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ヒトノモノ  作者: Kusakari
藤原 パート1
67/120

ヒトノモノ その67 惚気

六十七

 「ずっと、どこにいたんですか?スミレさんが来ないから、心配していたんです」


 僕は会いたかったとは言わないように気をつけました。もう三々月、スミレさんに会っていませんでした。そのとき、僕は高校二年生になっていました。スミレさんは大学四年生になっていました。


 「実家に帰っていたのよ。ありがとう、心配してくれたんだ。ごめんね、何も言わなくて」

「心配しますよ。実家、どこなんですか?」

「仙台」

「へえ」


 僕は久しぶりに自分の隣に座っているスミレさんを見ました。そのためか、新鮮な気分になりました。一段と増して、スミレは可愛らしく見えました。


 今日は何としても、スミレさんを食事に誘いたいと意気込んでいました。しかし、どう話を切り出していいものかが分かりませんでした。


 「藤原くんのことだから、今でもたくさん本、読んでるでしょ?」

何を言っていいのか分からない僕にスミレさんは助け船をくれました。

「読んでますよ。夏目漱石の『行人』、『道草』、『明暗』とか」

「ああ、夏目漱石の後期の作品だよね。『道草』は読んだことあるよ。夏目の自伝的小説で、一番好きかも」

「『道草』の健三と奥さんのやり取りが面白いですよね。例えば、奥さんが健三を看病しているのにもかかわらず、健三が怒鳴り出すシーンとか。夫婦間のうまくいかない様子が克明に書かれていますよね」

「でも、ああいうデコボコの夫婦の方が長続きするのかもね」

「確かに」


 このまま、ずっと夏目漱石の話をしていました。そのため、僕はずっと本題に入ることができませんでした。しかし、なんとか勇気を振り絞ってみました。


 「あの、来週の土日、空いてませんか?」

告白をしているわけではないのにもかかわらず、僕は変な汗をかきました。言った後で、間違えたような気がしました。しかし、スミレさんの表情はこれといった変化がありませんでした。


 「ごめんね。空いてないの」

「どうしてですか?何かあるんですか?」

僕はうっかり聞き出してしまいました。


 「カレシとデートなの」

スミレさんは少しだけ顔を赤らめました。それだけ、スミレさんはその恋人のことが好きなのだと思いました。


 「前さあ、ここで見たでしょ。私のカレシ。こないだ、京都に行ってきたんだよ。金閣、銀閣、伏見稲荷、清水寺とか。ほんと、京都って、日本の文化を感じる場所だよね」


 僕は二人が旅行の相談をしていることを思い出しました。

「そうなんですか」

僕はため息まじりに相づちを打ちました。


 僕は次に空いている日を聞こうとしました。しかし、スミレさんののろけ話に流されて、何も言えなくなりました。


 「来週、北海道に行ってくるんだ」

僕はただうなずくことしかできなくなりました。


 こうして、お開きになりました。スミレさんが立ち上がって、帰ろうとしたとき、僕は彼女を抱きたくて仕方がないという想いに駆られました。彼女をあの男のもとに帰したくなかったのです。そのとき、僕はスミレさんに普段、抱いているような淡い恋心ではなく、沸き立つような情欲を感じたのです。僕は右手を左手で軽く押さえて、彼女を見送りました。


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