ヒトノモノ その65 比較
六十五
それからというもの、スミレさんに会えなくなりました。男のせいで、スミレさんの習慣が変わってしまったようなのです。日常から大切な何かが抜け落ちてしまったような気分になりました。僕の生活が潤いのあるものになるにはスミレさんが必要なのです。
そんな折、僕はまた心動くような経験をしました。君は、クラスの女子にレイナさんという人がいたことを覚えていますか。覚えているどころか、絶対に忘れないはずです。僕は彼女のどことなく暗い雰囲気に好感を持っていました。
教室にいるとき、僕はずっと宿題を解いていました。君は僕のことを勤勉だと言ってくれました。しかし、勤勉さゆえに、宿題を解いていたわけではありません。授業と授業の間にある休み時間に何をしてよいのかが僕には分からないのです。
レイナさんの机は僕の左斜めにありました。僕と同様に、レイナさんは宿題を解いていました。僕は彼女の後ろ姿を見ているのが好きでした。
その後ろ姿がスミレさんに似ているのです。スミレさんが高校生だとしたら、レイナさんみたいな風貌だったのかと感じてしまうくらいなのです。しかし、彼女の顔は全くスミレさんには似ていないのです。たまに彼女が不意に振り向いたとき、残念な心持ちになります。
スミレさんと僕が同じ年齢で同じ教室にいたら、こんな心持ちにならないはずです。もっと、スミレさんのそばにいることができれば、喫茶店であんな男にのろけているスミレさんを見ることなどなかったのです。
そんなふうに思いながらも、スミレさんよりもレイナさんの方が美しい気がするのです。スミレさんは可愛らしい女性で、レイナさんは壮麗な女性なのです。また、スミレさんは饒舌で、レイナさんは寡黙なのです。
こういった比較考量をすると、スミレさんとレイナさんを足して、二で割ると、僕の理想の女性になるような気がしました。
僕はそんな卑しいことを考えながらも、レイナさんと話してみたいと思っていました。しかし、話しかけるための口実が全く浮かんでこないのです。後ろから話しかけようとすると、声が出なくなるのです。声が出たとしても、無駄に彼女を驚かせてしまうという懸念がありました。
僕は何も実行に移すことができませんでした。




