ヒトノモノ その120 嫌味
百二十
僕はミキハさんを自分のもとに惹きつける力がありませんでした。彼女は坂下と話している時の方が楽しそうでした。僕がいても、二人は僕がいないかのようにしゃべり散らしていました。だからといって、僕は二人の間に割って入るほど、無礼な真似は出来ませんでした。
あるとき、坂下は僕と二人だけのときに、こう尋ねました。
「こないだ、藤原くんの家にミキハさんが行ったそうだね」
坂下がミキハさんから、そのことを聞いたのだと一瞬で理解しました。
「そうだよ」
「どういう話をしたんだ?」
「大した話はしていないよ。絵画の話をしたくらいだねえ」
「そうか」
と言って、坂下は黙りました。
もしかしたら、坂下は僕とミキハさんの仲を邪推しているのではないかという仮説を立てました。
「パウル・クレーって、知ってるかい?」
「知らない」
「知らないの?ミキハさんが好きな画家らしいよ。偶然、僕も知っていてねえ。話が弾んだんだよ」
「どんな絵を描く人?」
「へんてこな天使の絵だよ」
「どこの国の画家なんだ?」
「スイスの人だったはず」
僕はやけに坂下が熱心に尋ねるものだと思いました。そこで、僕は意地悪な質問をすることにしました。
「もしかして、坂下くんはミキハさんのことが好きなのかい?」
彼の目は泳いでいました。
「そんなことはない」
「噓が下手だねえ。もっと上手についた方がいいと思うよ」
「噓なんかついてない」
「別に噓だろうと本当だろうとオレには関係ないがねえ。ただ、ああいう教養があって、気品がある人はそれに適した相手がいるもんだよ」
と出まかせを言ってみました。すると、坂下は少しだけ憂いの色を見せたのです。
僕は彼女の恋人でもないのにもかかわらず、彼より優位に立っている気がしました。自分が実らない恋をしているせいか、他人の恋が実らないことに対して、僕は悪魔のような快楽を感じるのです。
「誤解しないでほしい」
と坂下は強情に言い張りました。その強情さこそ、かえって、彼の内心にある恋心を裏付けていました。
「いやいや。そんなに言われて嫌なことだったかい?勝手な憶測で物事を述べてはいけないねえ。オレが悪かった。すまん、すまん」
と平謝りしました。
彼は「君こそ、ミキハさんのことが好きなのではないか」と言い返せば、良かったのです。しかし、彼はそこまでの知恵がありませんでした。彼は他人を陥れるという汚い感情を持たない素直な人間でした。だからこそ、嫌味を言うのが面白くなってしまうのでした。




