ヒトノモノ その94 算段
九十四
夏休みの時だった。
「ハッピーバースデー、トゥーユー、ハッピーバースデー、トゥーユー」
父親が歌いながら、ケーキを冷蔵庫から取り出した。
「ありがとう」
母親は嬉しそうにしていた。
ホールケーキの上にある茶色のチョコレートには、「誕生日おめでとう、スミレ」と白いチョコレートのソースで書かれてあった。父親がケーキを四等分にし、家族一同がケーキを食べた。
そのとき、アカネは桐谷の誕生日がいつなのかを知りたくなった。もちろん、彼を祝いたいからではなく、陥れるためである。楽しい誕生日が祝われるときに、ふられたら、どんな気持ちになるのだろう。アカネは急にワクワクしてきた。
「ねえ、桐谷くんの誕生日っていつなの?」
アカネはラインで尋ねた。
「2月7日だよ」
「冬なんだね」
遅い時期だ。けれども、アカネは残りの半年、彼を弄んでみたいと思った。それに、2月といえば、「バレンタイン」がある。アカネにとっては、どうでもいい日だった。本心から、チョコレートをあげたいと思ったことは一度もなかった。
けれども、桐谷のような一度もチョコレートをもらったこともないような男がチョコレートをもらったら、たいそう嬉しい気分になることくらいは容易に予想がついた。アカネは自分で立てた計画を遂行するために、来たるべき2月を待った。
夏休みが終わった。テストがあるたびに、アカネは桐谷を誘った。より正確に言えば、桐谷に誘われるように仕向けた。
「勉強を教えてくれると嬉しいなあ。でも、無理しないでね。桐谷くんの成績が第一だから」
決して、アカネはストレートに頼むことはなかった。相手を気遣っているというスタンスを崩さなかった。
「大丈夫だよ。教えてあげる」
アカネはいかにも桐谷が自分の意志で決断したかのように錯覚させた。
「ありがとう、桐谷くん」
桐谷はアカネに感謝されることに喜びを感じていた。アカネの「ありがとう」という言葉に飢えていた。自分には勉強しか取り柄がないと思っていた桐谷は自分の能力がアカネのためになっていることが嬉しかったのである。
桐谷はアカネと一緒にいたいがために、まんまと罠にはまった。それに、自分に対する自信のなさから、アカネの誘いを断ると、アカネが自分のもとを離れていくような気がした。というのも、アカネが楽しそうに幼なじみの話をし、彼と今でも会っていることを口にするからである。
もちろん、そんな幼なじみはいない。アカネが桐谷を嫉妬させるためについた嘘だった。




