怪異から隠れて、ひっそりと過ごしていたそうだ。
「化け物の容姿について、お聞きしてもよろしいですか」
「…」
「どうされましたか」
「じ、実は、その化け物…私たちの人形にソックリなんだよ…」
言葉を詰まらせた妻に代わり、金戸建志が怪異の容姿を語った。しかし、金戸あやは耳にキーンと響くような声を上げる。




