激突? 金属バット
膝と顔面で体を支える三つん這いの体制から、何とか首だけを起こしたところへの、これまた鋭いスイングは本人の宣言通りホームランバッターの威厳と風格だ。腰の入った一撃が、再び俺のわき腹にジャストミートし、俺の意識は宇宙のかなたまで吹っ飛んだ。ちなみに後から聞いた話だが、体の方も見事に駐輪場の果てまでふっとんだらしい。
死なない体のおかげで無事なのか、死ねない体のせいで苦痛が増したのか。
考えるまい。
わずか一秒で宇宙の果てと地球の往復という、エンデバーもコロンビアも真っ青の記録を成し遂げた俺の意識なわけだが、本当に同じ地球に帰って来たのか? パラレルワールドに迷い込んだんじゃないのか? 何もかもの輪郭がぐにゃぐにゃだぞ。
「それは俺の意識が朦朧としているからであって、宇宙は今日も並べてこともなし」
「何言ってんだ? しっかし頑丈な奴だな。俺がこんだけぶっ叩いても折れねぇとか」
「いえ、折れてるんですよ。ぼっきっぼきに。ただ治りが早いだけでそうでもないように見えるっていうか、損な体質って言うか、ちょ、まだぶっ叩くおつもりかよ?」
さすがにまずい。傷つかないわけではないので、きっちりとダメージは蓄積されるわけで、そうなると膝が言うことを聞いてくれないダメージを負った今の俺は、ただの的な訳で、
「やめてー! 俺のヒットポイントはもうゼロよー!」
「だったらくたばりやがれ! 葬らん!」
そういう名前の必殺技なのか、というほどに言い切った木安の顔には、なんとも決意に満ちた表情が浮かんでいる。快楽のためではない、明確な信念のもとに行動している決意が、こちらにも伝わる。だからって暴力が正当化されるなんて、たまったもんじゃねぇけどな。
「死にたくねぇ~」
死なないけどな、と心の中で自分に突っ込みを入れる。むなしい。
「せ、千古くーん。あ、あの、あのね、は、はま、はませんせ」
ぶぉん、という風切り音が衝撃になって耳孔内に荒れ狂う。びゅわんびゅわん反響して、それだけでも恐ろしい。目の前でまつ毛をかすめて静止している金属バットの先端が、鈍く輝くのも俺を恐怖に駆り立てた。
が、死ななかった。
「せ、せぇ~ふ」
玉が縮みあがった。ちびらなかったのは偶然でしかない。
「さすがに目撃されると言い訳できねぇからな。くそっ」
何という完全犯罪思考。が、おかげで助かったのも事実なので、今だけは拾った命のありがたみを噛みしめる。と、それはそれとして、何やら焦った様子の吹水が駆け寄ってくる。吹水が焦っているのはさほど珍しい光景ではないが、やけに慌ててるな。何だ?
「どしたんだよ? そんな血相変えて走って」
といってもめちゃくちゃ足遅いから、知らないものからすれば駆け足しているかどうかも危ぶまれる。
「はう、はぁ、あの、サド、サドルが」
「あぁ、まだ山盛り残ってるんだけど、とりあえず今はそれは置いといていいわ。本来の目的の方が出てきたし」
「目的?」
ようやく駒が揃った。揃うまでに一回俺は虫の息なんだけどな。脇腹が死ぬほど痛い。
「そうだ。今回の真の目的、それはあいつを倒すこと!」
びしっと勢いよく人差し指を突き出す。当然指先にいるのは長さのあまりまくったカーディガンをぶらぶら揺らす、金属バット女。
「えぇ?」
「あいつぐらいの経験値があれば魔王として大幅レベルアップするのは間違いない」
と思う。俺の知る限りのRPGでは大体そうだ。
「あ? やんのか?」
ほら見ろ、めちゃくちゃ凶暴だ。経験値たっぷりのボスキャラの風情だろ。
「無理、だよ。ぼ、僕なんかじゃ、相手になんないよ」
「ものは試しだ。攻撃魔法とか一発当ててみて」
「無理無理無理無理、そんなの使えないもん」
「駄目もとでやってみたらもしかしたらうまくいけば俺の首が何だか意志に反した方向に捻じ曲げられて」
「おい、あたしのチャリのサドルどこやった?」
鼻孔に突き刺さるような甘ったるさはブルーベリーガム。そして今、俺の頭をわしづかみにしているのは我らが顧問。
「浜?」
「先生をつけろ、先生を」
「あの、頭が割れるように痛いんですが」
「もう一回聞くぞ。あたしの、チャリの、サドル……どこやった?」
うぉっ。声聞いただけで全身鳥肌まみれって、どんだけどすの利いた声だ。
「吹水に聞いたんだがお前、学校中のチャリからサドルぱくったんだってな」
あれ? 何だこの流れ? いや、俺じゃないっていうか、俺といえば俺なんだが。
「あの、ね、浜先生の自転車も、サドルが、ないって。それで、千古君が持ってるかも、って。そ、そっちの山に、ある?」
そういう事情でしたかほうほうそうですか。にしてはダメージがでかいぞ、これ。
「あたしはな、コンビニ行ってプリンを買ってこようと思っただけなんだ。それなのにチャリにサドルがない。これは犯人探し出してぶっ殺してもいいレベルでの犯罪だよな」
「いや、途中がだいぶぶっ飛んでますが」
「いいよな、プリンの邪魔して生きていられるなんて思ってないよな?」
やばい、目がマジだ。覗きこめば命を食らいつくされそうな、どす黒い光が宿っている。これが狂気というやつか。
「ち、ちがうんです。これは部の活動の一環というか」
「いつからうちの部はサドルパクリ部になったんだよ? 他のはいいとして、あたしのパクるってどういう了見だよ」
駄目だ、既にこの大人の中に常識や良識はない。最初からなかった気もするけど。
こうなったらやむを得ない。本来の趣旨を説明するほかない。でなければ、俺はきっと無間地獄に匹敵する苦痛をうああああ頭痛い頭痛い!
「こ、これはですね、悪事を働くことによって吹水に魔王としての経験値を稼がせて、魔王としての覚醒を促すという本来の部の活動趣旨に沿った実験なんですぅぅぅ」
最後の方は絞り出すような声になったが、何とか言いきった。と思う。
とたんに駐輪場からは音が消え去り、風が木の葉を撫でる音だけがざわめきのように流れてゆく。話し声やその他雑音もさることながら、この一瞬で場の空気そのものが一変したような気がした。
頭を締め付ける力が弱まり、解放された俺はよろめくようにして後ずさり、周囲を見回す。が、一度では何が変わったのかは分からない。せいぜい吹水が近付いたぐらいか。
二度、三度と視線を巡らせてようやく、その原因に気がついた。
「お前、今なんつったよ?」
俺を睨みつける、木安の視線が先ほどとは一変していた。なんというか、それまではメンチを切って敵視しつつも、あくまでも生徒会や個人としての使命感のような、まっすぐな感情がその奥にはあった。しかし今そこにあるのは、そうした悲喜こもごも全てを覆い隠してなお余りある、憎悪。嫌悪。
なんだなんだ? 何でいきなりこんなえげつないもん向けられてるんだ?
「いや、まぁ大したことないっつーか、な。聞き流して」
「魔王を育成と言ったんだ。それがこいつらの部活の趣旨だからな。お前ら生徒会なのに、聞いてなかったのか? ちなみにこいつが魔王な」
「ひゃう」
吹水の首根っこを捕まえた浜は、鉄壁の能面のまま木安にご対面させる。片手で人間一人持ちあがる腕力ってのもすごいが、襟首つかまれて猫のようにおとなしくぶら下がる吹水もどうかと思う。
「ほんと、なのか?」
「あー、まぁなんて言うか、そういうのもやってるっていうか、サイドビジネス的に」
「ぼ、僕、魔王だよ」
チーン。どこかで電子レンジでもなったのかと思ったら、どうやら俺の脳内再生だったらしい。しかも電子音ではなく、仏壇に置いていあるアレ。(あれの正式名称は鈴と書いて「リン」と読むらしいとは後日談だ。美緒らしからぬ雑学だ)を鳴らした音だ。
「なんでわざわざ名乗るー!」
「え? でもでも、この間美緒も言ってたけど、こそこそするなんて、ま、魔王らしく、ない、って。ぼ、僕もそう、思うし」
「にしても今このタイミングはないだろ。ほらー、あいつやる気になっちゃってる」
バキバキ拳を鳴らして、首も鳴らしてる。わかりやすいやる気の発露だし、なんか携帯で誰かと喋ってるっぽいんだがこれもいやな予感しかしない。あれ? もしかして今、俺の周りで死亡フラグがたちまくってる?
「バッキバキにな」
「あんたのせいでしょ! ってかサドルだったらその中から好きなの持って行っていいから、どっか行ってくださいよもー」
そそくさと手近なサドルを一個ひっつかむと、トレードマークの白衣を翻して颯爽と去ってゆく保険教師、浜茜。どさくさで一番きれいで新しいサドルを持っていったのには目をつぶっておこう。今はそれどころじゃないから。
これで二対一。ちなみに、浜は敵カウントだったので、先ほどまで俺の認識では二対二だった。有利になったわけだ。なんつう顧問だ。
「もうすぐ三対二になる。あーちゃんとバカも来るからな」
「誰だよそれ?」
「副会長と会長だよ。わかれや、ボケ」
そう言えばこの間、副会長を「あーちゃん」と呼んでたな。ってことは会長が「バカ」に相当するわけだ。なんだろうか、ほとんど面識がないのに親近感がわくな。
「んでも、来るころにはもう終わってるけどな」
「あ、何か物騒なこと考えてる顔だ。そして、めっちゃ嫌われてるな、俺達」
「そりゃそうだろ。誰が魔王とその手下を好きに何かなるかよ。なんせこっちには勇者がいるんだからな、覚悟しやがれよな」
あー、やっぱいたのか勇者。しかも美緒の推察(願望?)どおりに生徒会が勇者様ご一行とか、ますます俺たち詰んでるだろ。学園生活的にも。
「ってことは、やっぱ会長が勇者だったりすんのか?」
「んな訳ねぇだろ。あのバカはあーちゃんについた悪い虫だ。いつか駆除してやる」
「じゃ、お前が」
「相手見てもの言えよな。俺みたいな素行不良が勇者だなんて世も末だろ」
ご自分のことをよくわかっていらっしゃる。となると……へぇ、あのおっとりした副会長が勇者な訳か。なんかタイプが違うって言うか、俺の知ってる勇者とはジャンルそのものが違いそうだな。
「甘ったるいこと考えてると、ミンチにすんぞ」
「や、それはちょっとご遠慮願いたいというか、不死身でも今はまずいっていうか」
ちらりと木安の背後に鎮座しているサドルの山に目を向ける。そのふもとには、器用にサドルを枕にして眠るカナメの、穏やかな寝顔がある。確認、まだ睡眠中。つまり、
(やべぇ、これ以上やられるとさすがに俺の存在も危ういかもしれん)
ダメージのせいで俺を構成する神気が幾分か消滅してしまったのだろう。
この時点で俺の意識は半分眠っているようにピンボケで、体の感覚もいまいちはっきりしない。立っているのもふわふわと雲の上にいるようにおぼつかない。多分最後の一発で完全に気を失わなかったのは、この感覚の鈍化のせいだ。いいのか悪いのか。
「「ってわけだから」」
俺と木安の声が見事にハモる。向こうは完ぺきにそのつもりだ。こっちもこっちでそのつもりだが、どの「そのつもり」なのかは、次の言葉ではっきりと明暗を分けた。
「往生せいや! 葬らん」「にげるっ!」
俺は力強く宣言し、力の限り地面をけり、力いっぱい腕を振った。
「あ、てめ」
「脱出!」
見事なまでの奇襲作戦。完璧に相手の機先を制することに成功する。背後に、行き場を失った金属バットの処理に困って唖然とする木安の顔を確認する。おそらく瞬きほどの間に追撃態勢を整えて全力で追ってくるだろうが、その一瞬があだになる。
「伊達に美緒から逃げまくってねえよ」
ちなみにこの逃げ足については美緒以前はおかんから逃げるために鍛えていたのだが、惜しむらくはその両者から逃げおおせたことはないということか。ただ、それは化け物相手の戦績だ。相手が人間なら確実に逃げきる自信がある。
情けないとか言うな、生きるためなんだよ。
背後からの「待ちやがれ」の声がドップラー効果を引き起こす勢いで駐輪場を駆け抜け、校舎の角を曲がる。目指すはグラウンド、さらにはその奥の焼却炉。校舎裏に不法に投棄されたゴミ袋を飛び越え、放置されて半ば化石と化した野球のボールをけり飛ばし、第一次産業部の飼育する鶏に罵声を浴びせられながら、とにかく全力で駆け抜けた。既にこの時点で勝負は決しているといってもいいが、とにかく今の俺がやるべきことは今のうちに一秒でも差を広げて引き離すことだ。なぜなら俺が逃げて、行きつく先には、
「お、おかえり」
「ただいま」
カナメが待っているんだからな。
うまく角を曲がったあたりで消えたので、たぶん俺が消えたことすら木安にはばれていないはずだ。だとすれば奴は今頃、見当違いの方向に向かって全力疾走しているはずだ。追ってきてくれるかどうかはギャンブルだったが、どうやら推測した性格通りだったようだ。俺、グッジョブ。
さすがにこの時期だと、全力疾走すれば滝のように汗が流れるが、贅沢は言っていられない。あごを伝って落ちる汗のしずくを手の甲で拭い、ゆっくりと息を整える。
心臓が耳元にあるみたいにバクバクうるさい。耳鳴りがずっと付き纏うのも鬱陶しい。
「これでうちのボスを引っ張り出せるわけだが、ちょっと目を離した隙にこれは……」
「う、うん。ごめんね……何か、色々起こって、ちょっと混乱して、そしたら」
「まあ、謝りたい気持ちもわからなくもないんだが、もう今さらだしな」
「う、うん」
ワープで帰ってきてびっくり。なんせ、先ほどの教室とは比べ物にならない濃さで、魔界の方々がうろついていらっしゃる上に、周囲の景色も何だかどんよりと淀んでいる気がしないでもない。時折、悪魔的な紳士に優しく微笑みかけられたり、直立二足歩行するナマズみたいなのと目があったりするのは愛嬌だ。
どうやらこの魔界現象は、吹水の精神状態に大きく影響されるらしいことが判明したわけだが、
「いよいよ、色んなもんが佳境っぽいな」
こんな風に目に見えるクライマックスって、何かいやだな。
カナメを背負った俺は、魔界の方々に愛想笑いをふりまきながら一路部室を目指す。
「でもたぶん、あの場所で色んなもんが決着するんだろうなー。美緒いるもんなー」
何の根拠もないが、俺の本能がそう告げていた。
「さっすが俺、神様の下僕だぜ」
神様の体温は、背中にほんのり暖かい。
「汗臭いよぅ」
「だったらてめぇで歩け」
「かれーしゅー」
「断じて違う」
かぷっ
「痛い」
燃料補給完了。はぁ、ガス欠になるまで働かせてもらいますよ、神様。




