怪獣? 大決戦
生物実験室の角を曲がるあたりで、何やら言い争う声が聞こえてきた。
「なんだ? もう何か始まってんのか?」
角を曲がって、薄暗い廊下の奥に目を凝らすと、数名のシルエットが目に入る。この距離だと顔ははっきり見えないが、それぞれの特徴的な輪郭でおおよその想像がついた。
腰まであるポニーテールが美緒、ビスクドールのようなフリルひらひらが副会長、その隣の男子生徒がおそらくは会長だろう。なぜだか会長に気安く手を振ってしまいそうになるのは、先ほどのやり取りのせいだろう。
ただそうもいかないのは、廊下を所狭しと歩き回る魔界の方々のせいだ。
まだこの世界では実体化していないとはいえ、その密度はこちらの世界にある物体とそう変わらないほどにはっきりと見えている。それが壁をすり抜けたりして普通に歩きまわっているのだから、下手なホラーハウスなんかよりよっぽど恐ろしい。
そんな中を、美緒の元気いっぱいの声が突き抜ける。
「だから言ったではないか、我々の幽霊君は今回の一件とは全く関係ないと。見たまえ、この光景を。先日の事件、原因はこれだよ」
「だから来てるんだろー。もう幽霊どうのこうのじゃなくって、魔王いるって聞いたぞ。もー変なのいっぱい呼んじゃって」
「君は黙っていたまえ、会長君。私はこの、自称勇者君と話しているのだよ」
「自称じゃないです、ちゃんと勇者なのです。天使からの任命を向けたのです」
そう言って紙切れを美緒に向かって突き出してるけど、なんだ?
「雇用、契約、しょ?」
「そうです。私はきちんと勇者として、神の使いと契約したのです。おかげでこうして魔力を見ることもできるですし、経験値をためるとレベルも上がるのですよ」
「にしてはレベルが二十とは。そのレベルでクリアできるRPGなどあるのかい?」
「仕方ないだろ~、二十になった時点で急に魔物が出てこなくなったんだから。ちなみに俺は二十三ね」
何のことかわからないので、とりあえず近づくことにした。にしても、ぶつからないとはいえ魔界の人、邪魔だな。すり抜けりゃいいんだけど、なんかイヤだし。
「お、来たねシュータロー。いよいよ最終決戦だよ」
「何が最終決戦だよ、だ。それよか先に片付けることあんだろー」
「そうだね、先にこの自称勇者たちを葬り去らなければだね。流石はシュータローだ」
もう溜息も出ねぇよ。
「れ? 春ちゃんはどうしたの? 君らのとこに行かなかった? まさか、春ちゃん倒せたの?」
「なんで俺の周りには『倒す』とか『やっつける』っていう発想が普通に出てくる輩ばっかなんだよ。どこの世紀末だよ、この学校は」
「ごーめんごめん、ついついこの人たちといるとそういう発想が普通になっちゃって」
なっちゃって、じゃねぇよ。好青年な笑顔を振りまいてはいるが、やっぱりこの会長も一癖も二癖もありそうな匂いがぷんぷんする。
「で、倒したのかね?」
「お前も何を気にしてんだよ。倒してねーし倒せるわきゃねぇだろ、あんなん」
「ちなみに春ちゃんはレベル九十九だからね」
「なんであいつだけカンストしてんだよ!」
道理で一発でチャリが粉砕されるわけだ。まともに戦わなくて良かった。
「きや、き……会計ちゃんは、すっごい気合い気入ってたですからね。一人でもずっと校内で狩りまくってたですし」
そういえばさっきも経験値がどうこうとか言ってたな。世迷言にしては、木安のレベル九十九が妙に現実味を帯びているし、気になるな。
「ってか、レベルとか経験知って何なんだよ? あんたらほんとに勇者なのか?」
美緒が確認してるだろうけど、とりあえず美緒フィルターを通らない情報を確認しておくべきだと判断する。背中では何やらカナメがごそごそと動いてくすぐったい。
「私たちは正真正銘勇者です。これがその(ごそごそ)証明の契約書です」
そう言って、さっき美緒に見せつけたらしい紙切れをポケットから引っ張り出して、俺の鼻っ面に突き付ける。
「なになに? 『勇者雇用契約書』だと? うわ、字こまかっ!」
A4用紙一枚にびっしりと書き込まれた内容は、文字が細かすぎて一行目で読むのを放棄したくなるが、契約書というのはそもそも読む気を起させない目的でこんない細かいという話を聞いたこともある。しかも、悪徳な契約であればあるほどに。
「んで、えーっと雇い主が「神の使い」で、業務内容が「魔物退治」と。うっさんくせぇな。そもそもこの神の使いって……」
ん? 何かがひっかる。が、目の前の契約書の内容に目を奪われた俺は、迂闊にもその引っかかりを重要視することはなかった。それより目を引いたのは、契約書の備考欄に書かれた「魔物」の欄についてだった。
「何だこの「魔物の定義については魔王、大魔王を含むものとする」って」
しかもご丁寧に、黄色のラインマーカーで線まで引いてある。
「そこが重要なのだと、神の使いが言ったです……夢の中で」
「夢?」
訝しがる俺を制するように、会長が割って入る。用意していたセリフを言うようななめらかさがちょっと鼻につくな、こいつ。親近感、撤回。
「そ。俺たちみんな、夢ん中で契約してたわけ。俺のもあるんだけど、俺のは勇者のサポートって名目だし、春ちゃんに至っては職業欄を自分で書き換えちゃったらしいよ。狂戦士に」
まあお似合いな職業ですこと。
「それにほら、レベルも上がったのです」
そう言いながら会長は前髪を書きあげ、ずいっとおでこを差し出してくる。そして何を思ったか、口を閉じて「ん~」と力み始めると、見る見るうちに顔が真っ赤になる。頬っぺたや目の周りが赤く染まるのはなんだかほほえましい光景だ。
「あ、ほんとだ。パラーメーター出てるな」
しばらくすると、会長の額にはうっすらと文字が浮かび始め、それが次第にはっきりと読める濃さになったところで、ゲームなんかで見慣れた構成であることが判明する。
名前と、その下にはご丁寧にヒットポイントやレベル、ステータス異常まで表示されている始末だ。ほんと、まんまRPGな奴らだな、こいつら。
「しかも、『天然』って……これ、ステータス異常だったんだな」
「それには俺も驚いた」
じゃぁ、これで行くと吹水は『混乱』で、美緒は『暴走』あたりが出そうだな。って、そんなことはどうでもいいな。とりあえず問題なのは、本当に勇者が現れて立ち塞がった、ってことだからな。ますますこの世界が信じられなくなってきたよ、俺。
「で、ここしばらく学校のあちこちに湧いて出た魔物を倒して経験値をためていた、ってわけだよ。ちなみに、レベルが上がるとちゃんとファンファーレも鳴るんだよな」
その言葉が、どうにも俺には座りが悪い。喉に魚の骨が引っ掛かるような不快感とでも言えばいいんだろうか。それに何だろうなこの、胃のあたりがムカムカすんのは。
隣にいる吹水も同じらしく、ギュッと下唇を噛んで、つま先に視線を落としている。表情こそわからないけど、グーを握った手が痛々しい。
「で、その勇者様ご一行は、我々に何か用でもあるというのかね?
「だから、言ったですよ。て、てん……部長さん、即刻魔王を引き渡すです。先ほど、うちの会計から連絡があったですよ。委員長さんが魔王だと」
やっぱりさっきの電話はそうだったか。そう来るか。そうなるよな。勇者だもんな。
「だが断る」
見事な即答。そしてやっぱり、こっちはこうなるよな。天王寺美緒だもんな。
まあ、これには俺も賛同だ。何だか知らんけど、この勇者たちに味方してやる気には、どうしてもなれない。
美緒が副会長と吹水の間に立ちふさがるように仁王立ちしたので、俺もその隣にそそくさと移動する。一応これでも男の子だからな。
「あのさー、こんな変なもんがうじゃうじゃ出てきてんのに、そんなこと言ってどうすんの? 普通の生徒とかに見えるようになったらパニックどころじゃ済まないよー」
言うとおりだ。恐ろしく正論だ。こいつの言うことは徹頭徹尾間違っちゃいない。
腹がたつほどにな。
「というわけです。さあ、魔王を」
「断ると言ったはずだよ。我々の目的は彼女を魔王たらしめることだ。たとえどんな困難が付き纏おうとね。ひいてはそれが超科学部の到達点、魔法への最短距離だからね」
そしてこっちは徹頭徹尾、間違っている。普通の頭で考えれば、どっちを応援するかなど考えるまでもない。幼児にもわかるレベルだ。
「そんな無茶苦茶なー。君らの理屈で学校中に迷惑かけていいはずなんて」
「ぼ、僕は」
それまで蚊帳の外のように、ポツンと輪のはずれでつま先ばかりを見つめていた吹水が、唐突に口を開いたかと思うと、なんともらしくない勢いで身を乗り出した。美緒さえもが一歩引くほどの勢いに、生徒会ズもたたらを踏んでいる。
「強くなりたくて、魔王になることを選んで、でもまだまだ弱くて、でも、でも」
言葉の一つ一つがきちんと選別されていないせいで意味をなしていないが、その必死さにはさしもの会長も口を挟みあぐねている。
その間にも、魔界の住人はうろうろと周りをうろついているが、不思議なことにその誰もが吹水のことを一瞥するように視線を向けて歩き去ってゆく。たぶん、俺達に向こう側が見えているように、向こうからもこちらが見えるようになってるんだろうな。その手始めに、やっぱり魔王から見えるようになる、ってことなんだろうか。
『ピンポン正解だ。多分もうちょっとしたらお前らのことも見えるようになって、たがい意志の疎通とかできるようになり始めるぞ。そしたら、魔力が見えない奴らにも見えるようになるだろうな』
『相変わらずいきなりだな。んで、大体どれぐらいの時間がかかるもんなんだ?』
『わかんねえよ、そんなもん。だって、こんなことんなったの初めてだからな。ただ』
『ただ?』
うわ、ここで一番聞きたくない一言だな。
『時間よりも、なんかでっかいきっかけでもあれば一発だろうな』
なんともあてにならない話だが、とりあえず大ピンチなのは確認できたわけだ。が、
「僕は、立派な魔王になる! 魔王に、なって……こ、高校生活を、楽しみたい!」
この宣言に、胸を撃たれたように思考がはっきりする。それまでのもやもやとした考えが、霧があはれるようにクリアになったのがわかった。
理屈や道理じゃない、けれど人の心を掴む力のある言葉というのは、いつでも唐突なくせ、有無を言わせない。これがまさに、俺にとってのそれだった。
(なんだ、単純なことだったんじゃねぇか。悩んだのがあほらしくなる)
青春したくて、何かが起きそうな気がしてずるずると美緒につきあった自分と、積極的に自分から楽しむために、美緒のところに飛び込んで頑張った吹水。一緒だなんていうには俺は何もしてなさすぎる。でも、わかる気がした。
思わず口元がゆるんでしまうのを引き締められない。
「何を勝手なこと言ってんの。そもそも君が魔王になんかなったから、いろんな問題が起きてるわけで、とっとと魔王をやめてもらうか俺達に退治されちゃってさ」
「よく言った、委員長君! 君のその覚悟に私のハートは震えまくったよ」
「うん」
何やらやり切った感のある吹水は、紅潮する頬に満面の笑みをたたえている。ただの近眼用になったセルフレームの眼鏡が斜めに歪んでいるが、いい笑顔だと思った。
「はぁ~?」
対して会長は、まあ、そりゃそうなるよなっていうリアクションだ。どう考えたって自分の方が正しいのに勢いだけで押し切られた時、人間ってアホの顔になるんだな。知ってたけど、目の当たりにするのは初めてだ。俺っていつもこんな顔してたのか。
「というわけで会長君。我々は忙しいのだよ。彼女を大魔王として覚醒させ、なおかつこの世界をも救う。どちらもやらなきゃいけないのが、我が超科学部の選択だよ」
「そんなこと、できるはずが」
「できるかできないではない、やるのだよ!」
何だこの自信。どっから湧いてくるんだよ。とはいつものことだが、今日の美緒は一味違った。どこが、と言われても困るんだが、何やらいつもの無茶なノリだけではない何かを感じさせる。そう、まるでまだ切り札を隠し持っているような……まさか、
「おい美緒!」
「というわけで出でよモンスター! 勇者どもを駆逐するのだ!」
「やっぱりかーい!」
スカートのポケットから引っ張り出される、見慣れた魔法陣。何と書いてあるのかは俺には判別不能だが、知りたくもない。派手に閃くスカート、開くスリット、生々しい太ももの向こう側にちらりと見えるかもしれないもののために俺は少しだけかがんで
「シュウぅ」
意識がもうろうとし、その場に崩れ落ちる。
「今、美緒のパンツ見たでしょぅ」
「い、ちが……」
思考が混濁し、脈拍が弱まっていくのがわかる。視界が暗くなる。ああ……。
「何をやっているのだねシュータロー。パンツならあとでいくらでも見せてやる、今は」
「マジでか!」
「ふわぁ、シュウがあたしの束縛を振り切ったぁ」
思春期のリビドーをなめるな、ということだ。しかし何故だろう、涙が止まらない。
と、こんなアホなことをやっている間にも、美緒の展開した魔法陣はどことも知れない世界につながったようで、溢れだす光の中からたくましい人型のシルエットが現れ始めている。まだ輪郭だけで細部は全くわからないが、それでも筋骨隆々っぽい上半身や、天井に頭がつきそうなほどの巨体は、なんとも頼りがいがありそうな
がっしゃぁぁぁん
「あーちゃんに何すんだ、ざけんなよ。どぉっせぇぇぇぇい!」
「あ」
砕け散るガラス片をものともせずに、廊下に飛び込むもう一つの影。ぶかぶかカーディガンが見えたときには、既に金属バットの一撃が魔法陣の光の中に叩き込まれていた。
ただそれだけ。その一撃で、すべては終息した。ここ、二階なんだけどな。
霧が晴れるように光は霧散し、断末魔の声どころか姿を見せることすら叶わずに、魔物は消滅したわけだ。いったいどんな奴だったのか興味は尽きないが、それはまたの機会に。と、
ぱらららっぱっぱっぱ~ん♪
「あ、レベルが上がったです」
「おぉ~、一気に三十。かなり上級なモンスターだったってことか。見えなかったけど」
鳴り響くファンファーレの中で、会長と副会長の額の数字が書き変わる。
「やれやれだ」
「やれやれじゃねぇ、レベル上がっちゃっただろ、あいつら!」
「なんとも困ったものだね。というか何をやっているのだね君は。早く手を打ちたまえ」
「手を打つって、どうしろって」
「おらぁ! やっと見つけたぞ魔王の手下ぁ。さっさと往生しやがれ!」
さすがにもう時間稼ぎは終了か。レベル九十九の情報を聞いたせいか、さっきよりも恐ろしさ三倍増し、金属バットもエクスカリバーに見えてしまう。
ともあれ、
「なんか、いつの間にかクライマックスの気がするんだが」
「奇遇だね、私もそんな気がしなくもないよ。うん? どうしたね、いい顔をして」
「どうもしねぇよ。てめぇこそ楽しそうだな」
「そりゃそうだ。楽しくないわけがない」
そんな状況だというのに俺と美緒の顔には焦りや不安というものはかけらも見えない。むしろ、ちょっと危ない笑みが浮かんでいるほどだ。自分の顔はわからないが、頬がひきつっている気がするので、かなり変な顔で笑っているはずだ。
「かくなるうえは!」
「うえは?」
美緒が勢い込んで床を踏み鳴らし、歌舞伎俳優もかくやという勢いで髪をなびかせる。
「実力行使だ。来たまえ、木安春!」
「じょぉぉぉぉとぉだぁ、天王寺ぃ。ここで俺の経験値にしてやんよぉ!」




