8 未来のための師匠を探しに行きます
ソルが言う数日というのがどれくらいか分からないセラータは、いつもどおりの日々を過ごしていた。
漬けておいたチンキを濾したり、馬油とローズマリーチンキ、カレンデュラチンキと蜜蝋を混ぜて軟膏を作ったりして過ごしている。
前世でなら、もっと材料はすぐに手に入って簡単に作れたかもしれないが、この世界ではそんな簡単にはいかない。
材料を扱う商会を探すのも大変だし、素材によっては自分で採取に行かなければならないが、場所によっては魔物もいるため、護衛に冒険者を雇わなくてはならない時もある。
そういうノウハウを得るためにも、魔女の弟子になる必要があった。
とりあえずは、自分を実験台にしながら様子を見るしか出来ない状況だ。
だが、問題が一つある。
「うーん⋯⋯私の手が実験台じゃ、いまいち効果が分かりづらいのよね」
仮にもセラータは伯爵令嬢で貴族だ。
日々の手入れはされるし、衣食住のレベルは高い。
おまけに、まだ十四歳という若さもある。
手の荒れやあかぎれなんてものはなく、軟膏を塗っても効果があるのかどうかの判断がつかない。
「どうかしましたか? セラータお嬢様」
うんうんと一人で唸っていたからか、お茶を運んできたニーナは手際よく紅茶を淹れながらセラータに問いかけた。
気遣いに溢れた彼女の顔に目を向けて、ふと手に視線を移した。
ニーナは平民ではなく子爵家の生まれだ。
下級貴族とはいえ、平民とは違い肌の手入れはしている。
けれど、日々の侍女としての仕事がら手は少しだけカサついていた。
「ニーナ⋯⋯嫌じゃなければ、私の作った軟膏を使ってみてくれない? 自分だけじゃ、効果の実感としては不十分だからさ」
「いいのですか? 最近、セラータお嬢様の肌が以前よりも、さらに美しくなっていたので気になっていたのです」
「へっ? 変わってた?」
「はい。以前はすべすべとした肌といった感じだったのですが、今はもっちりとした肌になっておられますよ」
「へぇー、自分では分からなかったわ」
若さゆえの肌だと思っていたが、どうやら効果は出ているらしい。
「じゃあ、これをしばらく使ってね」
小さな軟膏の瓶を渡すと、ニーナは嬉しそうに受け取って両手で包み込むように持つと、胸元に引き寄せてぎゅっと大事そうにしている。
そんなふうにされると、なんだかセラータは嬉しくなってきた。
「でも、赤みとか痒みとか出たら、使うのをやめて遠慮せずに言って? 別のものを用意するから」
「はい。必ずお伝えします」
何でもそうだが、肌の質は人によって異なるため、合わないものを使い続けさせる訳にはいかない。
しかし、新しい物を作るにしても、もっと薬草の種類は豊富に欲しいが、前回のこともあって妖精の領域に入ることを控えている今、出来ることはなにもなかった。
朝食も終え、昼食までは時間がある。
仕方なく、気晴らしにバラ園を見に行こうと立ち上がった瞬間、ノックの音が聞こえることなく扉が開かれた。
「何事?」
驚くセラータの前に、ニーナが庇うように立ち扉を睨みつけた。
「まだマナーを学んでいる最中のようですね? ベルンさんに報告させていただきます」
「悪い悪い。ようやく解放されたから、急いでたんだよ」
蹴り開けられた扉の向こう側から現れたのは、ソルだった。
以前見たかっちりとした執事のような服装ではなく、カシアが着ている騎士団の服に似たものを着ている。
「服装は見違えたのに、まだ行動に荒っぽさが残っているのね」
「悪かったって……。次からは気をつける」
「そうして。じゃないと、ホーソン家の従者として相応しくないって、お兄様たちが追い出しちゃうかもしれないから」
「オレに名を与えた時点で、簡単に追い出すことはできないぞ」
空気が変わって、刺々しい気配が増していく。
はっとしてソルを見れば、金色の瞳が爛々と輝き、赤い髪がより鮮やかに色づき、体から放出されるエネルギーによって揺れ始めた。
危険な兆候に、肌が粟立つ。
「追い出そうなんて思っていないわ。ただ、あなたの行動次第では、それもあり得ると言っただけでしょ」
「お前が追い出そうとしているわけじゃないんだな?」
「自分で望んだものを、自分から手放すはずがないでしょ。私は、ソルが裏切らない限り追い出したりしない。でも、一度でも裏切ったら二度と名前を呼ばないし、近くに置きもしないからね」
ソルの形のいい眉がつり上がった。
「……オレは絶対に裏切ったりしない。オレたち竜人は、生涯に一人だけに忠誠を誓うために、心臓を捧げる。オレは絶対に裏切ったりしない。その心配はしなくていい」
「なんか、ちょっと重い?」
セラータは、ニーナの方に顔を向けて首を傾げた。
絶対的な味方を得るために奴隷を買うという暴挙に出たはずなのに、ソルから伝えられた種族特有の考え方に理解が追いつかない。
「これは……選択を間違えたかな?」
「言っておくが、あそこでお前の願いを叶えられる程の力の持ち主は、オレぐらいしか居なかったからな?」
低い声で言われ、奴隷市場での光景を思い出そうとしたが、テントに近づいてすぐにソルに声を掛けられたせいで、他の種族を見ておらず記憶にない。
セラータにとって、カシアがふさわしいと思ったのなら、その通りなのだろうとしか思わなかった。
これまで見てきた貴族や騎士とは違う、力強く荒っぽい歩き方でセラータに近づいてきたソルは、体を屈めて顔を近づけると、噛みつくように言った。
「返品はできないぞ」
目の前に迫った金色の瞳の中の瞳孔が、竜人らしく縦に細くなった。
「何度も言わせないで。《《私》》は手放す気はないわよ。周りには、自分がどれだけのことが出来るか、信用されるまで証明し続けなさい」
近すぎる距離に、ソルの胸元を押して引き離しながら立ち上がり、ニーナに目配せすれば、正しく理解した彼女はコートを持ってきた。
腕を通し、身支度を整えて貰っている間、ソルは不服そうにしながらも姿勢を正して待っている。
「それで? 急いで来たということは、師匠探しに連れて行ってくれるということ?」
薄手のコートを撫で下ろしながら、くるりとソルを振り返れば、右手を左胸に当てて軽く腰を折りながら、にやりと不敵に笑った。
「そのつもりで迎えに上がりました、お嬢様」
「ふふっ、変なの。でも、急に出掛けるなんて……」
「お前の兄に許可は取ってある。ほら」
砕けた口調に戻ったソルは、懐から手紙を取り出して、セラータに手渡した。
セラータに向けて書かれたであろう手紙を裏返せば、見慣れた封蝋で閉じられている。
カシアが家族に向けての手紙にのみ使用する家紋を抱え込む竜の紋章だ。
封を開け、手紙を取り出して開くと間違いなくカシアの文字が現れた。
軽い挨拶からはじまり、ソルの名前を決めたこと、喜ばしいが相談をされなかったことが寂しいという内容だった。
最後に、ソルとの外出を許可はするが、ホーディルの馬車で行くこと。
御者はソルにさせ、セトが作ったポーションを飲ませるのを忘れないようにと小言が続き、どうしようもない事態になったら、ソルに渡しておいた緊急連絡用ドラゴンを飛ばせと書かれている。
「緊急連絡用ドラゴン?」
手紙を机の引き出しにしまい、問いかけるようにソルを見れば、彼は懐のポケットから小さな瓶を取り出した。
セラータの目線の高さに掲げられた小瓶の中では、親指サイズのドラゴンが眠っていた。
「か、かわいい……けど、こんな瓶の中で呼吸は大丈夫なの?」
「これは自然に存在する生き物ではなく、魔術で作られたドラゴンの形をした存在だ。瓶を開けて魔力を乗せた言葉を告げれば、制作者の下へと飛んでいく。飛び出した位置と伝言だけを伝える簡単なものだ」
「生き物ではないってこと?」
瓶を自分の目の前に掲げたソルは、中のドラゴンの姿を見ると金色の目を細めた。
「そうだ。人間は面白いものを作り出すな。カシアの話では、とんでもない速度で飛んでいくようだ」
「でも、それを見る機会は無さそう」
「ん?」
「だって、ソルがいれば安全でしょ?」
「……ああ、そうだ。傷一つつけさせないし、恐怖を味わうこともない。そろそろ、馬車の準備と持って行く食事の準備もできた頃だろう」
手を差し出されて、自然と手を乗せたセラータは引っ張られて、抱き上げられた。
少し前にブラインに抱き上げられたことを思い出し、目を白黒させた。
「私は十四歳になったのだけど? こうして子供のように抱き上げられるのは変よ」
「たかが十四年だろ? オレたち竜人からしたら赤子みたいなものじゃないか」
機嫌よく歩き出したソルの腕はびくともしない。
一見、細身に見える彼だが、十四歳の標準体重をしているセラータを楽々支えている。
安定感すらあり、馬車に辿り着くまで危なっかしい思いをすることはなかった。
馬車の扉を開けて、セラータを座席に座らせようとソルが屈んだ瞬間、彼の髪がさらりと揺れて、左の首元にある鱗が目の前で光を受けてきらきらと輝いた。
好奇心だった。
セラータは何かを考える前に、魅せられたように手を伸ばし、指先で鱗を撫でた。
びくっと、体を強張らせたソルは、セラータを座席に座らせると、体を離して首元を手で覆った。
「な、なにを」
目元を赤らめたソルは、わなわなと震えている。
あまりにも乙女チックなリアクションに、セラータは口元に手を当てて笑い出した。
「首元の鱗がとても綺麗だったから、我慢できなかったんだもの。でも、断りもなく触ってごめんなさい」
思えば誰もが敏感な部分に勝手に触るのは、一般常識的にもまずかったとセラータは反省した。
自分だって急に触られたら、嫌な気分になる。
申し訳なさそうな表情でソルを見ると、顔を背けられてしまった。
その耳は、真っ赤になっている。
「いい……お前なら」
そう一言こぼすと、ソルは御者台へと上がってしまった。
目元や耳を赤くするほど怒っていると思っていた彼の反応に、セラータは眉を顰めた。
「どうしました、セラータお嬢様?」
「ソルの感情はまだよくわからないわね」
「竜人族は、いまだに研究が進んでいませんからね。セト様は、研究室に連れて行こうとしていたくらいですからね」
「えっ! そうなの?」
たしかにソルをセトに紹介した時の目は、いつも以上に輝いていたが、初耳だった。
「はい。本来は、もう少し執事兼従者教育をベルンさんはしたかったようですが、これ以上はカシア様の忠告や制止を振り切って来てしまいそうだと切り上げたようです」
セトの研究者としての執着は、セラータでさえ引くほどである。
ニーナは向かいの席に腰掛けると、持っていたバスケットからブランケットを取り出して広げると、セラータの膝に掛けた。
肌触りのいい、山岳羊の毛糸で作られたブランケットは、温かく保温に優れている。
季節は春に切り替わりつつあるとはいえ、まだ天候は不安定で風が冷たい日が続いていた。
「温かい飲み物も用意してもらいましたので、いつでもおっしゃってください」
「ありがとう。今は屋敷ではないのだから、ニーナも一緒に飲もうね」
「で、ですが」
「移動中の馬車の中なんて、マナーを気にする必要はないでしょ? 子供のお茶会に付き合うと思って楽にして」
セラータは成人前だ。
作法は学ばされているが、まだ子供だからと許される。
「セラータお嬢様の願いとあれば、叶えない訳にはいきませんね」
ニーナは、気恥ずかしそうでありながらも、目元を和らげた。
あと二年もしたら、貴族の子女として王立魔法学園に入学しなければならない。
そうすれば、もう子供ではいられない。
行動や姿勢に、貴族らしさを求められる。
長いようで短いタイムリミットだ。
馬車は滑らかに動き出し、徐々にスピードを上げていく。
まるで、これからのセラータの人生のようだ。
街を出るまでは、安全を考慮した速さも、門を抜けた瞬間、ホーディルは本領発揮とばかりにのびのびと走り始めた。
☆☆☆☆☆☆☆☆
行き先はソルに任せていたセラータが辿り着いたのは、ホーソン領から北上した大森林だ。
この大森林は、国に属さず、武力的な侵略を許さない特別な区域で、古くから魔女の守りし森と言われている。
大森林の入口で馬車を降りたセラータは、広大な森に目を丸くした。
辺りは霧に覆われ、不安を掻き立てられる。
「これが“魔女が守りし森”なのね」
「ああ、この奥にいるだろうな。ただ、そこの侍女は馬車で待っていたほうがいい」
「なぜです! わたしは、セラータお嬢様の侍女ではありますが、護衛でもあります。お嬢様だけを行かせるなんて」
「オレがついて行く」
一人で道も知らない場所を、この霧の中を進まなければいけないのかと不安になったセラータは、ソルの声に安心感を得たが、ニーナはそうではないようだ。
「ベルンさんもカシア様も、あなたを信頼しているようですけど、わたしは何ひとつ知りません。そんな相手に、大切なお嬢様を預けるだなんて出来ません」
「信頼は難しい。だが、今回は我慢してもらうしかないな。この先に、待っているのは魔女だ。彼女は、人嫌いで有名だからな」
「だから何です?」
「あんたが一緒だと、歓迎されないって言ってんだよ。セラータの望みを叶えたくないのか?」
強い光の灯った瞳で睨まれて、ニーナは反論したかった言葉を呑み込んだ。
「中は危険なの?」
「魔女がお前をどう捉えているか……オレには分からない。だが、確実にそこの侍女は排除されるな」
「わたしは、そこまで弱くありませんよ」
「強さなんて関係ない。この森自体が魔女の味方だ。そしてオレは、セラータは守るが、あんたを守る気はないから
な」
二人のやり取りを見守っていたセラータは、思わず息を飲んだ。
「どうして?」
「オレが心臓を捧げるのは、お前にだけだ。他の人間なんて、どうでもいいからな」
「うーん……いつかは、私が大切に思う人たちも、あなたの許容範囲に入れてくれたら嬉しいな。今は、私もあなたとの信頼を築く大切な時期だと思うから」
セラータは、ニーナの両手をぎゅっと握った。
「ここで待っていて。ニーナは、自分の身の安全に配慮してね」
「セラータお嬢様っ」
「私はソルを信じるわ。必ず帰るから待っていて」
ニーナは唇を噛んだが、それ以上は何も言わなかった。
冷たい風が吹き始めたが、目の前の森の中を漂う霧の濃さは変わらない。
今まで目にしたことのない強い力に、逃げ出したいような気持ちになるが、行儀が悪いだろうがスカートを両手で擦った。
「行きましょう」
自分を奮い立たせるように声を出し、一歩を踏み出した。
霧は濃いが、前が見えないということはなく、道はきちんとある。
最初は、魔物でも飛び出してくるのではないかと警戒していたが、どこからかカラスの鳴き声が聞こえてきたり、狼のような遠吠えが聞こえてくるばかりだ。
少し後ろを歩くソルも、そこまで神経質になっていない。
どれくらい歩いただろうか。
時間の感覚が薄く、長い気も短い気もしてくる。
ずっと真っ直ぐ歩いているが、たどり着く気がしない。
「っ!」
突然、後ろから声がして振り返ると、ソルの腕から血が流れていた。
「どうしたの!」
「気を抜いていた。横から植物が伸びてきたから手で払ったんだが、トゲがあることにまでは気が付かなかった」
竜人は頑丈だと聞くが、ここは魔女の森だ。
セラータは、馬車から降りる時に持ってきていた小さなポシェットから水の入った瓶と妖精の領域から摘んできたカレンデュラで作った軟膏を取り出した。
まずは水で血を洗い流し、傷口にトゲが残っていないか確認してから、軟膏を塗った。
包帯までは持ってきておらず、ワンピースの裾を引き裂いて患部に巻き付ける。
「お、おい!」
焦ったような、怒っているような声に制止されたが、構わず巻き終えて結んだ。
「ごめんなさい。私には応急処置しかできないわ。お母様みたいに癒やしの力があったら、すぐに傷なんて治せるのに」
悔しい気持ちになる。
聖女を輩出する家に生まれながら、セラータには聖属性の素質がなかった。
あるのは、あまり役にも立たない植物魔法だけだ。
それでも目立たずに生きるためには、聖属性が使えないことは喜ばしいとさえ思う。
目の前で傷つく者たちを素早く治せなくても──。
「あらあら」
気にしてもいなかった背後から、おっとりとした声がして、セラータは血の気が引く思いだった。




