ヒトノモノ その73 追跡
七十三
喫茶店以外でスミレさんに会えるところとなると、大学の図書館しかありません。僕は自分の欲望に忠実に生きようとすれば、図書館に行っていたはずです。しかし、僕は流石に愚行を繰り返すような真似をしませんでした。
というのも、スミレさんに会うのが怖かったからです。もしスミレさんと図書館で会ったら、彼女はどんな顔をするのだろう。眉をひそめて、あからさまな拒絶をするでしょう。「顔も見たくない」と言われるかもしれない。これ以上、自分の傷口に塩を塗るようなことはしたくありませんでした。
それ以来、僕はスミレさんを見たことがありません。今どこで何をしているのかも、どんな人と結ばれたのか、それとも結ばれていないのかも知りません。しかし、いつまでたっても、スミレさんは僕の脳の中で生き続けているのです。
高校二年生のあるとき、席替えをしました。すると、隣の席がレイナさんになりました。レイナさんは僕になど興味を示さず、いつも黙々と宿題をこなします。
その横顔がスミレさんと似ているような気がしました。おそらく、失恋が生み出したこじつけでしょう。それでも、そのときはスミレさんがそばにいるように思われたのです。思わず、「スミレさん」と呼んでしまいそうでした。
すると、僕の視線に気づいたレイナさんは少しだけ僕を見ました。その一瞬、レイナさんの顔が僕の正面にきました。真正面のレイナさんは全くスミレさんに似ていません。
レイナさんは僕の視線の意味など知る由もなく、また宿題を解き始めました。こうして、スミレさんの横顔を拝んだのでした。
帰り道、レイナさんが自分の前方を自転車で進んでいました。僕も同じように自転車に乗っていました。長い髪が揺られ、セーラー服の後ろ襟からスカーフが出ていました。その後ろ姿がスミレさんを思い起こさせるのです。
このまま、ずっと追いかけて行きたくなりました。決して掴むことのできなかったスミレさんの代わりにレイナさんを自分のものにしたい。僕は彼女に欲情したのです。
帰り道は下り坂でした。優しくブレーキをかけて、適切な距離を保ちました。追いかけてみたいのであって、追い越したくはないのです。追い越して、後ろを振り返ると、そこにいるのはスミレさんではないのですから。
5分くらい経って、僕はわき道にそれました。流石に彼女に気づかれるのが怖かったのです。




