ヒトノモノ その70 告白
七十
「なんなの、いきなり」
スミレさんの声には怒りがこもっていました。こんなスミレさんを僕は初めて目の当たりにしました。
「僕は」
その続きの言葉を言うことができませんでした。どんな想いを告げようと、スミレさんの表情が朗らかにならないことを僕はとっさに悟ったからです。どんな言葉もこの状況を変化させることがないのです。
「ごめん」
そう言い捨てて、スミレさんは僕の前からいなくなりました。僕は呆然とそこに立ち尽くしてしまいました。僕の目は自然とスミレさんを追いかけました。その後ろ姿が美しいのです。しかし、スミレさんは肩を怒らせて、素早く歩いていきました。
一週間後、また喫茶店で二人になりました。
「ごめんね。こないだは。いきなりだったから、びっくりしちゃって」
「大丈夫ですよ。ちょっと手がぶつかって」
僕は噓をついて誤魔化しました。
「そうだよね。ぶつかっただけだよね」
スミレさんは疑わしいといった目付きで、僕の言ったことを繰り返しました。それでも、彼女は無理につくり笑いを浮かべようとしました。僕もそれに合わせて、無理に笑いました。
「手がぶつかったくらいであんな怒っちゃ、ダメだよね。本当にごめんね」
スミレさんは奇妙の沈黙を破ろうと言葉をつぎ足しました。
「僕の方こそ」
あのとき、僕は彼女の手を握りました。白くて冷たそうな手には温もりがあったのです。僕はその温もりをもっと感じていたかったのです。しかし、彼女は僕がそんな欲望を抱いていることをうすうす理解しながらも、それを否定しようとするのです。
このまま、彼女と会い続けるうちに、自分の欲望が肥大化していって、手を握るだけでは満足しなくなる気がするのです。男から彼女を取り上げたくなってしまいそうなのです。こんなことを彼女は望んでいるでしょうか。決して、望んでなどいないはずです。
だからこそ、僕は彼女を好きでいながらも、彼女から離れたいと思うようになりました。しかし、ただ彼女の前から姿を消すといった誠実なことができないのです。
「僕はスミレさんのことが好きなんです」
「急にどうしたの?」
彼女は驚いていました。
「生まれて初めて、スミレさんみたいに優しくしてくれる女性に会いました。スミレさんといると楽しいし、もっと一緒にいたいんです」
「ごめんね。その気持ちに答えてあげられない。男として興味が湧かないの。友達のままでいよう」
彼女にとって、友達という言葉がもっともしっくりくるものなのでしょう。しかし、僕はスミレさんを友達として見ることなどできませんでした。なにせ、僕は彼女に欲情してしまったのですから。




