第20話
「エレベーターか。地下と二階があるみたいだ」
一階をあらかた調査したが、住人も人形も怪異も見つからないまま、エレベーターへと辿り着いてしまった。外から平屋ではないのは確認していたが、階段ではなくエレベーターが家の中に備え付けられているようだ。
「…扉が広めだな。車椅子でも使っているのか」
エレベーターを覗き込んで操作盤を見つめていた志貴の隣で間下は個人宅にしては広めの空間が確保されたエレベーターを見て呟いた。一階の所々には人の住んでいる気配があったものの、肝心の人影が見当たらない。
「地下と二階、どっちに行く」
「どっちでも構わん。どうせ、後で調べるんだからな」
「それじゃあ、二階からでいいか」
二階ならば、照明の明かりだけでなく日差しも入ってくるだろう。二人はエレベーターに乗り込み、「②」と書かれたボタンを押すと、エレベーター内の照明がチカチカと点滅し…身構える間もなく、エレベーターが急降下を始める。
二人が近くの手すりに掴まると同時に激しい水音を立てて、エレベーターは着水した。じーん…と二人の手首に振動が伝わる…悲鳴でもあげていたら舌を噛んでいても、おかしくなかっただろう。
「っ、志貴、動けるな!」
「あぁ」
落ち着く暇もなく、今度は扉の隙間から水飛沫が上がり、赤い水が流れ込んでくる。
「開けるぞ」
立て続けに起こる異常の一切を無視して、二人は水没していくエレベーターからの脱出を最優先に行動する。扉の隙間に指を差し込み、こじ開けようとした。しかし、落下の衝撃で歪んだのか、何かしらのロックがかかったのか、二人の力をもってしても扉が開くことはなかった。あっという間に腰まで赤い水が浸水してきた様に志貴は唾を呑み、沈没船に閉じ込められたかのような絶望感をひしひしと感じていた。
「ま、間下」
扉が開かない、なら、次は…志貴は手を伸ばし、間下へと視線を向ける。
「はっ…はっ……」
「間下!」
「っ!」
伸ばされた手を間下が掴めば、思惑通り、芋虫のカタチをした火傷がウネウネと息づき、その口を開く。
【うわべのみをば まこととみるな】
うわべだけを見るな? その言葉の意味を考えていると視界が揺らぎ、志貴の視界は突如として暗闇に包まれた。
これは…こんな時に、過去視…!
そんな場合ではないと間下の手を離そうとしたが、強く掴まれており、息つく暇もなく「お母さん‥」という子供の声が聞こえた。
「お母さん、ねぇ、お母さん…もう出してよ。 出して! 暗いよ、ここ」
子供の泣きそうな声と暴れる音が聞こえる。お母さんに閉じ込められているのか? 目を開けているのに真っ暗なままだ。…前に見たコインロッカーの怪異と似ている。状況が環境音と子供の声だけでしか推測できないが、喋れている以上、幼稚園児ぐらい…だろうか? それに、この音は波? …海か? 肝心の「お母さん」の声は聞こえてこないが、子供がどこかに閉じ込められて運ばれているようだ。
「お母さん? お母さん、出して…開けてよ…嫌だ、ここ暗い!」
その声が聞こえた数秒後、水に飛び込むような音が聞こえ、バコバコ…という音と子供の泣き叫ぶ声が聞こえた。それ以上に、大きな水の音が聞こえ、瞬く間に顎下まで水位が上昇してきた。
「っ!」
「ごぽっ…かぁ、さん、助けて! 助けて! ‥う、嫌だ、嫌だっ!」
子供が溺れている。まさか、閉じ込められたまま、水の中に入れられたのか? キャスターかボストンバッグに入れられている状態なんだろうか。これが今回の怪異の過去なのか。エレベーターに俺達を閉じ込めて、自分が死んだ死因つまり溺れさせて殺そうとしているんだろうか。
徐々に現実へと引き戻される感覚に瞬きすると、地獄のような現在へと回帰した。気づけば、胸下まで水位が上昇してきており、芋虫は意味深な言葉を残して元の火傷に戻っていた。…今のが、ここを切り抜けるヒントなのか、それとも、怪異の悲しみの記憶か。
「どうす、る…間下?」
つながれた手から震えを感じ、志貴が顔を上げれば、うつむく間下の横顔が見えた。その顔は血の気が引いており、ただでさえ白い肌が死人のように青ざめていた。呼吸もおかしいことに気づき、志貴は間下に声をかける。先程、反応が鈍かったのは、周囲の轟音によるものだと思っていたが、まさか体調が悪いのかと背中をさすってやる。
「っ、あ」
志貴の手が触れた途端、間下は平衡感覚を失ったかのように前のめりに倒れていく。慌てて志貴がその腕を掴むが、間下は払い除けた。そして、志貴を突き飛ばしたかと思うと間下は怯えた様子で後退り、近くの手すりに掴まろうとしたのか、見誤って今度こそ赤い水に倒れ込んだ。
「がっ、ごほっ、ぉ、おかあさん、ごめんなさい、ごめんなさい」
「…間下? どうしたんだ……?」
「はっ…っ……はっ、ごめんなさい、だして」
志貴の声が聞こえているのか、いないのか、間下は酷く怯えた様子で謝り続けている。
「だ、大丈夫だ。…大丈夫だから」
志貴は混乱や恐怖、焦る気持ちを心の内にしまいこみ、努めて優しい声で話しかける。泣き出した子供に話しかけるように、様子のおかしい間下にゆっくりと近寄って声をかけ続ける。
「っ、いうことをきくから、だして、おかあさん」
決壊したかのようにボロボロと泣き始めた間下を見ながら「泣いてる、あの間下が? 何が起こってる? どうすればいい?」という気持ちを志貴は呑みこみ続けた。
「一緒に、ここから出よう。だから、泣かないでくれ」
「ひっ、ぁ、だし、て、ここ、いやだ」
いつもの眉間の皺の代わりに眉を八の字に下げた幼げな表情の間下は志貴に泣きつくようにしがみついた。子供ならまだしも成人男性に突然しがみつかれ、腰を痛めそうになった志貴だったが、なんとか耐えて受け止める。片方の手を壁につき、もう片方の手で間下を支えながら…志貴は必死に考える。
間下の異変も心配だが、ここから出なければ…二人してエレベーターの中で溺死する。既に水位は志貴の胸部まで上がっており、匂いのせいもあって息がしづらかった。
匂い…?
薄っすらと漂っていた匂いは水位が上がるにつれて濃厚になっていた。その匂いに覚えがあった志貴は思い切って、赤い水を口に含んで口内で転がす。
…ワイン? 赤ワインが口内を潤すが、不気味と言うこともあって直ぐに吐き出した。
「大丈夫、大丈夫、大丈夫……」
グズグズに崩れてしまった間下に同じ言葉を何度も繰り返し、とにかく志貴は手すりを足場にして少しでも高い位置に逃げる。
どうすればいい、何か、何か…何か……
『手に力を込める、首を絞めるために』




