9 魔女は聞いていた話とは違いました
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殺される。
一瞬、そんな言葉が頭をよぎったが、ソルがなんの行動も起こさないことで、握りしめていた手から力を抜いた。
何なら、リラックスしているような気さえしてくる。
それでもセラータは緊張感を持ちながら、ゆっくりと振り返った。
幻想的にも漂い続ける濃い霧は、誰かのために道を開けるかのように晴れていく。
薄曇りの天気の日と思わせる灰色の世界は、瞬きの間にその色合いを変えた。
瑞々しい森の緑は水分を含んだように輝き、足元に育つ草花は風に揺れる度に香りを漂わせる。
音のなかった世界には、小鳥の囀りや虫の鳴き声まで響き始めた。
何よりも驚かせたのは、どこまで続くのかとセラータを途方に暮れさせた森の終わりが存在したことだ。
開けた空間には、一人の女性が立っている。
ローブのフードを外した彼女は、小さな草を踏む音と共にセラータに近づいてきた。
空から降り注ぐ光の中で、銀色の髪が煌めいている。
妖精の輝きに似た光が横切り、緑色の瞳にじっと見つめられているのに気がついた。
見られていると気づいてしまえば、視線を逸らすことも動くこともできない。
セラータがこれまで見てきた大人とは何かが違う。
聖女である母親は、内から滲み出る輝きを持っていて、それは聖女特有の輝きだと父は言った。
ニーナも心地よい空気を纏っている。
それぞれが、自身の魔力に紐づいた特徴を持っているのだが──。
目の前の女性は、とにかく静かだった。
無とも言えるのかもしれない。
近くに来ても、彼女が何を秘めているのか、その片鱗すら見えない。
(怖い)
自分が何と対峙しているのかが分からなくなってきて、セラータはぎゅっと目を瞑った。
「ふふ、こんにちは。小さな魔女さん」
かけられた声は、柔らかく温かみがあり、手に違和感を覚えてそっと目を開けば、相手はふわりと笑った。
「さあ、立ち話も何だから、中でお茶でもしながら話しましょ」
ぐっと手を引かれて、その力強さに驚く。
魔女と思われる彼女は、どちらかと言えば華奢で儚げな印象だ。
「わ、私は、魔女じゃありません!」
「いいえ、あなたは魔女よ。その竜人に使った軟膏がその証。それに、魔女でなければ、この森は抜けられないのよ?」
一歩、魔女が足を踏み出し、セラータの体も釣られたように動き、足が地面に着いた瞬間──。
空気が変わり、匂いまで変化した。
柔らかな地面だったはずの足元は硬い床に変わり、風で揺れる木々の音は、暖炉でパチパチと木の爆ぜる音になり、柔らかな香りに包まれる。
セラータは、室内にいた。
ぱっと、振り返ってみるが、後ろに居たはずのソルの姿がない。
「なんで……」
たった一歩だ。
彼女が、魔法を使うのに詠唱はなかった。
「ここは魔女の森よ。森は魔女の望みを拒むことは出来ない。わたしが家の中に連れていきたいと望めば、一歩で連れて行ってくれる。とても便利よね」
ふふふと笑った彼女は、聞いていた魔女の印象とはだいぶ違う。
未来のために、魔女に弟子入りして、貴族社会から離れて細々と植物で作った商品を売りながら暮らそうと思い調べていた時に聞いた話では、偏屈で気難しい人間嫌い。
弟子も取っていないという話だった。
だが、どうだろうか。
目の前の魔女は、人間嫌いどころか、すごく嬉しそうだ。
「あの、ソル……私の従者はどこに」
「そういえば、自己紹介がまだだったわね。わたしは、ビショップ。魅了の魔女よ。大丈夫。あれは頑丈な竜人だもの、すぐに来るわ」
頑丈という台詞が気にはなるが、怪我がないことを祈るばかりだ。
「初めてお目にかかります、魅了の魔女様。私は、セラータ・ホーソンと申します」
「もう、魔女様だなんてやめてよ。あなただって、魔女じゃないの。かしこまる必要はないわ。ほら、座って」
暖炉の前にあるテーブルには、二人分の紅茶のカップとティーポット、美味しそうなカップケーキが並べられている。
ここは、ビショップの家だ。
家人の勧めを断るのは、家の中に入ってしまっているセラータには難しい。
「ご一緒させていただきます」
「ええ、それでいいわ。これは、わたしが育てたハーブで作ったブレンドティーなの。口に合うといいんだけど」
ポットを手に取ったビショップは、慣れた手つきでカップに注いでいる。
コポコポと注がれる間、セラータは失礼にならない程度に、家の中に目を向けた。
円形のテーブルにつき左を向けば、キッチンが目に入る。
小さいが窓が三つあり、日差しが入ってきてとても明るく、正面に視線を戻せば、ビショップの後ろには暖炉が見える。
入口から見えるのは、そんな普通の景色で、誰も見つけられない魔女といった感じではない。
しかし、右側のスペースには二段しかない階段があり、その先の天井にはハーブが吊るされている。
大きな木の作業台の上には、すり鉢や天秤、試験管やビーカー、複雑な色合いをした液体の入った瓶もあり、急に魔女の家らしくなった。
「それで? セラータは何を求めて、ここに来たの? わたしはね……前置きとか好きじゃないの。要件をぱっと聞きたいな」
にっこりと微笑まれたが、逆にそれが怖くて、セラータは唾を呑み込んだ。
「……師匠を探しに来ました。国で唯一のあなたに、私の先生になって欲しいのです」
包み隠さず、真っ直ぐに緑色の瞳を見返しながら、真剣な気持ちが伝わるように言葉にした。
断られても、何度も足を運んで願おう。
セラータは、いくらでも時間をかけるつもりだった。
学院入学までという時間制限はあるが諦める気はない。
まだなにも確定はしていないが、本当に漫画や小説、ゲームの世界だとしたら、確信が持ててからでは手遅れになる可能性が高いだろう。
ある程度進んでしまえば、後戻りも軌道修正も不可能だ。
先手を打って、なにごとも早めに進めていれば、いざという時の逃げ道や選択肢が増える。
「いいわよ。わたしで教えられることなら、喜んで」
「急に来て、こんなこと言われても……へ?」
断られると思っていた。
セラータは、告げられた言葉に戸惑いを隠せない。
「断る理由なんてないでしょ?」
「でも、噂では、国唯一の魔女は、偏屈で気難しい、人間嫌い。ソルにも、断られることも頭に入れておけと言われたくらいです」
「まあ、断ることくらいあるわよ? だって、魔女の素質のない人間に、時間を割くなんて無駄でしょ? 魔女になれるのは、血筋でも努力でもなく……資質と素質よ」
「私に、その条件が当てはまるのですか?」
「もちろん。魔女同士だけが感知できる魔女の力があるもの。それどころか、今までの魔女の中でも、その妖精の指輪を持つ者はいないはずよ」
ビショップは、セラータの指に嵌められている指輪にそっと触れようとした。
一見、ただの美しい指輪に見えるが、ぱちっと音を立ててビショップの手を弾いた。
「ごめんなさい。大丈夫ですか?」
「いいのよ。妖精の指輪は、歓迎と祝福の証。他者に対しての拒絶の効力が付加されているのよ。そのおかげで、相手を見極める確かな判断材料にもなるしね」
ハーブティーの入ったカップが目の前に置かれ、飲むように促された。
カップに秘密があるのか、温度が下がることなく湯気が立っている。
感謝してカップを手にしたものの、フェリーズから詳しい話を聞かされたことはなく、セラータはその指で輝く細かい細工の施された指輪に目を落とした。
無くしたり、盗まれたりしたらどうしようかと気にしていたが、どうやら盗難の心配だけはしなくていいようだ。
そっと指輪を撫でると、小さな光が近くを漂い始めた。
「本当に妖精に好かれているのね。わたしは、弟子入りした時には妖精に好かれていたんだけど、自分の適性と興味のあるものが……毒薬のせいで、妖精には嫌われてしまってね」
「えっ……」
カップを持ち上げて口に運んでいたセラータの手が止まった。
無視できないことを聞いたのではと、セラータが言葉を発しようとすると、ドアが蹴破られた。
「クソ魔女。ふざけるなよ」
「まったく竜人は、ガサツで困ったものね」
セラータがビショップの視線を追って振り向くと、服の所々が破けているが、目立った傷の見当たらないソルが怒りのこもった目を向けた。
そして、ぎょっとした顔をすると、ずんずんと近づいてきた。
「飲むな!」
手を払われ、カップはセラータの手を離れ床へと落ちた。
華奢な作りのカップが割れてしまう。そう思ったのに、カップは小さな音を立て、中身だけが床にこぼれた。
「あら……勿体ない。小さな魔女に、味わってほしかったのに」
「そうですよ、ソル。誰かがブレンドしたハーブティーなんて、めったに飲めないのに」
残念そうにカップを拾おうと手を伸ばしたセラータの手首を掴み引き寄せると、ソルは抱え上げた。
「いいか、セラータ。初対面の魔女が出す物は、一切口にするな。とくに、こいつは魅了の魔女と言っているが、毒薬作りが好きな危険なやつだ」
「あら、ひどい。セラータはわたしの弟子になるのよ? 毒なんて口にさせないわよ」
「どの口が言う。これまでに、何人の魔女見習いを殺した?」
ひりつく言葉に、セラータは目を大きくした。
(魔女見習いを殺した?)
自分も毒を盛られたのだろうか。
飲んではいなくとも、カップに口をつけたという事実に、恐怖が這い上ってくる。
まさか、こんな早くに自分の命が脅かされるとは、微塵も思っていなかった。
ソルにきつく睨まれているビショップは、深刻な様子も窺えない顔で肩をすくめた。
「いやぁね。何十年前の話をしてるのよ。あの頃は、わたしも若かったの。ちょっとした好奇心の暴走じゃない」
「そんな簡単な話か。一時期、問題になったのを忘れたか?」
「忘れるはずがないでしょ……何年、幽閉されたと思ってるのよ?」
「だが、あの幽閉塔は妖精の領域にあって、ほとんど歳を重ねていなかっただろ」
気安いやり取りに、ソルの肩に垂らされている髪の毛を掴んで軽く引っ張った。
すぐに彼はビショップからセラータへと顔を向ける。
「ソルは、ビショップ様とそれなりに知り合いなの?」
「うげっ、やめてくれ。知りたくて知っているわけじゃない。……人外者の会議で、こいつが魔女の代表として出席していたのと、その次の日に魔女見習いを二人毒殺して、魔女協議会が調査を始めたんだ。それで、魔女見習い以外の人間も毒殺していたことが分かって、妖精の領域にある幽閉塔に五十年」
「ご、五十年!」
「ああ。とは言え、人間の領域で五十年であって、妖精の領域での体感は」
「うーん。ほんの少し、邪魔されたって感じかな。短かったけど、毒薬の研究もできないし、退屈だったわ」
あっけらかんと言われて、セラータは自分が妖精の領域に入って周りに心配をかけた時のことを思い出した。
自分の感じていた三十分が、外では十二時間という時間の経過のズレを生んでいた。
フェリーズの領域だった場合は、一ヶ月と少しの時間を過ごしただけで、家族がとんでもなく歳を取っていることになる。
ちょっとした怖い話だ。
より妖精との付き合い方を考えさせられるが、見つけることのできた目の前の魔女を信じて師匠にして大丈夫なのかと、セラータの心に不安が広がっていく。
そんなセラータの気持ちを知ってか知らずか、ビショップはカップを手にした。
「他の種族は知らないだろうけど、魔女の姉妹の取り決めで、弟子をしっかりと育て上げないといけないの。だから、あなたとの出会いは……わたしにとって喜ばしいことなのよ」
「お前なんかに、大事なセラータを預けられるか!」
「心配しないで。妖精の指輪持ちに、なにかしようと思わないわよ。今回の件で懲りたしね。それに、その様子だと……」
「黙っていろ」
「はいはい。竜人のことだって、誰が好き好んで敵にしょうと思うのよ。それに、この国にはわたし以外の魔女はいないのだから贅沢は言ってられないんじゃない? 大丈夫よ。大事に指導してあげる」
「えっと、命の保証はされてるってこと?」
セラータを抱き上げたまま、玄関へ向かおうとしていたソルは、ぴたりと足を止めた。
その背中からビショップを見れば、彼女はこくりとハーブティーを飲んで、蠱惑的な笑みを浮かべた。
「ただし、条件はあるけれどね?」
後出しの言葉にがっくりとしたセラータだったが、他を望むのは贅沢だという言葉を心に深く刻んだ。




