第21話
首を、絞める…?
その考えが頭に響くと志貴は疲労も音も忘れて、妙に落ち着いた頭で眼前の間下をゆっくりと見下ろし………その首を見つめていた。
「首…」
志貴の視線は間下の首に釘付けになっていた。手をゆっくりと伸ばし、その無防備な首へと手を這わせる。手に力を込めれば、徐々に気道を圧迫していく。首を絞められているというのに、こちらを見上げるばかりで抵抗ひとつしてこない間下をいいことに、さらに力を込めていけば、間下の息を呑む音や血の流れを強く感じた。
血の気の引いた皮膚越しには生きている音が揺蕩い、温かな感触がある。
「っ、ぐ」
「す、すまん!」
酸素を求める声に、志貴はぱっと手を離す。そして、何をしてるんだ、自分は…という困惑と、なんて事をしてしまったんだという後悔や懺悔の気持ちと共に手を下げていく。
かはっ、ごほっと咳き込む間下の姿に志貴は背中をさすり、自身がしでかしたことへの恐怖で震えていた。
間下はそんな志貴を責めることも、許すこともなく、ただ一言。
「て、ん…じょ…ぅ」
志貴は間下の言葉に従って、天井を見上げると大きく凹んだメンテナンスハッチを発見した。赤ワインから逃れるように天井へと手を伸ばし、ハッチを押すと僅かに開いて…志貴はエレベーターに立っていた。
先程までの出来事が夢だったかのように、エレベーターには赤ワインによる浸水の跡が無く、照明は全て異常なく点灯している。まもなく、ポーンという音を立てて扉が開き、二階へと着いた。ボタンを押した通り、二階という目的地にちゃんとエレベーターが到着していたのだ。
「どうなってる…?」
赤ワインを含んで重たくなっていたはずの服は濡れてさえいない。あれが全て幻覚だったとでも言うのだろうか…服を触りながら志貴は呟く。
「っ! 間下」
間下を探せば、手すり付近で倒れていた。志貴が声をかけても目を開けなかったが、正しい呼吸をしているのを確認して一息つく。前にもあったように突然、眠ってしまったのだと志貴は判断して、間下を抱えあげると二階へ足を踏み入れた。
この状態で進みたくはなかったが、エレベーターに長居もしたくないため、近くの扉を開けて部屋を覗き込む。三人掛けのソファが置かれているのを見つけ、そのソファに間下を転がすと志貴は床に膝をついて大きく息を吐いた。
眠っている間下の首元を見れば、自身の手形が痣のように残っていた。間下への申し訳なさと同時に何故、あんなことをしたのかという疑問が膨れる。志貴は自分の臓腑に悍ましさを感じ、思考を散らすようにして部屋の様子を見回した。
この部屋は、家主の書斎だろうか。シックなデザインの家具で統一された部屋であり、飾られている絵画や本棚を埋め尽くす洋書が書斎の雰囲気によく合っている。ただ、多趣味なのか、本の背表紙を見ても、まとまりが無い。別言語の本が雑多に置かれているし、見せるための部屋なのかもな。ソファの数や勲章を上座から見える位置に飾っているあたり、この部屋に人を招くことがあるのだろう。
「ぅ、ぐ…」
「間下…?」
うめき声にも似た声に志貴は間下の顔を覗き込む。まもなく身じろぎして、その目を開けた。
「…」
「間下、平気か…?」
その言葉を絞り出しながら、志貴は赤くなった目や喉元を押さえる間下の姿を見て、己が言えたことかと罪悪感に駆られていた。
「…悪かった」
謝ったのは、間下だった。
「え?」
「エレベーターでのことだ、迷惑かけた」
口調はいつもの間下に戻っているが、どことなく、しょんぼりとした様子に志貴は首を横に振って「俺だって」と謝罪しようとして睨まれる。
「謝るな、あれで正気に戻れたんだ。良い手だったんだろう」
方法は考えて欲しかったがな…と睨む三白眼は謝罪以外の返しを待っていた。
「……き、気にするな。一蓮托生、なんだろう…?」
「…ふ、ふふっ」
堪えきれないと言った様子で笑う間下に「ひとまず、よかった…」と志貴は胸を撫で下ろす。
「で、ここは二階だな? 探索するぞ」
「平気なのか。もう少し横になってても」
「問題ない。それに、あまり休んでる暇もないだろ」
間下は腕時計を確認するとソファから軽やかに立ち上がり、よろけることもなく部屋を見回し始めた。
「金戸建志…製薬会社の社長か」
社長と言われれば、家の豪華さも納得がいく。人を通すこともあって、身綺麗にしているのだろう。壁に飾られた額縁を見れば、医療センター、被災地域、児童養護施設への寄付や支援活動、地域のイベントで審査員や挨拶をしている写真もある。間下の方は家主のデスクから灰皿を退けたり、引き出しを開けたりして「色々な国に行ってるな。胡散臭い骨董品屋で買った曰くつきの人形じゃないだろうな?」と言いながら、遠慮なく金戸建志のパスポートをペラペラと捲っている。
「大学も有名どころだな。海外への留学経験もある」
「イタリアか…。間下、夜はマルゲリー…」
「なんだ、ピザでも食いたくなったのか。生憎、うちの冷蔵庫にそんなもんないぞ」
「そうか…」
「御所望のマルゲリータがあるかは知らんが、帰りに冷凍のヤツを買えばいい」
「そうだな。アランチーニもあればいいんだが」
「アランチーニ…?」
「ライスコロッケみたいなものだ。酒のつまみにもなると思う」
そんな話をしていたら、ガタリっと廊下の方から物音がした。会話は止まり、二人の視線は自然と廊下に繋がる扉へと向いた。物音が続くことはなかったものの、念には念を入れて銃を構えた間下が扉をゆっくりと開けていく。その背後から志貴も廊下の様子を伺った。
…廊下に人影や怪異の姿はない。
「気のせいか?」
「どっかの部屋に入り込んだ可能性がある」
辺りを警戒しながら、書斎の先にある一室…その部屋の扉を開けた瞬間、二人はピクリと身体を強張らせた。扉を開けた先、白い部屋の中央に置かれた立派な天蓋付きのベッドに白銀色の髪をした少女が横たわっていたからだ。しかし、すぐに精巧な造りをした人形だと二人は気づいた。
「これは、過去視で見た…」
小学生ぐらいの大きさをした球体関節人形は、過去視した際に見た人形と似ている。しかし、あの時とは違って、カールのかかった白銀色の髪の毛、海を思わせるような青と白色のフリルをたっぷりあしらったドレス、頭の上で輝くティアラと閉じた瞳、まるで御伽噺に出てくるプリンセスのような出で立ちだ。
「縛られているな」
掛け布団こそ掛かっているが、ベッドに縛り付けるように人形の足、胴体、胸部がロープで縛られている。
「これが、命を宿した人形なのか」
金戸家、白い髪、少女人形…目撃談の容姿と特徴が一致している。それに、この人形のために天蓋付きのベッドがある一室を与えているのだから、噂通りの家主たちの溺愛ぷりが良く伝わってくる。
ただ、縛られているということは、やはり何かしらの異変が…
「私はマリー」




