第15話
「失礼ですが、皆様、どのようにして異界へ?」
「えーっと、ですね! こう見えて、兄は生活力ゼロでお弁当とか、よく忘れちゃうんですけど、昨日も…」
天気予報と曇った空模様を見て、兄が大学から帰る頃に雨が降り始めるだろうと思った由良は、言ったのに忘れていった傘を届ける代わりに夕食を買う際の荷物持ちをしてもらおうと浦江洲大学に向かった。しかし、天気予報は大きく外れて曇っていた空は夜に近づくにつれ、晴れていった。せっかく、持ってきた傘は不要になってしまったが、兄と一緒に由良はスーパーに向かっていた。
「それで、兄と夕食は何にしようかな…とお話しながら帰っていたら、泥で出来た化け物に襲われたんです!」
由良は擬音語を交え、庵が詳細を説明する。大学からの帰り道で出会ったのは、泥のような怪異だった。頭が不自然に膨張した小学生ぐらいの人型で金切り声をあげるたび、血管が切れたかのように頭から泥水を噴き出し、それがウォーターカッターのように辺りを切り裂いたという。
「一撃一撃が木を倒し、コンクリートを大きく傷つけるようなものだった。当たれば、胴を半分に切断されてもおかしくなかっただろう」
「それに、足元がぬかるんでいて、避けるのも大変で…本当にもう、生きた心地がしなかったです!」
由良は一呼吸おいて庵を見上げた。
「でも、兄が化け物の攻撃をシュパシュパ! と避けながら近づいて行って、ズドーンと倒したのです! 私は逃げることしかできなかったけど、なんかもう凄かったんですよ!」
「倒せたかは分からないぞ、由良。相手は化け物だ、動かなくなっただけで、また襲い掛かってくるかもしれない」
「ふ…ふふふっ、物理的に怪異を昇天させてしまわれたのですね」
玉得はもう笑うしかないといった表情だ。
「火傷は何時ついた」
黙って聞いていた間下は庵と由良の手に刻まれた火傷を指す。
「これは…昨日の、正確な時間は分からないんですけど…。多分、化け物と戦った時?」
「巨大な女は見なかったか?」
「…? いや、見なかった、と思いますが…」
志貴の問いに庵は逡巡した後、首を横に振って伏せ目がちで呟いた。
「あれは…、生きた心地がしなかったな…」
「もう二度と体験したくないですよ、ほんと! …ま、今日も怪異に襲われちゃったんですけどね」
庵の言葉に同意するように首を縦に振りながら、由良は頬を膨らませる。
「その怪異は?」
「兄と志貴さん、間下さんが倒しましたよ! 四本の腕がある人形で、もうあれは、殺人マシーン! ブンブン武器を振り回して…」
志貴や間下と同じく、人のいない異界に巻き込まれた二人は夜の移動は危険だと考え、浦江洲大学で一夜を過ごしたそうだ。日が昇り、ひとまず家に帰ろうと廊下を歩いていた矢先、先程の怪異…由良曰く殺人マシーンのような人形の怪異に襲われた。戦いの途中で化け物は無防備な志貴と間下に標的を変えたようで、庵を置いて駐車場に向かっていったらしい。
「…」
志貴は今更ながら、動揺していた。そもそも、自分たちは人形の怪異を祓う為に浦江洲大学を訪れたというのに、既に目の前の青年によって倒されている。
「他の人形の怪異は見なかったか?」
「いえ、見てないですけど」
「そうですね…。この大学内に怪異はもう存在しないようです」
「そ、そん、っい゛!?」
玉得の言葉に志貴は更に口を開こうとしたが、足を踏まれて痛みに仰け反る。
「そうか。なら、いい」
間下は志貴の前に出て、下がっていろと口に出さなかったが、態度で示した。
「この異常事態については、なんとなく理解した。情報提供、感謝する」
「いえいえ、異界では人同士の助け合いは大切ですから。ともかく、この異界は危険に溢れています、どうかお気を付けください。あぁ、よろしければ、今から私が仕える神社に参りますか?」
玉得は名案だと言わんばかりの顔で提案した。志貴や由良は安全そうだと頷こうとしたが、庵は「迷惑をかけるわけにはいかない」と首を横に振り、間下も事件の調査があると言って断った。
由良は「どうして~?」とごねるように庵へと詰め寄る。庵は毅然とした態度で、しばらく厄介になるのであれば、家の片づけをし、由良のお泊りセットを持って行かなければならない。それに、菓子折り一つくらいの手土産が必要だろうと礼儀を諭した。
「この非常事態ですから、そのような心遣いよろしいのに…。それでは、困った時は神社にいらしてくださいね」
「はーい」
「皆様のご武運をお祈りさせていただきます」
志貴はその様子を遠ざかりながら見守っていた。何しろ、間下に問答無用で腕を掴まれて引っ張られているからだ。玉得や庵たちと分かれた志貴と間下は歩き出す。
「離れてどうするんだ? 件の人形はもう庵が…」
良い意味で考えれば、庵が倒してくれたおかげで条件は達成したことになった。悪い意味で考えれば、要であった人形を倒されたせいで、条件を達成することが出来なくなり、既に二人は立ち行かなくなっている。
「芋虫野郎から新しい指示がない」
間下は乱暴に志貴の手を取って握りしめ、火傷が反応を示さないことを指摘する。
「人形が壊されたせいで俺たちの余命は決まったか、あるいは、俺たちの獲物は別にいるか、だ」
「なら、なおさら、玉得さんに頼るべきじゃないか?」
自分と間下しかいないと思っていたこの世界で、庵兄妹や神社の巫女「玉得綾子」、弓を携えた男「花染壱衛門」と取り巻きの女性…五人の生存者に出会えた。生存者同士で助け合えるならば助け合うべきだと思うし、自分達よりも、この異界について詳しそうな玉得を頼るのも手だと志貴は考えていた。
「火傷については、私の力じゃ助けられないと言われたばかりだろ。神社に籠っていたところで事態が好転するとは思えん。最悪、巻き込んで死体が増えるぞ」
「うっ、それは…嫌だな」
「そもそも、芋虫は【あけぬまに はらえはらえや ひとがたを】としか言わなかった。大学にいた人形の怪異とは限らんだろ。それに、アンタが言ったんだ。浦江洲大学の駐車場に俺は立っていた、と」
「あぁ、だから、浦江洲大学に」
「駐車場だ、そこを探す」
間下に手を離されたかと思えば、見覚えのある駐車場に来ていた。
「その顔、こっちが当たりだったか」
過去視と全く同じ光景に驚いていた志貴の顔を見て、間下はそう言うと志貴の胸ポケットを指さす。志貴は気圧されながらも、コインロッカーで手に入れた車の鍵を取り出した。まさかとは思いつつ、ボタンを押しながら駐車場内を練り歩くと…まもなく、少し汚らしいハイエースが返事をした。




