第10話 前世の記憶というのは事件を引き寄せるのか
ハンブリア国立図書館で働く魔導司書官及び図書館司書たちの朝は緩やかだ。九時からの開館までは自分の担当している部署に行かなくともよいため、ロビーでくつろいでいる司書たちが多い。
もちろん、準備などもあるのだが早めに出勤し、それを終わらせてしまえばあとは開館まで自由時間だ。そんな自由時間の八時半過ぎクロノスは出勤してきた。
クロノスの担当部署は第一魔導書室と、一般閲覧および貸出禁止の魔導書が保管されている禁書室だ。この二つの部署は基本的に魔導書の修復や管理の確認業務になる。
これらは開館後にやるのが決まりなので早めに出勤する必要はないのだ。なので、クロノスはいつもこの時間に出勤していた。
遅めの出勤に文句を言いたげな司書もいる。自由時間内の出勤であり、こちらは希少な魔導司書官なのだ。休みがなかなか取れずに連勤することが多いのだから、これぐらいは許してもらわないと割に合わない。
勤務態度は悪くないのだからいいだろうとクロノスは思う。やることはしっかりとやっているのだ。
(今日で記憶が正しければ、十八連勤目だったか……。流石にそろそろ休暇がほしい)
この図書館に蔵書されている魔導書は多く、危険なものも保管されいる。毎日の確認と保護が大事になってくるのはクロノスも理解できていた。いたけれど、流石に休みは欲しい。
「聞いたか、〝カラス〟が聖女様と事件を解決したって」
「聞いたわ。意外よねぇ」
これは転生した記憶でいうところのブラックな職場というのではないだろうか。なんて思っていれば、ロビーのほうから少しばかり大きな声がした。
耳を澄まさずとも聞こえる話声にクロノスはまた自分の噂かと呆れる。
カラスというあだ名を知らないとでも思っているのだろう。司書たちがべらべらと喋っている。
「なんでも、聖女様が褒めてたらしいぜ? 頭が冴えているだけじゃなくて、力もあるってよ」
「そりゃあ、魔導司書官ですもの。力がなかったらなれない職よ。でも、聖女様が褒めるなんて……」
「猫かぶってなんじゃねぇの。聖女様の前だしな」
聖女様の前で失礼なことはできないだろうと話す彼らに、クロノスは気を付けない人間がいるのかと問いたくなる。
はぁと零れそうになる溜息を堪えてクロノスはロビーを抜ける。今日の午前中は第一魔導書室での業務だと、広い館内の廊下を歩き、突き当りにある部屋の扉を開けた。
「あぁ、クロノス魔導司書官」
クロノスはその声を聞いて扉を閉めた。見なかったことにするように。そんな行動に室内から「何をしているのですか!」と怒る声がする。
見間違えでなければ。クロノスは嫌々といったふうに扉を開けた。貸出カウンターの前、別の司書官が用意した椅子に腰を下ろす女性が一人。
馬の尾尻のように結われた長い灰髪に猫のような紫の瞳が似合う可愛らしくも、大人びた容姿は間違いない。レミリア聖女だ。
クロノスの紅玉のような切れ長の眼が細まる、面倒くさげに。
「待ちくたびれましたよ、クロノス魔導司書官」
「……何故、聖女様が此処にいる」
もう母アイリーンの店で起きた事件は解決したはずだ。協力者としての役割は終えているし、事件のその後も聞かされている。
クロノスの問いにレミリアは何を言っているのですかと椅子から立ち上がった。
「では〝また〟と挨拶をしたではないですか」
「あぁ、したな。気のせいであってほしかったが」
「そう嫌そうにしないでください。私は貴方の力を貸してほしいだけですから」
別に貴方を裁くだとか、説教するだとか、そういった他意はないのですよと、レミリアは言う。
けれど、クロノスは力を貸してほしいという点で、何を要求されるか察せてしまったのだ。この聖女はきっと――
「新たな穢れの気配を感じましたので、事件解決への協力をお願いします」
「……だろうと、思った」
なんとなくではあるが、そうだとクロノスは思ったのだ。穢れを浄化するために手伝ってくれと言われるのではないかと。
だが、別に自分でなくていいはずだ。優秀な騎士はいるはずで、彼らに任せる方が安心できるだろう。と、クロノスが思ったままを口にすれば、レミリアは「貴方が最適です」と断言する。
「理由を聞いてもいいだろうか?」
「貴方の言う通り、この国の騎士団は優秀な騎士たちで構成されています。力もあるのは当然です。けれど、彼らには立場があります」
聖女の協力者として隣に立つというのは、騎士団の騎士たちからすれば、名誉なことだ。そこで成果を上げれば、それだけ実績となり、騎士団の中でも高い地位まで上ることができる。
それ故に争いの元にもなる。聖女が騎士団の騎士から一人ないし二人と選べば、彼らはそれだけ鼻高くいられるのだ。傲慢になる者や、逆にプレッシャーになる者も出るのは想像できる。
自分こそふさわしいと主張するものも現れるだろうし、選ばれた騎士を蹴落とそうとする者も出てくるかもしれない。騎士団の騎士とはいえ、一人の人間なのだ。
「その点、貴方は魔導司書官。騎士団の騎士ではないので、団内の人間とは関係ない。加えて公爵令息なので地位も気にしなくていい。魔導司書官なので魔法には長けている。捜査に重要となる魔力の感知や、魔法の媒体となる物の判別も可能」
さらには悪評の一つである爵位の低い者や平民に対して冷たい態度というのは捜査において役に立つ場面がある。容疑者たちに平等に接することができる面があるのだ。
彼らに遠慮する必要がなく、感情に流される可能性が低い。感情に左右されては穢れに悪用されかねない。
「あとは私に必要以上に遠慮などされて、発言できないとなるのは困るのですよ。その点では、貴方はこの前の事件では思った事をしっかりと発言してくださいました」
「それで俺を選んだと? 悪評が目立つというのにか?」
「だから、悪評が逆に役に立ちます。選ばれた理由を言わずとも、私の協力者となることで心改めようとしている、なんていう印象操作もできますし」
聖女の元で働くのだ。彼女の傍で今までの行いを改めようとしている、そんなふうに思われなくもないのではないか。
レミリアの意見をクロノスは否定はしなかった。中にはそういった印象を抱く者もいるだろうからだ。
とはいえ、それ以外にもデメリットはあるわけで。
「騎士たちからの批判や妬みを俺は引き受けることになるのだが?」
「そこは印象をよくするための代償ということで」
「質が悪い代償だな」
「安心してください。今回はちゃんとした仕事です。私の助手として雇うので給金は支給されます」
聖女の助手として一定の賃金は支給される。評価が良ければ、追加の報酬もありえるとレミリアは話す。
クロノスは別に金に困っているわけではなかった。だから、その条件が魅力的には感じずに眉を寄せる。
「そうですね……。魔導司書官はその希少性から休みが取りにくいと聞きます。私は報酬として、貴方が好きな時に休暇が取れるようにもできますよ?」
「……君、調べただろう」
「何の事でしょうか。私は貴方が〝十八連勤〟していることなんて知らないですけどね?」
それは知っているということだと、クロノスは突っ込みたくなる。レミリアはといえば、それはもうにこやかな笑みを浮かべていた。
突っ込んだとしても彼女には通用しないのだ。休みが取りたいと思っていたのは事実。金銭よりもそちらのほうが魅力的だった。
それに聖女様の〝要請〟を断れば、また悪評となって噂が広まるのは目に見えている。
仕方がない。クロノスはそれはもう深い溜息を吐き出してから貸出カウンターの傍にあるテーブルの椅子に腰をかけた。
それが話を聞くという姿勢であるのをレミリアは察したようで、隣に座りながら概要を話す。
「今回は昨日起こったヨーデリア国立魔法学院での事件になります。貴方は通った経験は?」
「魔導士官学科専攻で魔導司書官に合格し、卒業している」
「なら、魔法学院の造りは把握していますね」
ヨーデリア国立魔法学院はこの国で一番、大きい学校となる。様々な学科があり、専門的な知識や技術を学べるが、それだけ偏差値というのも高く、最難関校として名高い。
爵位があったとしても実力無くては入れないことで有名だ。そんな学院で殺人事件が起きたとレミリアは話す。
学院の非常階段から落ちて死亡した生徒がいたのだ。最初は事故として片付けられる予定だったが、レミリアが穢れの気配を感じ、殺人事件へと切り替わっている。
「死亡したのは騎士学科専攻の男子生徒、ベニート・ビルバオ。年齢は十九歳で二年生になります」
「死因は転落死で間違いないのだろうか?」
「直接的な死因は転落によるものです。ただ、毒草を飲んだ可能性があったと」
ベニートが居ただろう非常階段付近に彼の私物がいくつか置かれていた。その中のピルケースに毒草が包まれた薬があったのだという。
飲みにくい薬などを巻いて飲み込むための薄い膜に包まれていた。医師に遺体を見せたところ僅かに毒草を摂取した時の症状が身体に出ていたと。
「毒殺を狙ったけれど失敗したのではないでしょうか?」
「その可能性はあるだろうな……しかし」
「情報が足りないませんね。では、学院に向かいましょうか」
詳しくは容疑者となっている人たちと話しながらとレミリアに微笑まれて、クロノスは顔に出そうになった感情を押し殺した。
彼女に「館長には話を通してありますから」と言われて、これはまた解決するまでは戻れないなとクロノスは理解する。
これも休暇を取るためだ。そう自分に言い聞かせて、クロノスは席を立ち上がった。




