ヒトノモノ その75 催眠
七十五
勉強を終えて、家に帰りました。君への嫉妬とレイナさんに対する情欲で頭の中がうるさいのです。まるで、脳みそ自体が回転しているかのような激痛が走りました。そのまま、脳みそが頭蓋骨を吹っ飛ばして、外界に出てしまっても、おかしくないくらいです。
こういう状態に置かれると、例のごとく自涜に耽ろうとします。今までは、スミレさんのことを思い出しながら、ことを為していました。しかし、最近はスミレさんのことを思い出すたびに、自分のしでかしてしまった失敗に直面しなくてはなりません。そのため、快楽の境地にたどり着くことができなくなりました。
もしかしたら、レイナさんのことを思い浮かべれば、同じような興奮を味わうことができるのではないか。自分は何とも恥知らずな結論に至りました。社会の法に触れるような悪行ではないけれども、自涜を繰り返すたびに何かしらの罪を重ねているような気がしたのです。いわば、ある種の宗教的な罪です。
しかし、快楽というものは陳腐な道徳観を粉砕します。だからこそ、悪を為しているという自覚がありながらも、自涜に耽るのでした。
教室には僕とレイナさんしかいません。レイナさんは前と同じようにテストの勉強をしていました。僕も同じように勉強をしていました。
「ねえ、藤原くん」
初めて、レイナさんが話しかけてくれました。
「どうしたんですか?」
「今日は長岡くん、いないの?」
彼女は僕が隣にいながら、君のことを尋ねました。
「いないみたいです」
すると、彼女は露骨にがっかりしていました。
「これを長岡くんに渡してほしいの」
彼女はかわいらしい薄いピンクの封筒を僕に手渡しました。僕はしぶしぶそれを受け取りました。
「絶対に中身に見ないでね」
と彼女は釘を刺しました。僕はラブレターだと思いました。
「レイナさん、ちょっと、僕の指を見てもらっていいですか」
「なんで」
そう言いつつも、彼女は僕の指を数秒見てくれました。ついで、指を左右に動かしました。すると、彼女の瞳は輝きを失って、次第に虚ろになりました。
「これ、捨ててきて」
僕はもらった封筒を彼女に渡しました。
「はい」
生気がこもっていない声を発した彼女は封筒をゴミ箱に捨てました。
「レイナさん、一緒に帰ろう」
「分かった」
「手、つなごう」
「いいよ」
彼女はだらんとした左手を僕に差し出しました。
「レイナさんのことが好きだよ」
「私も藤原くんのこと好きだよ」
そんな空想の世界に墜ちていったとき、僕は至上の快楽を得ることができました。人を支配し、自分のものにしたときの優越感が高ぶるのです。しかし、この現実の世界では、催眠術などありはしないのです。




