第22話
「っっ!!」
突然、少女の声が人形から聞こえ、間下は跳ね上がるように飛び退き、志貴は驚いて仰け反った拍子に腰から床に倒れ込みそうになった。バクバクバクバク…とうるさい心臓を押さえながら、志貴は人形を覗き込む。
「人形の国のプリンセスドールよ」
「…どうも、はじめまし」
「私はマリー、人形の国のプリンセスドールよ」
人形に挨拶を試みた志貴だったが、人形は「私はマリー、人形の国のプリンセスドールよ」という音声を繰り返すばかりだった。どうやら、物音や動きを感知して録音された音源が流れる仕組みになっているようだ。
「怪異か?」
「分からない、ただの人形みたいだが…本当に生きているみたいだ」
志貴の感嘆まじりの返答に、とりあえず間下は銃を下ろす。自分たちが追っているのは「人形の怪異」だ。異様なほどまでに精巧な人形がベッドで人間のように眠っているのだから、警戒せずにはいられなかった。ただ、志貴の言う通り、照明などに異変もなければ、人形が動き出したり、自由に喋り出したりすることは、今のところない。
―――だが、気味が悪い。
間下は心の中で呟く。人形が眠るベッドの傍らで佇む車椅子をはじめとして、学習机の教科書のたわみ、椅子のクッションの凹み、鏡台に置かれた櫛に残る白銀の髪の毛、どれも飾りとして置いているのではなく、日常的に使用している跡が残っている。探索するたび、そういった痕跡が目については、この人形が生きているようで不気味だった。
「それにしても、すごい数だな…」
人形…マリーの部屋は白を基調とした令嬢の部屋だが、天蓋付きのベッドと同じくらい存在感のある横長の棚には、古めかしいアルバムがずらりと並んでいた。
「あ」
怪異の情報を求めて、アルバムを開いた志貴の言葉に間下は横から覗き込む。そして、また、その眉間に皺を寄せることとなった。白銀色の髪の毛をたなびかせながら、日傘を持った人形 マリーが車椅子に座っている写真だった。車椅子の後ろで老齢な女性と金戸建志が微笑んでいる。
「マリーと散歩している写真ばかりだ」
「車椅子を押しているのは金戸建志の妻だろうな」
眼鏡を取った状態で何も知らずにアルバムを見れば、足の悪い娘を連れた夫婦の仲睦まじい様子が切り取られた思い出の品々に見えるだろう。いくつものアルバムを捲るが、どれも老夫婦と車椅子に乗った人形 マリーの写真ばかりだ。マメな人なのか、アルバムの背表紙には、一九八八年一月と年月や旅路の内容などが端正な字で事細かに書かれている。
「最近のものがないな」
二〇一二年七月と書かれた背表紙のアルバムを最後に、それ以降のアルバムがない。アルバムの裏表紙に記載された日付を見るに、今まで月初めに前月分のアルバムを制作していたようだ。
「時期的に、生きている人形の噂や目撃談が出始めた頃だ」
今から二か月前…ちょうど、人形が命を得て死んでしまうまでのアルバムがないことになる。
「愛娘、だったんだろうな…」
アルバムにも書かれた手書きの「Mary」という文字…数十年に渡り、少女人形を娘のように可愛がったのだろう。この旅の写真の数々や教科書やネーム入りの文房具は筆記体で「Mary」と書かれたオーダーメイド製、人間が着れるほどの高品質な着せ替え用ドレス…。
もし、大切にしていた人形が御伽噺のように生を得たとしたら、たとえ、元の人形に戻っただけだとしても、老夫婦にとって娘を失ったのと同義だったのではないだろうか。家族を失った悲しみに明け暮れてもおかしくない。だが、マリーも老夫婦に可愛がられて幸せだったのではないだろうか。
「犬や猫の代わりだな」
「…」
やけに冷たい言葉だ。思わず、ジト目で間下をじっと見てしまった。しかし、間下からしたら、これでもオブラートに包んだ方だったらしい。
「コイツが怪異じゃないなら、それでいい。次の」
間下は口を閉ざして、胸元の拳銃へと手を伸ばす。廊下から足音がしたからだ。足音は一人ではない…二人分の足音、小声の喧騒が聞こえて、扉が開かれる。志貴の目に映ったのは年老いた男性と女性であり、写真に写っていた二人でもあった。




