ヒトノモノ その119 二人
百十九
何度かミサコさんのもとに行くたびに、ミキハさんに会うことができるようになりました。そのたびに、坂下が来ないことを祈りました。坂下が来ると、ミキハさんは僕の相手をしてくれませんでした。しかし、彼がいないときは僕の相手をしてくれました。
会ってから、三度目かの時だったと思います。僕はミキハさんとうまく会話することができました。
「藤原くんもけっこう本を読むんだね」
「読みますよ。部屋に沢山の本があって」
「どれくらい?」
「300冊くらいはあると思います」
「見てみたい」
「今から行きます」
「いいの。藤原くんの家は近いの?」
「割と近いですねえ」
「じゃあ、行こうかな」
会計を済ませて、僕たちは店を出ました。そのとき、ミサコさんは意味ありげに僕を見ました。しかし、ミキハさんは純粋に僕の本棚を見たいだけだったのだと思います。というのも、まだ日の沈んでいない夏の日だったからです。
僕の部屋に行くなり、ミキハさんは僕の本棚をずっと見ていました。
「いいな、こんなに本を持っていて。いつも、図書館で借りてばっかり」
「本、買わないんですか?」
「ええ。節約のためかな」
「借りたい本があれば、貸しますよ」
彼女が僕に会う要件をつくるために、本を貸すことにしました。
「じゃあ、これを貸して」
彼女は西洋絵画の入門書を指しました。
「いいですよ」
「絵、詳しいの?」
「嗜む程度にはありますよ」
「ねえ、パウル・クレーって知っている?」
「知ってますよ。あの天使の絵ですよね」
「そうそう。よく知ってるね。ニワトリみたいな天使の絵」
その後、彼女はあらゆる画家の名前を言いました。僕が知っていると言うたびに、彼女は驚いたような顔をしました。僕は得意げに絵画について語りました。
もし神様がいるのなら、スミレさんの代わりに、ミキハさんを僕のもとに遣わしたのではないかと思いました。運命のようなものを感じたのです。僕はレイナさんに向けていた想いを彼女に向けることにしたのです。この人を自分のものにしたいという所有欲が湧いたのです。
所有欲という眼差しで彼女を見たとき、欲情せずにはいられませんでした。またしても、自分は過ちを犯してしまいそうでした。部屋には二人だけしかいません。このシチュエーションがますます情欲を掻き立てます。
「じゃあ、ありがとね」
そんな僕の頭の中など知る由もない彼女はそれだけを言い残して、僕のもとを去っていきました。何も起こらずに済んだのです。




