ヒトノモノ その83 技巧
八十三
次の日の朝、鏡を見ながら、アカネは口角を上げたり下げたりした。こんなちょっとした動作で人の気持ちを左右できるというのなら、ちょろいものだった。
けれども、兄のように他の男も単純なのかとアカネは疑問を抱いた。流石に、そんなうまくいかないかとアカネは思い直した。
「後でコウキくん、ちょっと話があるんだ」
アカネはささやくような優しい声を出した。そして、昨日のみーたんのように、口角を上げ、目を大きくして、小さく首をかしげてみた。
突然話しかけられたコウキは顔を赤くした。彼はアカネの兄のように分かりやすい反応を示した。
誰もいない教室で、アカネとコウキは二人っきりになった。
「アカネさん、返事を聞かせてほしいです」
緊張した様子のコウキを見て、アカネは笑いをこらえるのに必死だった。
「もう一回、ちゃんとした告白が聞きたいな」
アカネはコウキに下手な期待を持たせたかった。すると、彼はアカネの思った通りに嬉しそうにニヤけていた。
「アカネさんのことが好きです。付き合ってください」
無駄に真剣な告白がアカネには滑稽に見えた。
「そういうこと、言われるの初めてなんだ」
アカネはそう言うと、顔をコウキの前に近づけた。
「初めてなんですか」
コウキは勝ち誇ったような小さいガッツポーズをした。
「コウキくんが初めてだよ」
「よかった」
「わたしのどういうところが好きなの?」
「アカネさんの可愛いところです」
「そうかな。でも、嬉しいよ。可愛いってあんまり言われたことないの」
「それに…」
コウキは続きを言おうとしたが、アカネが先に口を開いた。
「ごめんね、見た目にしか興味ない人と付き合いたくないんだ」
アカネは急に近づけた顔を遠くに戻し、口角を下げて、目線を落とし、ややうつむいてみた。内心、アカネと付き合えると勘違いしていたコウキは耳を疑った。コウキはアカネの技巧を凝らした笑顔から無表情に変わった意味が理解できなかった。天国から地獄に落ちるような落差だった。
「どうしたの?」
アカネはコウキが落ち込んでいることを理解しながら、言葉をかけた。
「付き合ってくれないんですか?」
「ごめんね」
アカネはもう一度、口角を上げた。その笑みは自然な微笑ではなく、嘲りを含むものだった。
すると、コウキは突然泣き出した。その泣き顔には「どうして?」という驚きがあった。アカネは同情などしなかった。面白い。アカネはコウキをまじまじと眺めた。
自分の容姿を低く採点した者たちに対して、仕返しができた。アカネはサディスティックな満足感に浸った。「人を見かけで判断するから、こうなるんだよ」とアカネは言いたくて仕方がなかった。
「待って、アカネさん」
「じゃあね」
アカネはにこやかに手を振った。コウキを教室に置いてきぼりして、アカネは颯爽と学校を出た。
「すっきりした」
アカネは鼻歌まじりに独り言を言った。




