第二十話 記者会見
マンションの前での堂々たる交際宣言から数日後。
僕は出演していた全てのレギュラー番組、ドラマ、CMを一方的に降板し、芸能界を引退するための緊急記者会見を開いていた。
本当ならあのまま彼女を迎えに行きたかったのだが、激怒した社長から「立つ鳥跡を濁さずだ。お前を応援してくれたファンと関係者に、ちゃんとケジメをつけてから辞めろ」と血を吐くような声で言われ、渋々了承したのだ。とはいえ、この会見は僕にとっても好都合だった。全国ネットの電波を使って、僕の愛しい恋人の退路をさらに完璧に塞ぐことができるのだから。
都内のホテルの大広間。無数のフラッシュが暴力的に瞬き、シャッター音が嵐のように鳴り響く中、僕は一人ポツンと用意された席に座り、マイクを引き寄せた。無数の記者たちが血走った目で僕を見つめている。
「辰巳さん!突如としての引退発表ですが、きっかけは何だったのでしょうか?」
先陣を切った記者の鋭い声に、僕はふわりと、この世で一番無害で美しいアイドルの笑顔を作って答えた。
「アイドルを辞めるきっかけですか?ええ、あの匿名掲示板の書き込みが発端であることは確かです」
「では、やはり一般女性との同棲は事実で、スキャンダルから逃げるためということですか!?」
食い下がる記者に対し、僕は少しだけ困ったように眉を下げた。
「恋人とは最近付き合い始めたばかりで、同棲はしていません。ただ……あの書き込みや特定班の動きを見て、これ以上僕がアイドルを続けていたら、彼女に危害が及ぶと考えたんです。そう思ったら、居ても立っても居られませんでした」
マイクを通した僕の甘く切実な声に、会場の空気が少しだけ揺れる。人気アイドルという地位や名誉よりも、たった一人の愛する女性の安全を選んだ青年。そんな美談のフィルターを被せて世間に発信すれば、僕の熱狂的なファンたちも、彼女を攻撃する名目を失うはずだ。
「しかし!あなたを信じて応援してきたファンへの裏切り行為だとは思いませんか!?」
別の記者が、糾弾するように声を張り上げた。
裏切り。その言葉に、僕は思わず笑い出しそうになるのを必死に堪え、真っ直ぐにカメラのレンズを見据えた。
「裏切り、ですか。……僕はずっと、『ガチ恋禁止』とファンの皆さんにお伝えしてきました。それは、僕の本質がただの『アイドルオタク』であり、僕には昔からずっと、人生を懸けて推しているアイドルがいたからです」
「なっ……推しているアイドル、ですか?!」
思いがけない僕の告白に、会場がどよめいた。
そう。僕がアイドルになったのは、ただひたすらに僕の唯一の神様に近付くため。ファンには常にそう伝えてきたし、嘘は一つも言っていない。
「……ッ、その推していたアイドルというのが、今回の恋人の方なのですか!?」
記者が色めき立ち、前のめりになって質問を飛ばしてくる。
僕はスッと目を細め、マイク越しに、有無を言わせない凄みを込めて静かに微笑んだ。
「ノーコメントでお願いします。僕の恋人は、今はただの『一般人』ですから」
静かな、しかし絶対的な拒絶。これ以上彼女の素性を詮索すれば容赦しないという僕の圧に、記者たちは息を呑んで静まり返った。しかし、すぐに別の記者が我に返ったように声を張り上げる。
「で、ですが辰巳さん!これだけ急な引退となれば、莫大な違約金が発生するはずです。関係各所への損害についてはどうお考えですか!?」
これ以上ないほど現実的な追及。しかし、僕の心はさざ波一つ立たない。
「おっしゃる通り、多大なご迷惑をおかけすることは重々承知しています。……ですので、僕がこれまで携わった楽曲の権利や、今後の印税、グッズの収益権など、僕が持つすべての権利を事務所に譲渡する形で合意しました」
「すべての権利を、ですか!?」
「はい。僕の手元には何も残りませんが、彼女の安全を守れるのなら、安いものです」
マイク越しに深く、深く頭を下げる。
僕は違約金の代わりに、全ての権利を譲渡することにした。自分のアイドル活動に未練など微塵もなかったからだ。それに、表向きの権利を手放したところで痛くも痒くもない。裏で運用してきた金と、彼女を囲うための『城』さえあれば、名声も印税もただの紙切れと同義だ。
全財産を投げ打って愛を選んだ僕の真摯な態度に、記者たちの追及の熱が少しずつトーンダウンしていくのがわかった。
「……最後に、突然の引退発表に戸惑っているファンに向けて、一言お願いします」
前方の中年記者が、少しトーンを落として尋ねてきた。
僕はマイクを両手で包み込み、カメラの奥の、テレビに釘付けになっているであろう無数のファンたちを真っ直ぐに見つめた。
「急な発表で悲しませてしまって、本当にごめんなさい。……でも、どうか僕の決断を理解してほしいです。僕にとって、彼女のいない世界でアイドルとして生き続けるよりも、すべての地位を捨ててでも、彼女の隣でただ一人の男として生きる方が、何百倍も価値があるんです。だから……今まで本当に、ありがとうございました」
涙ぐむような繊細な声の震え。僕の渾身の『悲劇のヒーロー』の演技に、会場のあちこちからすすり泣きや、ため息が漏れ始めた。
これで完璧だ。世間は『純愛を貫いた潔いアイドル』として僕を記憶し、彼女を執拗に追い回すこともなくなるだろう。そして彼女自身も、僕が彼女のためにすべてを捨てたという事実の重さに、もう二度と逃げられなくなる。
スラスラと、完璧な受け答えで会見を進めながら、僕は頭の片隅で別のことを考えていた。
うたたん、今頃あの薄暗いビジネスホテルで、この会見を見て震えているかな。
以前の飲み会の時に、彼女のバッグに仕込んだGPS。僕のスマートフォンの画面上で主張するGPSの赤い光は、ここ数日間、とあるビジネスホテルから一歩も動いていない。僕から完全に逃げ切れたと思い込み、息を潜めているのだろう。
僕がなぜ、すぐに彼女を迎えに行かないのか。
それは、僕たちの新しい『お城』の準備に少しだけ時間がかかっているからだ。同棲することを見越して密かに契約しておいた、高層タワーマンションのペントハウス。そこに、あの『祭壇』を完璧な形で再構築し、彼女が二度と外に出なくても生きていけるだけの環境を整えている最中なのだ。
その間、僕は頑なにあの防音性の低い『203号室』に住み続けている。僕がそこにいる限り、マスコミや特定班の目は203号室に釘付けになり、彼女が隠れているホテルには絶対に気付かない。僕は、彼女を安全に隔離するための最高の囮なのだ。
あと少しだよ、うたたん。僕の新しいお城が完成するまで、もう少しだけあそこで待っててね。
僕は目の前でフラッシュを焚き続ける滑稽な大人たちを見下ろしながら、愛しい人との永遠の生活に思いを馳せ、心の中で甘く、狂おしく笑い続けていた。
つづく




