ヒトノモノ その16 出口
十六
「また、あの場所に行ったの?」
「行ったよ」
「もう行かなくてもいいんじゃない」
「いや、そういうわけにはいかないんだ」
「でも、もう十五年も経っているのに」
「年数の問題じゃない」
「もう、あの人のことで苦しまなくてもいいはずよ」
「これは僕の問題だ」
「そうは言っても、苦しんでいるのを見ていられない」
「今でも昨日のように藤原さんのことを思い出すんだ。早く、忘れたい。けれども、忘れてはいけない気がする。僕がこうしてカウンセラーをやっている原点はあの橋にあるんだ。命日には行かずにはいられない」
「だとしても、毎年この日が近づくにつれて苦しそうにしなくても」
「まあね。けれども、ずっと後悔しているんだ。藤原さんは死なずに済んだ気がする。僕がなんとかしていればね。あと、どうして死んだのかが分からないんだ。理由が分かれば、肩の荷が降りるかもしれない」
「藤原さんはおかしい人だったんでしょ。私たちには理解できない理由があったのよ」
「おかしいって言っても、何かきっかけがあるはずなんだ。僕はずっとあの人の死が腑に落ちないんだ」
本田は声を荒げた。
「きっかけ?」
「死ぬ前の藤原さんは変なことを言っていた。聖書の話をしていた。なんだったかなあ。マタイ伝だったかな。今でも何を言いたかったのかが分からない」
「マタイ伝?」
「3月4日の夜。僕は藤原さんと飲んでいた。マタイ伝の教えは素晴らしいってさあ。そんなことを言っていた。あれから、マタイ伝を読んでみたけど、あの時何を伝えたかったかが分からなかった。身を投げる前に最後にした会話だよ。何か意味があるはずなんだ。そして、藤原さんは最後にこう言ったんだ。『本田くんにはオレの苦しみなんか分からない』って」
「前も言っていたけど、本当にその話に深い理由があるの」
本田夫婦は、藤原の命日に必ず似たような問答を繰り返した。本田は藤原を死に追いやった理由をずっと探し続け、自分を責めた。それとは対照的に、本田の妻は本田の苦しみを和らげようとした。けれども、常にお互いの目的が達成されることがなかった。お互い、話せば話すほど、何をしてよいのかが分からなくなった。
「不思議なことがあったんだ。橋に花が手向けてあったんだよ」
「誰の?」
「誰かは分からない。けれども、あの花は藤原さんのために手向けてあったんだと思うんだ。毎年、あの橋に行っているのに、花を手向けてあるのは初めてみた」
「もしかしたら、その人が藤原さんについて知っているかもよ」
「そうかもしれない」
本田は出口のない迷路に光が差したような気分がした。




