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さらば平穏な日々

王都の大聖堂に赴任して、一週間。


俺は最近、ひとつのことを学んだ。


人の噂というものは。


怖い。


「神父様!」


「はい、次の方」


「相談があります!」


「順番に話せ」


「ありがとうございます!」


朝から、これである。


大聖堂の一室。


俺の前には、相談者の列。


そして。


俺の後ろには、順番待ちの列。


……昨日まで、こんなものはなかった。


俺はただ、普通に神父をしていただけだ。


少なくとも。


三日前までは。


「神父様、次の方です」


「そうか」


次に入ってきたのは、見覚えのある冒険者だった。


「神父様。この前の件、助言のおかげで仲間と話し合うことができました!」


「それはよかった」


「本当にありがとうございました!」


「気にするな」


冒険者は深々と頭を下げて出ていく。


扉が閉まる。


俺は小さく息を吐いた。


……うん。


ここまではいい。


人の悩みを聞く。


神父として、まあ普通だ。


問題は。


「次の方です」


「はい!」


入ってきた男が、開口一番こう言ったことだ。


「神父様。魚を買うなら、東市場と西市場、どちらがいいでしょうか?」


「…………」


何の相談だ。


◆


「東市場だ」


「理由をお聞かせいただいても?」


「西市場は最近、道が狭くなっている。荷車も増えた」


「なるほど……」


「買い物だけなら東でいい」


「……さすがです」


男は感動したように頷いた。


いや。


普通に考えれば分かるだろ。


わざわざ相談するほどのことか?


「ありがとうございました! やはり神父様に聞いて正解でした!」


「そうか」


男が帰っていく。


俺は椅子に座り直した。


……俺は魚屋じゃないぞ。


◆


その後も。


「店を移すべきでしょうか」


「まだ早い」


「……やはり」


「客の流れが変わってからでいい」


「そこまで見えているのですか……!」


……見えてない。


「娘が冒険者になりたいと言っています」


「本人に決めさせろ」


「……なるほど。親が口を出すべきではない、と」


……そこまで言ってない。


「最近、剣が上手くなりません」


「毎日振れ」


「!」


……いや。


これは本当に毎日振れば上手くなるだろ。


「神父様……!」


「何だ」


「ありがとうございます!」


……何がだ。


◆


昼を過ぎた頃。


ようやく休憩に入れると思った。


「神父様。騎士団からお客様です」


「…………」


「お通ししても?」


「構わない」


入ってきたのは、先日の銀色の鎧を着た騎士だった。


「神父様。先日の魔物の件について、ご報告があります」


「聞こう」


「北東の森で、魔物を誘導したと思われる痕跡が見つかりました」


やはりか。


俺は地図を見る。


「西門から北東へ続く動きなら、途中にも何かあるはずだ」


「すでに調査隊を向かわせています」


「そうか」


騎士が少し黙った。


「……驚かれないのですか?」


「予想していた」


言った瞬間。


しまった、と思った。


いや。


別に嘘ではない。


ゲームを知っている俺からすれば、予想できる。


だが。


「やはり……」


騎士の顔が引き締まった。


「神父様は、あの時点ですでにそこまで読んでいたのですね」


「…………」


違う。


そこまでではない。


「敵の目的も?」


「それは分からない」


「なるほど」


騎士は頷く。


「分からないことは、分からないと」


「そうだ」


「さすがです」


「…………」


何がだ。


「では、調査を続けます」


「焦る必要はない。分かっていることから調べろ」


「はっ!」


騎士が去っていく。


俺は一人になる。


そして。


机に突っ伏した。


……疲れた。


なんで俺がこんなに働いているんだ。


神父って、もっとこう。


礼拝して。


祈って。


たまに相談に乗るくらいの仕事だと思っていた。


「暇だな」


とか言っていた三日前の俺に言いたい。


――お前。


今のうちに休んでおけ。


◆


夕方。


また若い冒険者がやってきた。


「神父様」


「何だ」


「ひとつ、お聞きしたいことがあります」


「話せ」


冒険者は真剣な顔をしている。


「あなたは……未来が見えるのですか?」


「見えない」


即答した。


「ですが、魔物の件も。俺たちのことも。なぜそこまで……」


「知っていることを考えているだけだ」


「…………」


「分からないことまで、分かるわけではない」


「では……未来を予測している?」


「そんな大したものじゃない」


俺は少し考える。


「目の前にあるものを見て、次に何が起こるかを考えているだけだ」


冒険者は黙っている。


やがて。


「……なるほど」


「そうか」


「だから、神父様は未来そのものではなく……」


「?」


「未来へ至る道を見ているのですね」


「…………」


いや。


違う。


そういう話ではない。


だが。


冒険者は納得したらしく、深く頭を下げた。


「ありがとうございました!」


「気にするな」


扉が閉まる。


俺は天井を見る。


……なんでそうなるんだ。


◆


その日の夕食。


俺は静かにパンを食べていた。


今日くらいは、誰にも邪魔されないだろう。


そう思っていた。


「神父様」


「…………」


顔を上げる。


そこには、食堂の入口からこちらを見ている数人の姿。


「相談してもいいでしょうか?」


「…………」


「神父様?」


「食事が終わってからだ」


「はい!」


数人が素直に去っていく。


俺はパンを見る。


パン。


スープ。


パン。


スープ。


……俺はいつから、食事中まで相談を受けるようになった?


◆


翌朝。


大聖堂の入口を見て。


俺は固まった。


人がいる。


ものすごくいる。


昨日より多い。


明らかに多い。


「神父様!」


「相談があります!」


「俺もお願いします!」


「商売のことで!」


「娘のことで!」


「剣のことで!」


「昨日の魚市場の件ですが!」


最後のやつは帰れ。


俺は額を押さえた。


……なんで魚の話まで広まっているんだ。


「一人ずつだ」


声を張ったわけではない。


それでも、入口が静かになる。


「順番に話を聞く。慌てるな」


「はい!」


「ありがとうございます!」


「やはり神父様はお優しい……」


「どんな悩みでも受け止めてくださる」


「…………」


俺は目を閉じた。


違う。


俺はただ。


朝から全員に話しかけられているだけだ。


それでも。


困っている人間を放っておく気にもなれない。


「……仕方ない」


小さく呟いて、椅子に座る。


今日も一日。


話を聞くことになりそうだ。


◆


その頃。


王都へ続く街道を、一人の少女が歩いていた。


小さな荷物。


腰には一本の剣。


少女は遠くに見える王都を眺める。


やがて。


大聖堂の尖塔が見えた。


「……やっと着いた」


少女は足を止める。


そして。


少しだけ笑った。


「噂になってるみたいだね」


王都で聞いた話は、どれも凄いものばかりだった。


魔獣を素手で止めた神父。


人の心を見抜く神父。


未来を見通す神父。


少女はしばらく黙っていた。


そして。


小さく笑う。


「……やっぱり、すごいことになってるんだね」


昔から知っている。


あの少年が、普通の人間ではないことくらい。


子供の頃から。


何をやっても勝てなかった。


剣でも。


体力でも。


勝負事でも。


いつだって、少し先を行かれていた。


「昔から、私よりずっと強かったもんね」


少女は剣に手を添える。


今、王都で聞いた噂が本当なら。


あの頃よりも。


もっと遠くへ行ってしまったのかもしれない。


「人の心まで見抜くなんて……」


少しだけ困ったように笑う。


「昔から凄かったけど、そこまでだったかな」


少女は大聖堂を見る。


そして。


どこか嬉しそうに目を細めた。


「でも……」


「今のあなたなら、本当にそれくらいできそうだね」


少女は再び歩き出す。


「久しぶりだね」


小さく呟く。


「会うの、楽しみだな」


◆


大聖堂の中では。


今日も、神父への相談が続いている。


本人の知らないところで。


その評判は、すでに王都中へ広がり始めていた。


そして。


それを聞きつけた少女が。


もうすぐ、彼の前に現れる。


――俺の平穏な神父生活が。


これ以上、壊れることになるとは。


このときの俺は。


まだ知らなかった。

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