ヒトノモノ その18 一人
十八
「ちゃんと分かってるじゃない。よかった。教えた甲斐があって」
「白石先生、教え方がうまいからです」
「本当?」
「噓を言うわけないじゃないですか」
「嬉しいなあ」
そこには一種の媚態があった。その媚態に僕は酔いしれた。
「先生って、美人ですね」
「よく言われる」
「そうなんですか」
「聞き飽きた」
先生はけだるそうに視線を落として、もう一度僕を見た。
「そんなにじろじろ見ないでよ。さっさと解いて」
表面的にはぞんざいに見える言葉遣いの中にも、優しさが含まれていた。
「はい」
僕はしぶしぶ手を動かした。
僕は大学の図書館にあるテーブルに一人で座っていた。他にもテーブルがあり、学生や高校生が勉強をしていた。他の人は真面目に勉強していた。僕は勉強をするためだと自分に言い聞かせて、この図書館にまで来てしまった。別に勉強をするために来たのではなかった。
右を向くと大きな窓があった。その窓の奥には大学の建物があった。僕にはどの学部の建物なのかは分からなかった。その建物の玄関口から多くの学生が出てきた。僕の視力が悪いせいで、学生個人ごとの顔は見えなかった。けれども、この中に先生はいるのだろうか。それが気になって仕方がなかった。
その時、僕は気づいた。先生のことが好きなんだ。恋をしてしまったんだ。なんだか、甘美な夢に酔いしれたような気がした。けれども、そのテーブルには僕しか座っていなかった。けれども、寂しい思いをせずに済んだ。
その満足感のまま、僕は帰ることにした。すると、その時のことだった。
「あっ」
「白石先生」
「なんで?」
「勉強しに来たんです」
「そうなのね。高校から大学は近いもんね」
「はい」
「今から帰るの?」
「帰ります」
「もう帰っちゃうの?」
「まあ、勉強が終わったんで」
「ねえ」
先生は何かを言いかけた。
「どうしたんですか?」
「時間、空いてる?」
「まあ」
「一緒にご飯食べよう」
「いいんですか」
「いいよ。一人で食べても、寂しいから」
そんな展開になればいいなあと思いながら、駅に向かって歩いていった。いつものような寂しさはどこかに消えていた。こんなにも心が満たされることがあるのか。生きているという実感を持つことができた。けれども、一人でいることに変わりはなかった。




