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古株ファンがヤンデレだった件  作者: 柊原 ゆず


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第十六話 反撃


 翌朝。

 早めに寝たせいか、私の頭がスッキリと冴え渡っていた。

 ……そうだ。

 私はパソコンの電源を入れる。女性が多く書き込む匿名掲示板、レディースチャンネルにアクセスする。そこには、『辰巳慧』のファンもたくさんいた。『辰巳慧が好きな人 part7』のスレッドをクリックする。

 彼から物理的に逃げるのが無理なら……外堀を埋めて、彼をここから『追い出せば』いいんだ。

 人気アイドルである彼は、常に世間の目に晒されている。もし彼がこんな防音性もセキュリティも低い一般の単身用マンションに出入りしているという噂が立てば、どうなるか。熱狂的なファンや週刊誌の記者が嗅ぎつけ、大騒ぎになるのは火を見るより明らかだ。そうなれば、事務所は彼をスキャンダルから守るため、強制的にでもセキュリティの高い高級マンションや安全な場所へ連れ戻すはずだ。私は震える指でキーボードを叩き、スレッドの書き込み欄に文字を打ち込んでいく。


『スレチだったらすみません。昨日、山手線沿いの単身用マンションに入っていく慧くんらしき人を見ました。黒いパーカーにマスクで変装していましたが、目元の感じとか背格好がそっくりで……。高級マンションに住んでいると思っていましたが、あんな普通のところに住んでるのでしょうか?それとも……』


 わざと「それとも……(誰かの家に通っている?)」と匂わせるような文末にし、送信ボタンをクリックした。書き込みが反映された直後。それまで緩やかに進行していたスレッドの空気が、一気にざわめき始めた。


『は?山手線ってガチ?』

『慧くんが普通のマンションに住むわけないじゃん。見間違いでしょ』

『でも、最近一週間も謎の休み取ってたよね?まさか同棲……?』

『ちょっと誰か、山手線沿い特定できないの!?』


 匿名掲示板特有の、真偽を確かめようとする熱狂と暴走。たった一つの小さな火種は、瞬く間にファンの間で燃え広がり始めていた。猛スピードで更新されていく画面をスクロールしながら、私は小さく息を吐いた。罪悪感がないと言えば嘘になる。私を真っ直ぐに応援してくれていた『たっつー』の純粋な気持ちを、私が裏切って彼を陥れるような行為なのだから。

 けれど、こうでもしなければ私は彼に完全に飲み込まれ、逃げ場を失ってしまう。

 ごめんね、辰巳くん。でも……私を守るためには、こうするしかないの。






 壁の向こうの203号室では。

 僕は日課である『うたたん』の過去の動画や画像の検索画面から目を離し、不機嫌そうにスマートフォンを耳に当てていた。

 三年前から全く更新されない彼女の情報を、それでも毎日舐め回すように探し続ける至福の時間を邪魔したのは、血相を変えたマネージャーからの着信だった。


『辰巳くん!君、今どこに住んでる!?山手線沿いの単身用マンションって本当!?』

「……急にどうしたんですか?」

『レディースチャンネルの君のスレッドが大騒ぎになってるんだよ!君らしき人がそのマンションに入っていくのを見たって書き込みがあって……!』


 マネージャーの悲鳴のような報告に、愛する『うたたん』の気配を壁越しに感じながら上機嫌だった辰巳のプラチナブルーの瞳が、スッと仄暗く細められる。世間の声や自分の評判なんて、彼にとっては路傍の石と同じだ。エゴサーチなど一度もしたことはない。しかし、その無関心な領域から、今、明確な『悪意』が飛んできた。彼が住んでいる沿線をピンポイントで挙げ、さらに「普通の単身用マンション」とまで特定されている。偶然にしては出来すぎている。


「……誰だ?僕とうたたんの邪魔をしようとする、目障りな虫は」


 マネージャーからの電話を一方的に切った後、僕は自分の名前でネットを検索した。マネージャーが血相を変えて言っていた、レディースチャンネルの『辰巳慧が好きな人 part7』というスレッドを開く。膨大な書き込みを遡り、問題の書き込みを見つけ出した。


『昨日、山手線沿いの普通の単身用マンションに入っていく慧くんらしき人を見ました。黒いパーカーにマスクで変装していましたが……』


 ……いつバレたんだ?

 僕は眉間を寄せ、薄暗い部屋の中で一人、思考を巡らせた。マンションに出入りする時は、周囲に誰もいないことを常に確認していた。尾行されていないかも徹底的に警戒していたはずだ。それなのに、沿線やマンションのグレード、変装の様子まで正確に書き込まれている。

 ただの偶然か? いや、それにしてはピンポイントすぎる。

 僕の頭に真っ先に浮かんだのは、悪質なストーカーファンや、パパラッチの存在だ。あと一人、僕を知っているのはうたたんだ。けれど、うたたん本人が書き込むはずがない。僕の愛しいうたたんは、そんな狡猾な真似をするような人ではないからだ。

 ……目障りだな。僕とうたたんの愛の巣を覗き見ようとするなんて。

 もしこの騒ぎが大きくなれば、事務所が黙っていないだろう。最悪の場合、セキュリティを理由にこの部屋から強制的に退去させられる可能性もある。それだけは、絶対に避けなければならなかった。






 翌日。

 匿名掲示板で燻っていた小さな火種は、一晩で爆発的に燃え広がり、ついにネットニュースのトップを飾ることになった。昼休み、会社のデスクでスマートフォンを開いた私の目に、衝撃的な見出しが飛び込んできた。


『【独占スクープ】国民的トップアイドル・辰巳慧、超高級タワマンから”庶民派マンション”へ極秘引っ越し!? 謎の空白期間と「同棲愛」の真相』


 ……載った!

 心臓がドクンと跳ねた。記事の内容は、掲示板の書き込みを元に、記者が憶測を交えて書き立てたものだった。彼がここ一週間ほどの休みを取っていたことと結びつけ、『一般女性との同棲を始めたのではないか』と煽り立てている。

 これでいい。これで、事務所も彼本人も動かざるを得なくなる。

 人気アイドルにとって、熱愛と同棲のスキャンダルは致命的だ。彼には『同担拒否』を公言するほどの熱狂的なファンが大勢いる。暴動や炎上が起きる前に、事務所が彼を無理やりにでも引き剥がしてくれるはずだ。

 これで、元の平穏な生活に戻れる……。

 私は安堵の息を吐き出しながら、冷たいお茶を一口飲んだ。しかし、私のこの決死の反撃が、彼の狂気をさらに深淵へと引きずり込む引き金になることなど、この時の私には想像すらできていなかった。


つづく

ついにここまで来ました。

二人の均衡が崩れていきます。

次回をお楽しみに!

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