第59話 夢への答え
廊下を駆け抜けて予備校の裏へと回る。ここから足取りが途絶えてしまい、どうしたものかとクロノスは周囲を見渡す。
ふわりと何かが頬を撫でた。なんだと目を向ければ、それは蛍火となっている精霊。
精霊はクロノスの周囲を回ってから、急ぐように飛んでいく。それは彼らからの救難信号だ。
クロノスが精霊を追いかけていけば、予備校裏の廃墟だった。倉庫として元は使われていただろう外観の建物の中へと精霊が入っていく。
鍵は壊れていたのでクロノスは警戒しながら中へと足を踏み入れた。焦る心を落ち着かせて。
(焦っては前世の二の舞になる)
自分が殉職した事件も、部下の焦りからなるものだった。犯人を興奮させて、暴走させてしまって。
倉庫の中心にレミリアはいた、地面に倒れて。傍では涙を流しながら必死に声をかけているヴィタリーの姿がある。
駆け寄ろうとして、クロノスは立ち止まった。ひゅっと何かが飛んできたのだ。すれを避ければ、壁にナイフが突き刺さる。
「君は興味を持ったら最後まで追求するタイプかな?」
真っ直ぐに見止めれば、愉快げに口角を上げて問うヘリットの姿があった。騒ぎが起こって警察隊がやってくるかもしれないというのに。
ティルダには自分に何か起こった場合、すぐにレナントに知らせるように事前に打ち合わせをしている。彼女ならすぐに行動しているだろう。
ヘリットはクロノスの疑問を察してか「すぐに終わるので」と言う。
「疑問が解消できたら捕まりますから」
「その疑問というのは、興味を持ったら最後まで追求するのかという問いへの答えでもあるのだろうか?」
「そうですよ。ぼくはふと思ったんですよ」
ヘリットはそう返しながら手に持っている瓶の蓋を開ける。黒い靄がふわふわと溢れでる様子に、それが穢れであることにクロノスは気づいた。
「聖女様に穢れが憑りついた場合、どんなことが起こるのか。憑りつけないのか、闇に落ちるのか」
ヘリットは「興味が湧いたら確かめないと気が済まないんですよ、ぼく」と、笑う。
たったそれだけのことで、この男は罪を犯したのだ。元々、穢れに憑りつかれていたから、行動できたのかもしれない。
穢れも聖女という存在は邪魔だっただろうからだ。彼女さえ、いなければと。
「聖女様はお優しい方だから、ヴィタリーを庇ったんですよ。まぁ、それを狙ったのですが。さて、試してみようじゃないですか!」
目を輝かせながらゆっくりとした足取りでヘリットはレミリアに近寄っていく。
ふと、脳内に過った。過去の自分が。
逃走した犯人の振り下ろすナイフが通行人である幼い少女へと向けられる瞬間を――指が鳴ると共にばちっと火花が散った。
影から無数の黒い手が伸びてレミリアたちを覆い隠すように盾となる。
「厄介ですねぇ……っ!」
ヘリットの声に反応して、壁からいくつものナイフが飛んでくる。クロノスはそれを避けながらレミリアたちの傍まで滑り込んだ。
避けきれなかったナイフの刃が頬に傷をつける。つうっと血が垂れるのも気にせず、クロノスはレミリアを抱き起こす。
彼女はまだ気を失っている。外傷は首元の火傷、恐らく雷属性魔法の電気ショックによるものだ。
無数の黒い手が盾となって守る中、ヴィタリーが「ごめんなさい」と泣きながら謝っていた。
「おれのせいで……」
「彼女は無事だ」
安心させるようにそう言ってクロノスはヘリットの様子を手の隙間から確認する。彼は頭を掻きむしりながら、「邪魔しやがって!」と興奮していた。
どうやら、甘く見られていたらしい。所詮は聖女が解決していたことなのだと。
このまま警察隊が来るまで凌ぐのが良いかもしれない。けれど、ヘリットの身体から黒い靄が溢れ出てきている。
穢れが姿を現すのも時間の問題だ。そうなった時、自分は対処できるのか。クロノスは苦しげに眉を寄せた。
(守らねば、ならない)
気を失ったレミリアが目を覚ませば、穢れを祓うことはできるはずだ。自分には祓う力はないのだから、彼女に託すしかない。
(警察隊が来るまであとどれほどか……。だが、穢れは待ってはくれない)
クロノスの想像通り、ヘリットの身体から穢れが姿を現した。燃え盛る炎の姿をして。
「あぁ、憎い憎い。やっと邪魔なモノを消せるのに」
お前は邪魔だと、声がして火球が飛んでくる。黒い手が受け止めるも、何本か塵となってしまう。
他の穢れよりも力があるようで、室内を瘴気が満たす。吐き気がする、頭痛も、息を吸うのも辛い。
瘴気がそれらを誘発させている。くらくらと眩暈がするけれど、クロノスは意識を保つ。黒い手の盾を維持させながら。
(この瘴気を吸い続ければ、死ぬな)
意識を失った時、穢れは自分たちを始末するはずだ。自分はどうにかやれるかもしれないが、ヴィタリーはそうではない。クロノスは彼に声をかける。
「いいか、ヴィタリー。俺が合図をしたら一気に走って倉庫から出ろ」
「で、でも……」
「警察隊がもうすぐ到着するはずだ。彼らを此処まで連れてきてくれ」
お前ならできるだろう。クロノスの眼差しにヴィタリーは震える手に力を入れて頷いた。
火球が飛んできた少しの間、クロノスは「今だ」と合図を送って、指を鳴らす。紫水晶の指輪が光って魔法が発動した。
駆け出すヴィタリーを守るように黒い手が影から出てくる。穢れが追いかけようとするのを、さらに黒い手が立ちふさがった。
「なんだ、貴様はっ!」
何重にも同じ魔法を同時に発動させて、維持させる。それができる人間というのは少ない。穢れは信じられないといった声を上げる。
通常の力では敵わないと、穢れは瓶の中に閉じ込めていた同族を食らった。取り込んでいくほど、膨れ上がっていく炎の身体に比例して、瘴気が濃くなっていく。
(意識を保つのもやっとだな……)
眩暈で視界が揺らめく。頭は割れるように痛く、気を抜けば嗚咽を吐きそうだ。魔力を消費すればするほどに、体力と気力が削がれる。
(せめて、警察隊がくるまでは……)
レミリアを守らねば。痛む頭にまた過る、自分が死ぬ時の出来事。少女を守るために死んだ自分と、今を重ねてしまった。
現状は違えど、似ていると。
(似ている。では、俺はまた死ぬ可能性もあるのか……)
あの時と同じように。
(同じように、なって……)
いいのだろうか。そう思って――声がする。
『生きて』
はっとクロノスは意識を戻す。シルヴァリアから言われた言葉を思い出した。「また、同じようなことが起こる、あるいは……選択を迫られるの」という。
生きたいと思い、最後まであがく。死ぬことを受け入れて、身を犠牲にする。助けた少女はきっと前者を望んだのでしょうと。
(レミリアなら……)
彼女ならきっと。クロノスは答えを出した。
ふわりふわりとレミリアの周囲を精霊が舞っている。彼らにクロノスは語り掛けた。
「少しでいい、俺に力を貸してくれ」
俺を認めなくてもいい、この場を凌ぐ一刻だけで力を貸してくれ。クロノスの声にレミリアの傍を舞っていた精霊たちが集まってくる。
「光属性の魔法は得意ではない、が」
はぁっと息を吸ってからクロノスは手の盾の隙間から穢れへと照準を合わせる。飛んでくる火球に一本、また一本と手が塵となっていき、少しの間だ。
クロノスは練り上げた魔力を元に魔法を発動させた。光の鎖が檻を編み、穢れを閉じ込める。
檻を破ろうと暴れる穢れに精霊たちの光が降り注ぐ。負の感情を増幅させていたヘリットと身体を引き剥がされて、光の力に勢いが衰えていく。
あと少しで檻が完成する。精霊たちの光の力によって。それまではと、意識を保っていたクロノスだが、胃液を吐き出した。
瘴気はまだ薄まってはいない。視界もだいぶ悪くなっているので、そろそろ身体が限界へと達してきている。
(足掻いてやろうじゃないか)
最後まで。クロノスの出した夢への答えだった。
「せめて、お前だけでもっ!」
穢れは悪あがきとばかりに火球を飛ばす。光の檻に力を注いでいるクロノスの守りは薄い。
残された黒い手で守り切れるか、そう思った時だ。火球が打ち砕かれた。
「穢れよ、消え失せなさい」
火球を打ち砕き、レミリアが聖槍を投げ放つ。真っ直ぐに飛んだ聖槍が穢れの心臓部を貫いて、砂粒となって消えていった。
凛とした姿でレミリアは立っている。精霊たちが聖槍を彼女に渡し、一振りすれば室内を満たしていた瘴気が祓われた。
あれだけ痛かった頭も、眩暈や吐き気もすとんとなくなる。クロノスは大きく息を吸ってから、魔法を解いた。
ゆっくりと立ち上がれば、レミリアと目が合う。
「クロノス魔導司書官、ありがとうございます」
「……無事ならそれでいいさ」
「貴方は無事じゃなさそうですけどね?」
やっと出た言葉にレミリアが心配げに返す。無茶をさせてしまったというふうに。
「すみません、私が油断していたばかりに……」
もっと警戒するべきだったとレミリアは目を伏せた。
彼女はきっと自分を責めているのだろう。クロノスはふぅと小さく息を吐き出してからぽんっと肩を叩く。
「君だけが悪いわけではないだろう。気にしなくていい」
「でも……」
「俺は君の助手なのだろう。俺にも責任はあるさ」
咄嗟に判断できなかったことは自分にも責任があるはずだ。クロノスは「だから、自分だけを責めないでほしい」とレミリアに告げる。
「クロノス魔導司書官は死ぬ可能性だってあったんですよ?」
「生きるために俺は最後まで足掻くが? 君を残して死ぬのは後味が悪いのでな」
「なんですか、それ」
後味が悪いってとレミリアが眉を下げる。それは不満というよりも疑問を抱いている様子だ。
「君は最後まで後悔していそうだからな」
「それは、そうでしょう」
「助手としてはそうなってほしくはないだけだ。あぁ、今は婚約候補者でもあるのか」
ははっと冗談ぽく笑ってみせれば、レミリアがむぅと頬を膨らました。どうやら、緊張は解れたらしい。
クロノスはそれを確認してから、「ほら、彼を拘束するぞ」と、倒れていたヘリットを黒い手で掴んだ。




