第10話
太陽がテッペンを陣取る真っ昼間、ビルの屋上にて酒盛りが行われていた。
「次世代を成長させろっていうのは大事だって分かるんですよ? ですけど、いざ、若手が仕事も出来るようになったから役職を付けようとすると嫌がって、資格も実力もあるのに何故ダメなのか理由を聞いたら若すぎるからって、本当、もう! どうしろって言うんだよ!」
「よくある話だ。そういう奴らは自分の地位が足元から崩れる可能性を恐れているのさ。だから、色々な理由を付けて自己保身に走る」
「ただでさえ、管理職に就きたくない子が多いのに」
「大変なんだな」
最初こそ、二人は怪異の話を聞き取ることで精一杯だったが、会社の愚痴を話す怪異に連れられ酒やつまみを口にすれば、いつの間にやら頬を僅かに赤く染めて相槌を打っていた。
「きいてください。僕がとんだ、あの日、ここの居酒屋で飲んだ夜、さっき話したクソパワハラの」
「佐藤か」
「そう! その人と取り巻きの」
「えっと、沼田課長と島軒さん?」
「そうそう! その三人がタバコ吸うから付き合えって。僕、タバコ吸えないのに喫煙所に連れて行かれてさ。たばこ吸わないなんて社会人としてやっていけないぞ~! とか、そんなんだからお前はダメとか言われて…」
「たばこを吸えないだけで、そこまで言われる筋合いはないと思うが」
「そうですよね! で、急にテレビのサラリーマンの真似をしてみろって。ドラマとかアニメだと、よくリストラになったサラリーマンって公園で鳩に餌をやっているじゃないですか、あれです。それで、その真似をしたら、駄目人間の末路みえたわとか、お前、鳥頭だよな、鳥は鳥でもはとぽっぽの鳩人間とか、運動神経もないとか、色々言われて殴られて、しまいには、鳩人間なら飛んでみろよって屋上の端に立たされたんです」
「何? まさか、アンタ、それで飛び降りたのか」
「えっと、飛び降りるつもりは、なかったといいますか…。屋上の端に立てっと言われて、自殺する五秒前、そのまま飛べとか、俺たちに迷惑かけないように自殺しろとか散々言われて…その時はギリギリ屋上の縁に立っていられたんですけど、上司たちが飽きて屋上から出て行った後、態勢を立て直そうとしたら、その、酔いも回っていて…バランス崩して…」
怪異の言葉は尻すぼみに消えていき、最後は俯いて空の缶ビールの底を見ていた。
「…」
「…いわれた、とおり、ぼく、だめなんです、だめです、だめだから」
「君はダメなんかじゃない。間違っているのは、上司の方だろう。そうだよな、間下?」
「ダメか、ダメじゃないかは、当人の問題だ。だが、その三人は暴行に脅迫、直接殺しをしていないにしても、ここまで追い込んだ時点で立派な犯罪者共だ。会社も名前も抑えている以上、逃しはしない」
余罪もありそうだしなと間下は悪人のような顔でせせら笑う。
「ぼく…」
「君はおかしくないよ」
「………そっか」
その言葉に、怪異は泣いていた。
「僕、話を聞いてもらって、同情してほしかったんですね。自分がおかしいわけじゃないって誰かに言われたかったんです」
怪異はやり場のない気持ちを込めるようにビール缶を握り締めると、青空を見て息を吐いた。
「……死んでから気づいたって意味がないですよね」
「…っ、そんなこと」
「死んでないぞ」
「「え?」」
平然とした間下の言葉に二人は目を丸くする。
「間下、飛び降りたって言って…」
「飛び降りて死んだなんて、いつ言った。店員が「幽霊がいる」ってしつこくてな。アンタの事を調べさせてもらった」
間下はメモ帳をパラパラとめくり、病院名が書かれた文章を指さす。
「アンタは病院のベッドで眠り続けている。確かに、このビルで飛び降りはあったが、死んではいない。まだ、生きてるんだから、幽霊なんぞいるわけがないと店員に言ってやった」
「え、ぼく、死んでないんですか。本当に? 腕だって折れて、頭から血が出て潰れて、首が…あれ…」
気づけば、背にあった翼は消えており、腕は折れ曲がっておらず、一人のサラリーマンが缶ビールを握り締めてベンチに座っていた。
「もしかして、生霊なのか。飛び降りた衝撃で肉体から離れて、この場に魂だけが残ってしまったような…」
「え、そ、それじゃあ、僕は現在進行形で幽体離脱しているということですか?」
「た、多分?」
「え、生きてる? でも、本当ですか? 僕の姿、見ましたよね? ものすごくグロイ感じで死んだと思うんですけど」
志貴は「うーん」と頭を悩ませながら、ふと間下が話していたことを思い出す。
「飛び降りて死んだら、こんな状態になるという知識が見た目に影響したんじゃないか」
「そ、そんなことありえるんですか」
「とにかく、本当に死んじまう前に、アンタは体に戻れ」
「でも、どうやって」
「知るか。自分の事だろ」
「うぅ、分かりました」
サラリーマンは缶ビールを置いて立ち上がると、まるで背伸びをするかのように背筋を正して二人を見た。
「この度はご迷惑おかけして申し訳ございませんでした。話を聞いてくださってありがとうございます」
サラリーマンは今更ながら礼儀正しく感謝を述べると頭を下げ、微笑みながら風と共に消えてしまった。
「……終わったのか」
「あぁ、一件落着だ、はぁ…」
ある種の緊張の糸が切れて、二人は色あせたベンチに深々と座りこむ。そして、ため息を吐くように大きな吐息をこぼして生を実感していた。
「助かった。アンタの機転には助けられた」
志貴が持ってきた酒やつまみは、この階下にある居酒屋から持ってきたものだろう。あの短時間かつ話を聞いてほしいという怪異の言葉だけで、酒盛りをして話を聞くという発想に至ることは予想外だったが、今思えば正解の行動だった。志貴がいなければ、自分は死に、生霊の彼が人殺しになってしまうところだったかもしれない。
「間下が彼について、話してくれたからな」
怪異についての情報を事前に知っていたからこそ、間下が怪異に襲われた時、一か八かの賭けを思いついたのだ。
「金で命を買えたんなら安いもんか、帰るぞ」
ここは自分たちの知る世界と似て非なる場所だが、勝手に商品を持ってきてしまったのは事実であり、何かしらの影響を考えて、間下はポケットから財布を取り出した。
「‥いや、その前にこっちに来い」
あることを思い出し、間下は回れ右をして志貴を手招きする。間下が向かう先は、エレベーターのある方向と真逆、その方向へ歩くにつれて、志貴は鼓動が激しくなるのを感じた。
「間下、ま、まってくれ」
徐々に夢で見たあの光景とつながっていき、志貴は目をつぶって逃げ腰になる。
「落ち着け。ちゃんと見ろ」
あまりに淡々とした態度かつ叩かれて、志貴は細めていた目を思わず開けた。
「どうだ、怖いか」
「…思っていたより、怖くはないな」
この場所に間下と来てしまったら、最悪の事態が起こるんじゃないかと志貴は恐れていた。だが、実際、来てみればちょっと腰が引ける程度の恐怖であり、意識もしっかりしていた。そう、思っていたほど怖くなかった。
「いつまでも、夢に囚われるな」
「す、すまない」
「晩飯買って、帰るぞ」
怪異はいたが、事件を解決する手がかりは見つからなかった。なら、改めて連続心中不審死事件の資料を志貴に触らせて、何か起きないか調査する手もある。
「あぁ」
用事は済ませたと言わんばかりに間下は、すたすたとエレベーターへと向かっていく。その後を慌てて志貴は追いかける。今のは間下なりに気にかけてくれたのだろうと思い、「ありがとう」と感謝を述べれば、ふんっとそっぽを向かれてしまったが、この励ましに志貴は救われたのだ。




