第2話
「志貴、覚えている限り、今までの事を全て話せ」
そう言われて、志貴は自身の信頼を得るため、身に起こったことを語り始めた。目覚めたのは数分前のこと、意識がはっきりすると先ほどの路地裏に立っていた。何故、こんな所にいるのか…と思い出そうとしても、何も思い出せない。それどころか、名前も住所も全く思い出せない。「しき」という謎の言葉以外の記憶を失っていることに気づき、途方に暮れていると間下が対面から歩いてきた。そこで、すらすらと身の上を語っていた志貴が言葉に詰まった。
間下が目線だけで、続きはどうしたと促す。
「えーと、そう、だな。間下が俺を支えてくれただろう。その時に起こったことを、どう説明すればいいか。うーん…怒らずに聞いてほしいんだが…」
「内容による」
「間下の周りに…怪異? が沢山いたんだ」
記憶を失ってから初めて会った人間…間下には夥しい数の「何か」がこびりついていた。生き物の成れ果てのような、魂の残滓のような、正確には言葉では表せない。ただ一つ言えることは、それらはこの世の者ではないということだけだ。それゆえに、簡略化して志貴は不可思議な現象や出来事を指す「怪異」という言葉を用いた。
「…怪異だと?」
「俺も未だに信じられないんだが、確かに居たんだ」
「そんな馬鹿げた…」
そんな馬鹿げた話あるかという否定は言葉にならず、巨大な女のことが間下の脳裏をよぎる。現実ではありえない現象を目の当たりにした以上、ありえなくもないと思ってしまった。
「俺の周りにまだいるのか?」
間下は視えないと分かっていながらも、周りに視線をやった。
「いない‥と思う。少なからず、今の俺には間下しか見えないよ」
「アンタが追い払ったのか?」
「多分…?」
「……俺に何をしたのか、アンタも分かってないのか」
頷く志貴の姿に間下は一つの区切りをつける。志貴は自分に悪意を持って近づいたわけでも、故意に陥れようとしたわけでもない。そう判断するのと同時に、これ以上の尋問は無意味だと間下は息を吐いた。これで、全てが演技だったなら見事なもんだと疲れ切った思考で結論づける。
「一応、何か持ってないか探せ」
先程の出来事から触ることは憚れ、指をさして志貴に指示を出す。志貴も自分が何者なのかを知るため、服のポケットの裏地が見えるまでひっくり返して探し回った。
その結果…
「それだけか」
志貴の手には鍵が一本だけ握られていた。裏ポケットから出てきたものだが、どこの鍵か持っていた本人にも分からない。
「それも…私物じゃないな」
鍵と擦り切れた名札は形状を見てもロッカーの鍵ということしか分からない。
「家の鍵、財布すら持っていないのか」
記憶を失う前に追い剥ぎにでもあったのかというぐらいの着の身着のままスタイルに、間下は呆れたような目を向ける。そんな視線に志貴は苦笑いを返して口を開いた。
「えーと、間下は…」
仕方がないとはいえ、見知らぬ男に自分ばかり探られるのは、あまり良い気はしない。
「俺は警察だ。この火傷に関わる事件を担当している。…これで、満足か?」
今度は自分が質問攻めをしてやろうと志貴が尋ねれば、「間下詩」と書かれた警察手帳を見せられ、求める答えをすぐに提示されてしまった。志貴は勢いを失くすと同時に安堵の吐息を漏らす。
やっと、苗字と容姿以外謎だった青年 間下の情報を手に入れたからだ。どっちにしろ、彼の言葉を疑っても疑わなくても彼に助けてもらった方が、散々な結果に陥らずに済みそうだと判断した志貴は、それらを言葉に出さず、彼の言葉を信じて空っぽの記憶の器を少し満たした。表面的だが、相手を知った二人は不審者に相対した時よりかは、警戒を解いた。
「その、俺は…これから、どうすれば…」
「アンタには悪いが、警察や病院に行ってる暇はないぞ」
「え?」
てっきり、保護をしてもらえるだろうと思っていた志貴は目を丸くする。
「この火傷が出ると三日以内に死ぬからな」
志貴は唐突な余命宣告に口を薄っすらと開き、残酷な言葉を述べた間下をさらに丸くなった目で見下ろした。間下は年上の男があたふたする姿を眺めながら、どこから話すべきかと思案する。
「その…説明してくれるか。何も覚えてないんだ」
「さっきの感じだと、『連続心中不審死事件』も知らないんだよな?」
「すまない…。全部、教えてくれるか」
志貴の言葉に頷き、間下はビルの壁に背を預けたまま、世間を騒がせている『連続心中不審死事件』の概要を語った。
三か月前から犬鳴市では謎の不審死が続いている。始まりは、手をつないだ男女の焼死体が焼け跡から見つかった事件。遺留品等から男女だと分かったとはいえ、尋常ではない死に方だった。当初、警察では恋人たちの心中だと思われていたが、その日を境に二人組の遺体が見つかるようになった。性別や年齢、死因に共通点は無い。まして、心中した二人の関係性に至っては血縁関係であることもあれば、友人、知人…既知のない二人が遺体となって見つかった例もある。だが、唯一…どの遺体にも芋虫のような形をした火傷があった。
さらに不可解なのは、被害者たちが遺体として見つかるまでの足取りが一切掴めないことだ。ある日、突然消えたかと思うと、三日以内に遺体となって見つかる。
当時は他殺の可能性も考えられていたが、第三者の存在が無い点や被害数から、その可能性は次第に薄れていった。警察も事態解決の為に捜査をしているが、この不審死の原因を突き止めることが出来ていない。
犠牲者の数に対して、分かったことは、身に覚えのない芋虫のカタチをした火傷が手腕に現れたら、三日以内に惨たらしく死ぬということのみ。
どのような対策を警察がしようとも、忽然と姿を消した被害者たちが生きて見つかることはなかった。世間では風土病あるいは犯罪グループによるものではないのかと混乱が生じ、SNSでは心中流行中など不謹慎な言葉が盛り上がり、二次被害が生まれる。警察も病気あるいは心中として扱う他なかった。しかし、被害者たちの足取りや死に様には、現状証拠だけでは説明できない恐ろしいものを間下は感じていた。いや、間下だけではなく現場に居合わせた者全員が感じていた。
「巨大な女の目撃情報なんて、今までなかったが…」
間下は自身の右腕に焼きついた芋虫を見つめながら呟いた。捜査の過程で被害者に火傷がつくまでの説明を色々な人間に何度も求めてきたが、一言として「巨大な女」についての情報が出たことは無い。
「と、とにかく、三日以内に俺たちは生き残る方法を探さなきゃいけないんだな…?」
顔に出るほどの困惑と落ち込みように間下は同情する。記憶喪失になったうえに、誰一人として生還者がいない難題に挑むことになったのだから。間下も口にはしなかったが、不審死した人間たちと同じ火傷が右腕に刻み込まれていることに不安と嫌悪感、そして危機感を抱いていた。しかし、実のところ、志貴は妙に落ち着いていた。深刻な記憶喪失に加えて、三日の命となったと言われても、実感というものが湧かなかったのだ。一周回って冷静になったというのが、近いのかもしれない。
「情報はくれてやる。命がかかっているんだからな」
だから、アンタも考えろと言われた志貴は記憶喪失の自分にどうしろ…と思いながらも、長考中の間下の真似をして、自身の左腕をじっと見つめてみる。
「…手をつないでみないか?」
志貴の呟きに、思わず間下はしかめっ面になる。
「手をつないだ遺体があったんだろう? 真似をしたら、何か分かるかもしれない」
そう言って、志貴は左手を差し出した。間下は意図を察するも先程の事が頭に浮かぶ。しかし、解決策が思いつかない以上、仕方がないと嫌々、右手を伸ばして志貴の手をとった。
ピリッと慣れない感覚が流れ込んでくるが、二人はよろけながらも互いに抑え込む。奇妙な火傷は二人が手をつなぐことで、子供が絵筆で描いたような二匹の仲良し芋虫に見えなくもない絵となった。
どちらかが何かを言う前に、声がビル内に響く。
【かぎひとつ こよいあけねば はつるみぞ】




