ヒトノモノ その17 空想
十七
テーブルに置手紙があった。「出かけてきます」と書いてあった。母はどこかに行ったようだ。けれども、僕にとってはどうでもいいことだった。僕はいつものように駅に向かった。友だちと話しながら、歩く人たち。男女のカップル。なんだか、物足りない気分になった。自分が一人で歩いていること自体が虚しくなった。
ねえ、先生。どうして、僕はこんな寂しい気持ちにならなくてはいけないの。ねえ、先生、この寂しい気分から救いだしてよ。
「どうしたの?元気ないよ」
という先生の声がしたらいいなあと思った。もちろん、そんな声は聞こえるはずもなかった。ただ、自分の脳の中で虚しく響くだけだった。
「ねえ、一緒に行こう」
背の高い先生の残像が視界の前方におぼろげに見えたような気がした。僕はそれに連れていかれるように前へ前へと進んでいった。こんなふうに、一日を始めることができれば、何一つ、もの悲しい気分にならずに済むはずだ。
けれども、単に舗装された道の上に通行人がいるだけだった。そこには虚しい現実があるだけだった。僕はなんとか理性を使って、この現実を捉えようとした。そして、この現実に納得しようと努めた。けれども、頭は空想に引っ張られるばかりだった。どうにかして、妄想をねじ伏せて、僕は駅に着いた。
座席に座っても、空想があふれんばかりだった。いっそのこと、この空想に身をゆだねたくなった。そうしたら、この現実がもたらす虚しさを誤魔化すことができるような気がした。けれども、僕はそんな自分を心の底から恥じた。
「大丈夫?」
頭の奥でそんな声がした。その声は透き通るようにきれいだった。決して、その声は外界から聞こえる声ではない。自分が生み出した声だった。内なる声だった。
空いている隣の座席を見ると、ひらひら揺れる黄金色のポニーテールがあるような気がした。その揺れる髪の束がサラサラと自分の右肩に当たる。それに続けて、左耳が右肩に当たる感触がした。くすぐったいけれども、その感触は悪い感じではなかった。むしろ、ずっとその感触を味わっていたかった。
「次の駅は…」
その音で僕は現実の世界に戻った。もうくすぐったい感触はなかった。右肩の上には何もなかった。僕は自分の愚かさをひしひしと感じつつ、電車を降りた。




