ヒトノモノ その64 羨望
六十四
またしても、僕はウェーバーの本を買いに行きました。正直に言うと、僕はウェーバーに興味などありませんでした。しかし、スミレさんが満足してくれるような会話をするために、本を読むことは必要なことでした。
いつものように、喫茶店で、ウェーバーを読んでいました。僕は待ち焦がれていました。カランカラン。スミレさんの姿が目に映りました。僕は軽い挨拶をしようと立ち上がりました。しかし、スミレさんの後ろには男の姿があったのです。
僕は座り直して、本に目を戻しました。
「藤原くん」
スミレさんが少しだけ手を挙げて、僕を呼びました。
「こんにちは」
僕は無愛想な挨拶をしました。
スミレさんと男はカウンターではなく、テーブル席に座りました。その瞬間から、スミレさんは男の方に目を向けて、僕には一瞥もくれませんでした。僕は少しだけ後ろを向いて、彼女を見た後、また本に視線を移しました。
なるだけ、彼女を見ないように努めました。しかし、耳を塞ぎようがないのです。聞きたくもない男との会話が僕の鼓膜に届くのです。
流石に詳しい話は分かりませんでした。しかし、どこかへ旅行に行く相談をしていることだけは分かりました。
スミレさんとは、この喫茶店でしか会ったことがない。できることなら、別の場所でスミレさんと会ってみたい。今日まで、僕はスミレさんとこの場所で話すことだけで満足していました。しかし、それ以上のことをスミレさんに求めたくなってしまったのです。
また、僕は後ろを振り返りました。スミレさんの屈託のない笑顔。僕の前で、スミレさんはこんなに楽しそうな表情をしていたことがあっただろうか。僕の知らないスミレさんがここにいたのです。
僕は男といるスミレさんと同じ空間にいることが耐えられませんでした。しかし、帰りたくもないのです。本を読みながら、時が過ぎるのを待ちました。
すると、スミレさんと男は会計をしていました。
「全部、払うよ」
「いいよ。いいよ」
男はその場で全額を支払いました。
「ありがとう」
この何気ないやりとりが憎たらしいのです。男が無駄にかっこつけているだけなのにもかかわらず、スミレさんがのろけているように思われたのです。
僕には何も言わず、スミレさんと男は店を後にしました。カランカランという音が今でも響いてきそうな気がします。




