第8話 穢れが解き放たれる
アイリーンを押しのけてアンリッヒは飛びのいた。眉を寄せ、顔を歪めながら睨みつけてくる視線は真っ直ぐにクロノスを射抜く。
声をかける間もなく、アンリッヒの眼が赤く染まり――黒い靄が彼女の周囲を纏う。
「あ、あぁあああ! あと少しだというのにぃぃい」
あれは。クロノスが問わずとも、レミリアが一歩、前に出たことで察する。あの黒い靄が穢れなのだ。
「皆さんは後ろに下がってください!」
レミリアは聖槍を構え、戦闘態勢になった。穢れを纏うアンリッヒは彼女を見て嫌悪を示す。憎らしい、憎らしいと呻りながら。
あれはもうアンリッヒではない。穢れに乗っ取られてしまっている。クロノスはアイリーンたちを後ろに下がらせながらも目を離さない。
黒い靄が色濃くなっていく。アンリッヒの身体から溢れ出るそれが亡霊のように形を変えた。彼女の身体を操るように。
「ああああぁ……光は憎い、なんと、邪魔なことかぁあ」
「姿を現したならば、アナタに勝ち目などない」
レミリアは聖槍に光を灯す。その輝きに穢れが苦しみだした。やめろ、やめろと叫び、瘴気を飛ばす。
黒い矢となった瘴気をレミリアは聖槍で弾き返し、飛び駆けた。アンリッヒとの距離と縮めて黒い靄を聖槍で祓えば、穢れの悲鳴が響く。
聖女の聖なる力が穢れを追い詰めているのは声を聞けば分かることだ。レミリアに任せれば良いだろうと、クロノスが思った瞬間、穢れが咆哮する。
無数の瘴気が矢となって飛んでくる。レミリアが聖槍を構え、光の盾を生み出すも、全てを防ぐことができなかった。
巻き込んでしまう。レミリアが後ろを振り向いて――瘴気の矢が穢れへと跳ね飛ばされる。
「母上は二人を屋敷内に避難させてくれ」
クロノスが指を鳴らし、紫水晶の指輪が煌めいて瘴気の矢が方向を変える。自身の攻撃が返ってきて穢れが呻いた。
アイリーンはクロノスの指示に従い、コンラートたちを屋敷内へと入れて玄関扉を閉める。
周辺にいたメイドは執事長のシュバイツァーによって避難しているのを確認して、クロノスはさてと一つ指を鳴らす。
ばちっと火花が散って雷撃が黒い靄を貫いた。轟音と共に。
「あああぁぁあああっ!」
「俺は光属性の魔法は得意ではないが……効いてはいる、か」
クロノスは光属性の魔法を得意とはしてない。だが、使えなくはないのでやってみたが、多少は効果があるようだ。
落ち着いたクロノスの行動にレミリアがはっとし、再び穢れへと聖槍を向けた。聖槍に魔力を籠め、大きく振う。瞬間、光の矢が宙を舞った。
雨のように黒い靄を貫き、怯む穢れにレミリアは突っ込んでいく。靄を聖槍で薙ぎ払いアンリッヒの中から穢れを切り離す。
亡霊の形をとった穢れがアンリッヒから離れると、レミリアは彼女の前に立ち、再び乗り移るのを防ぐ。
(俺ができることは……)
穢れを祓う事ができるのは聖女と高名な聖職者のみ。ならば、自分ができることは。
クロノスはレミリアがアンリッヒを守るように光の盾を張ったのを見て、紫水晶の指輪に魔力を籠める。
亡霊の形をとった穢れがレミリアへ牙をむく。溢れ出る黒い靄をものともせずにレミリアは突き進み、聖槍を振った。
黒い瘴気の矢を跳ね除けて、聖槍が穢れの心臓部を掠める。悲鳴を上げながら穢れはレミリアを弾いた。
後方へと下がったレミリアを黒い靄が襲い、動きを止める。ばちんっと弾ける音を鳴らして、レミリアの背後から光の鎖が飛び出した。
クロノスの発動させた魔法が穢れを縛り付ける。聖なる力でなくとも、光属性の魔法ならば、多少は効果があるようで、鎖に繋がれた穢れは身動きが取れずにもがく。
「レミリア聖女」
「任せなさい」
クロノスの落ち着いた声にレミリアは姿勢を低くし、聖槍を構えた。籠められた魔力によって槍先に光が集まる。
すっとレミリアが息を吸って――聖槍が投げられた。
「あぁあああっあ!!!!」
穢れの心臓部を聖槍が貫き、黒い靄が浄化されていく。断末魔が辺りに響き渡って、さらさらと砂粒となり、穢れは散った。
「穢れよ、光と共に消え失せなさい」
レミリアがそう唱えるとともに砂粒が消えてなくなる。地面に突き刺さる聖槍を彼女は引き抜き、倒れるアンリッヒの傍まで駆け寄った。
そっと彼女の額に触れる。淡く光ったかとおもうと蛍火となった精霊たちが周囲を舞った。
「ぅ、あ、あたし……は……」
ゆっくりと意識を取り戻すアンリッヒを抱き起しながらレミリアは「もう大丈夫ですよ」と声をかける。
穢れは完全に浄化することができたようだ。クロノスはその様子を眺めながらふっと息を吐き出した。
穢れがどういったものかは知識として持っていたが、対面してみると面倒極まりないものだと実感する。
憑りつかれた人間を傷つけずに戦うなど、聖女や高名な聖職者以外では難しいだろう。
「聖女様!」
門前に軽鎧に身を包む警察隊が馬から下りてレミリアの元へと走っていく。クロノスはこれでもう自分の役目は終えただろうと思い、屋敷に避難しているアイリーンたちを呼ぶために玄関の扉を開けた。




