悪事? 計画
自転車置き場で、端から順にサドルをはめていく。高さ調整は本人に任せるとして、とりあえず今重要なのは一刻も早くサドルをはめることだ。
俺の傍らでは、自転車のサドルを専門に扱う業者かって程の、山盛りのサドルが自転車置き場の片隅を埋め尽くしている。
「くそ、これなんて拷問だよ……」
「せ、千古くーん。こっちの列は、終わったよ」
ギュッと力を込めて一台完成。さらにその隣でぽっかりと口を開けたフレームにサドルを突っ込んで、ぐりぐりと押しこむ。まだまだ先は長い。
「おぉ、こっちはまだまだだけど、とりあえず部活終わりまでには間に合うと思うぞ」
「う、うん。じゃ、じゃぁ僕は、向こうの列、行くね」
言いながら吹水は、サドルの山からいくつかを抱えてたたたっと別の自転車の列に駆け寄っていく。なんとも頼りないフォームだ。典型的な女の子走り、ってやつだな。
トタン屋根と錆びたフレームがあるだけのやっつけな駐輪場は、下校時刻も過ぎたおかげで幾分閑散としてはいるが、それでも部活をしている人数分は自転車が残っているわけだ。ざっと見ただけでも数十台。
そのことごとくがサドルのない間抜け面を、長閑な春の日に晒している。
で、俺はそこでそいつらにサドルをはめて回るという新手の嫌がらせを受けているわけだが、ではなぜこのくそ忙しくて切羽詰まった時にこんなことをしているのかというと、時計を三十分ほど巻き戻す必要がある。
場所は「委員長を魔王にする宣言」が行われた直後の、春うららな教室だ。
「というわけで」
なんだかこの常套句を乱用する知人がいたけど、今は記憶から抹消だ。
宣言した勢いをそのままに、俺は口を開いていた。あとから考えればこの『勢い任せ』ってのが敗因なのは明白なんだが、ノリって大事だろ?
「魔王たるもの悪事に手を染めてなんぼだ」
「「おぉー」」
放課後の教室に、イマイチ勢いに欠ける二つの拳が突き上げられる。言わずもがな、カナメと吹水だ。やる気だけは満々らしく、二人ともなぜかジャージに着替えている。かく言う俺も学校指定の臙脂色のジャージ。だっせー。
「まずは何をする?」
「あたしの神気の力でぇ、人類滅ぼしちゃ」
「却下だ! やりすぎだろ。ってか、そんなことできちゃうのかよ。やるなよ」
「はぁ~い」
うん。人類滅亡はやりすぎだよな。いくら魔王になるためとはいえ。さらりと世界の危機まで救っておいた。危ういところだ。
「タバコ、吸う、とか?」
「ん~、何か地味だな。それに俺、タスポ持ってねぇから買えないし」
それに、たばこの臭いなんかさせて帰るとおかんにブッ殺される。調理場入るのに味がわかんなくなるとかなんとかで、その辺はうるさいんだよな。
「そっかぁ……僕も持ってないや」
というわけで、これも却下。
「じゃぁ、こ、これぇ!」
そう言ってギュッと目を閉じたかと思うと、カナメが薄ぼんやりとした光に包まれる。ほどなくして、俺たち三人で形作る三角形の中心の空間が薄らと輝き始め、その光が徐々に輪郭を持ち始める。何度か見ているが、神の力を行使して奇跡を起こす時の光というのは、何とも神秘的だ。
「おぉ……」「ふわぁ」
感心しきりの俺と吹水の目の前で、なおも力を行使し続けるカナメ。
何かがその場に現れ始め、光に包まれたものがはっきりと見えるようになる。
が、見えるにつれて、がっかりの色が濃厚になってゆく。
どさどさどさどさ
現れた無数の『それ』の中から一つを拾い上げる。実に見慣れた形の、しかしそれ単品で見ることにあまり慣れていない物体。
「なんで、サドル?」
「これないとぉ、みんな困るんじゃないのぉ? この間、テレビで見たよぅ」
いや、困るよ。困るけどさ。自分のチャリんとこに戻ってこれなかったら殺意すら覚えるよ。でも、
「なんか違う気がするんだよな。魔王とサドルって」
「うぅ~、シュウぅ、我がままぁ」
我がままでいいよ。世界中のサドルを集めて魔王になるって、そんな魔王いやだろ。
「とりあえず、返すか」
「ねみゅいぃ……」
「おい! カナメ、おい!」
で、回想終了。ただいま現実。
「ま、そもそも悪事に向かない三人でした、と」
回想シーンの間に体が勝手に動いてて実はもうサドル返却作業終了、ってのをちょっとだけ期待してたんだけど、当然のように俺の隣にはサドルの山がこんもりだ。駐輪場の端っこが、今は世界の果てに思える。
世界の終わる場所とサドル。三流B級映画にさえならなさそうな組み合わせだな。
サドル山の隣では、奇跡を起こしたせいで浪費した体力を回復させるために眠っているカナメ。凄まじく無防備な寝顔が陽光を浴びて輝いている。こうやって見てると神様そのもので神々しさもあるんだけどな。
なんとなく悔しかったので、頬っぺたをつまんでみょーんと伸ばしてみると思いのほか伸びた。文字通り餅肌。
そんな日曜の午後のようなことをしながら、それでも俺の中では一つの策がふつふつと温度を上げ、芽吹こうとしていた。って言うと、嘘っぽいよな。でも本当だ。しょーもないとこで前向きな自分の一面を発揮する。
「前向きじゃないとやってられん境遇に追い込まれたからなんだがな」
ただし、一か八かの側面が強いうえに、失敗すると俺の心が回復不能の大ダメージを受けることになるわけだが、
「ワン・オア・エイト……でいいのか、一か八かの英語訳って?」
そんなどうでもいいことに脳を使いながらでなければ、この単純作業はつらすぎる。じわじわと精神力が消耗するのを実感しながら、俺は流れ作業の仕事は向いていないという事実を噛みしめる。早く、早く来てくれないと……
「!」
ガラガラと、金属の棒を引きずる音が俺の鼓膜を震わせた。次いでこだまする、アニメ声といって差し支えのない、鼻にかかったような独特の声。
「てめぇら、何してやがんだこらぁ!」
来た!
「おっせぇ! やっと来たのか!」
ようやく現れた声に、俺は涙ながらに振りかえった。来てくれなかったらどうしようかと思ったじゃないか、畜生。
「な、なんだお前、気持ち悪い奴だな」
「もっと早く来いよなー。お前にわかるのか、延々サドルを返し続ける俺の辛さが!」
「お、おう。そりゃ、わ、悪かったな」
予想外すぎたのだろうか、俺からの叱責に一瞬はひるみながらも、はっと我を取り戻して、厳しい表情を再構成する。うん、さすがは生徒会。美緒とためを張るだけはある。
というわけで現れたのは、金属バットを構えただぼだぼカーディガン。木安だ。
「じゃねぇ! あっちはあっちだと思ったら、こっちもこっちで何わけわかんねぇことやってんだお前ら! どっかおっかしいんじゃねぇのか?」
俺もそう思う。たぶん全体的におかしいはずだ。でも、
「やかましい! こうやってのこのこ現れたってことは、部室は今ノーガードだ! 引っかかったな、今頃美緒達は」
「向こうは会長と副会長が張ってる。お前らなんざ俺一人で十分だ。おら、わーったらとっとと降参するか、俺に頭かち割られろ」
「マジで?」
「まじだよ。しかもあいつら、ドンジャラに夢中だぞ。何やってんだあいつら、人のことバカにしやがって、くそう」
「ほんとにすまんな。あんな部長で」
心の底からの謝罪がでる。ここまで限界突破で人をばかにした態度というのは、さすがに関係者としては胸が痛む思いだ。
「じゃなくてだな。あれだ、よくものこのこ出てきやがったな。まずは会計のお前から血祭りに上げて、そのあとせいとかい」
ぐしゃぁ
目の前で自転車がひしゃげる。まぁ、もともとそんなに頑丈な乗り物じゃないし、フレームっても所詮は中空のパイプだし、そりゃ金属バットを全力でたたきつければ前半分が原形をとどめないほどのぶっ壊れたって不思議じゃない、よな。
「なわけ、ないよな」
「俺を血祭り? そういう冗談吐くのは天王寺美緒だけだと思ってたけどな。まぁいいわ、フラストレーション溜りまくりだし」
スイッチが入ったように木安の目元が鋭くなる。元来睨みつけるような目つきだけど、今は何もかもが気に食わないとでもいうような眼だ。小型の草食動物なら、この視線だけで捕獲できるだろう。
「あの、まだメンバー揃ってないっていうか、あの、おーい、いいんちょ」
「とりあえず、死んどけや。葬らん」
「いやぁ、死なないからだなんですけどねあはは……んぶぅ」
逆袈裟にふりあげられたバットの真芯が、見事に俺の体の真芯を捉える。ホームランの語源って相手を確実に葬らん、から来てるんだぜなんていうアホなネタを思いついたが面白くない。背骨と内臓をいっしょくたに絞りあげられるような痛みが脳髄に到達するまで、時間はかからなかった。が、その短い時間さえ体を支えることはできずに、気がつけば前のめりに崩れ落ちていたわけだ。道理で土の味がする。
「まだ生きてるか? んじゃ次行くぞ」
「ま、まで……ほ、やばい、もしかしたら」
「葬らん!」
「まじ、か?」
今度こそ意識はふっつりと途切れた。




