第1話
その火傷が現れた者は、三日以内に死ぬ。
犬鳴市では「連続心中不審死事件」が相次いで報じられていた。
犠牲者たちの共通点は一つ。
芋虫のような形をした火傷が身体に現れたら、三日以内に死ぬということのみ。
記憶喪失の男・志貴、事件を追う警察官・間下詩は怪異との遭遇をきっかけに火傷を刻まれ、異界へと招かれる。事件の当事者となった二人は怪異と対峙しながら、事件の真相を追うこととなった。
「不服だろうが、アンタと俺は一蓮托生だ。生きたいなら協力しろ」
「不服? 間下で良かったよ。こちらこそ、頼りない男だが…よろしく頼む」
これは怪異を解き、心の歪みを暴く物語。
――― 満月の夜、運命は交差する。
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――― 満月の夜、運命は交差する。
美しくも危険な夜の繁華街、その路地裏で二人は出会った。
相手に抱いた第一印象は、互いにあまり良いものではない。片や無精ひげを僅かに伸ばし、髪も好き放題に跳ねるメガネをかけた男性、片や短く切られた黒髪が邪魔にならない程度に整えられているとはいえ、隈が目立つ人相の悪い青年である。人気のない場所かつどちらも人目を気にしない姿だった為、互いに相手を見合って警戒していた。この一種の膠着状態は間もなく、先に声を出した青年によって解かれた。
「アンタ、こんな所で何している」
八時を過ぎた夜中の路地裏を一人でうろつく浮浪者に質問を投げかけたのだ。近頃、謎めいた事件が頻発していることもあり、青年は疑いと心配の眼差しを男性に向ける。あわよくば、怪しい人物を目撃していないか、情報提供を願いたいところだった。男性が歩いて近寄ってくる間に肩甲骨や首をバキバキ鳴らして返答を待つが、一言も返事がない。青年は不審に思い、深夜の霞む眼で男性の顔を再び見る。
「…どうし」
何かやましいことでもあるのか…という疑問の声より早く、男性が盛大に躓いたのだと理解した青年は咄嗟に男性の手を取って体を支えた。しかし、手が触れあった瞬間、そこから経験のない感覚が青年の体に濁流の如く流れ込む。
静電気かと思ったのは刹那のことで、青年は腰が抜けるほどの強い刺激に混乱する。元凶であろう男性の手を振り払おうとしても力が入らず、それどころか強く握られる。青年は何をされたのか分からず、とにかく掴まれていない…もう片方の手で男の手の甲に爪を思いっきり突き立てた。男性が痛みに驚き、力を緩めた隙を狙って手を引き抜くと、青年は真横にあったビルの一角に男性を突き飛ばした。
受け身を取る暇もなく、男性は強かに腰を打ち付けて二転、三転…とビルのタイルの上を転がる。
「何しやがった!」
青年は痺れる思考や身体を制して、怒鳴り声にも近い声音で言い放った。その恐ろしい形相とは裏腹に、悟られまいと恐怖で早まる鼓動を理性で必死に押さえつけていた。あの感覚を青年は経験したことがなかった。何より、抗えなかったことが恐ろしかった。スタンガンを一撃もらった時よりも刺激と翻弄される時間が長く、出来たことと言えば、男の手に赤く細い筋の傷をつけたことぐらいだ。
訳が分からないまま、青年は一定の距離を置き、出会った当初よりも厳しい目つきで男性を睨みつける。しかし、先ほどの刺激で感覚が鋭敏になった青年は小さな異変を感じ取った。
押し入った無人の廃ビルのどこからか、嫌な視線を感じるのだ。青年は辺りを探るように目を動かすが、薄暗い建物に男性と自分以外の人影はない。
「あそこ…」
青年が状況を理解しきる前に男性が口を開いた。横目に男性を見ていたため、近寄っていないのは分かっていたが、男性は怯えるように上を指差している。それが嘘ではないと分かった青年は新たな不審者の可能性に身構え、男性が指差す方向を見上げた。
女
巨大な女が天窓から二人を観察するように覗き込んでいた。着物に身を包んだ子供だが、十五メートル以上の体躯は確実にある。巨大な女は煩わしそうに長くキレイな黒髪をかき上げて耳にかけると弧を描くようにして微笑み、二人に人差し指を向けた。
「あめんぼ…」
じわっと二人は異変と悪寒を感じ、青年は右腕、男性は左腕をほぼ同時に見た。いつの間にか、奇妙な火傷が腕から手の甲にかけて焼きついていた。そして、二人が再び顔を上げた時には、澄み渡る夜空に浮かんだ月が彼らを照らすばかりだった。しかし、突如として現れた火傷が巨大な女が幻だったことを否定する。
「何だ…今のは…」
男性は震える身体を抑えるように手を胸に当て、助けを求めるように青年を見る。だが、青年も右腕の火傷を見て、自分と同じく狼狽えていた。
「これは、被害者と同じ…」
「被害者?」
「知らんのか。巷で有名な『連続心中不審死事件』と同じ火傷だろ」
さも当然のような物言いをされて男性は困惑した表情を浮かべる。青年はいつもの癖で冷静さを装い、そんな男性の顔を観察するように視線を上げた。
「アンタ、何者だ?」
巨大な女が居なくなり、再び青年の興味は不審な男性に向いた。未解決事件と同じ火傷、夢物語のような巨大な女、謎多き男性、青年にはどれも理解し難い経験ばかりであり、情報収集のために仕方がなく不審な男性に声をかけた。
「わ、分からない」
「は?」
青年の眉間の皺が濃くなると、男性は申し訳なさそうに青年から目を逸らした。
「き、記憶が無いんだ」
黙秘のための嘘と言う可能性はあるが、青年の直感はそれを否定した。目の前の不審な男性が本当に困っているように感じたからだ。実際、男性は青年以上に混乱し、己の身に起こったことに対して困り果てていた。
「記憶喪失というやつか」
「多分…。名前も……分からない。思い出せないんだ」
男性は憔悴しきった顔で呟いた。青年は睨みを利かせたまま、縮こまる男性を観察する。
「俺は間下だ。他に覚えていることは無いのか」
青年は間下だと名を明かし、職質する時のような心持ちで男性に問いかける。
「……「しき」」
「しき…。漢字だと、どう書く」
「分からない」
「…そんな言葉は覚えていて、自分の名前は忘れたのか」
「ははは…」
「笑い事じゃないだろ、馬鹿が。それにしても、名前がないのは不便だな」
初対面しかも年齢が自分よりも下であろう若者に馬鹿と言われて落ち込んでいる男性を放っておき、間下は口を開く。
「はぁ…仮だが、「志貴」と名乗っておけ」
愛用の手帳に「志貴」と書いて、男性の顔に押し付けるように見せつける。
「そのま…、間下が呼びやすいなら、それで構わない」
そのまま過ぎないか…と言う言葉は見えない圧力によって、かき消され、記憶喪失の男性は「志貴」となった。




