17 アルラス
魔族領。
死と戦慄で彩られ、不毛の大地となった永遠なる大地。凄まじい瘴気をはらむ魔力がそこかしこに漂い、人間なら一吸いするだけで失神、および死に至るほどの濃い魔力が漂っていた。ここへ来られるのは魔族か、はたまた聖女か、それとも勇者か。
この悍ましい魔力の空気を越えて進むことのできる者だけが、魔王と対峙することができる。
「来たな」
「うん、来たね」
雨も風も無い、完全なる不毛な大地にて、魔族どもが街を作り住んでいる。人間の街を模した街並み。だがそこに漂う悍ましい魔族の存在は、恐怖以外の何物でもない。
平野を歩き、街の中に入る。
魔力を解放し、いつでも戦闘のできる状態で悠々と入る私たちに、だが誰も手を出してくることは無い。四天王を斃してのけた勇者を相手に、そんな無謀なことは誰もしない。仮に全員でエルソルに襲い掛かったとしても、おそらく一分も持つかどうか怪しいほどの戦力差だ。
魔王城の門の前。
番犬すらも尻尾を巻いてふさぎ込む。
門がひとりでに開き、私たちは中へと足を踏み入れる。
王城へ入り込み、廊下を、階段を歩き、そして玉座の間へとたどり着く。
またも扉が勝手に開き、中へと入ると――。
「……ッ」
エルソルが息を呑んだ。
四天王の比ではない魔力量が、質量が、濃度が、全身を破壊するかのように襲い来る。
ただの魔力だけでもその圧倒的な存在を示す魔王。
だがエルソルは正面を見据え、その相手を睨みつけた。
「ほほう……大概の雑魚ならこれで死するのだが、お前はそうでもないようだな、エルソル」
頬杖をついて感心する瞳をエルソルに向けていた。だがそれだけ。
まだ臨戦態勢にすら入っておらず、ニヤリと笑う余裕綽々なその態度を崩すことは無かった。
「久しぶりに再会したのだ。何か感想くらい言わせてやろう」
放たれる凄まじい魔力の圧によって、逆らうことも許さないその空気を感じ取り、エルソルは食いしばって、そして言葉を口にする。
「相変わらず美しい容姿をしているな。アルラス魔王」
「ふんっ、その言葉遣いもまた健在と見えるな」
長身的で、細身的で、エルフと同等に端正の整った顔立ちと、スラリと伸ばす手足。そして均衡のとれた胸のふくらみ、まさしく女帝、まさしく女神といった風情で――。
魔王アルラスは存在した。
頭部から生えた二本の闇色の角が震える。
「貴様の命乞いする姿を想像するだけで身が震えて仕方ないぞ」
身体を包み、感覚に震える彼女を見て、だがエルソルは見惚れるわけでもなく、鋭い視線を彼女に浴びせていた。
「そう怖い顔をするなエルソル。それとも、殺された仲間に対し、強い怒りと憎しみでも思い出しているのかな? お前を逃がすために犠牲になった、憐れな仲間を――」
「それ以上口にするなアルラス」
「口にも出すさ。あんな雑魚どもを従えて、それでいて周囲の犠牲をもってしてようやく四天王や魔族どもの討伐を果たした弱者の分際で、我にそのような口をきくなゴミ」
怒りで身体を震わせるエルソルに対し、アルラスはにやりと笑って脚を組み替える。
「お前は弱い。そこのエルフの女王に助力を願うほどにまで成り下がった愚かな人間が、それでも人類を救うなどと戯言を言うお前に、私は心底失望しているところだ」
「お前なんかに期待されたくもない」
「と言うのは嘘だ。本当はお前に期待している。《世界》の調整によって強化された四天王に臆することなく斃して見せた。さらにはより強大な力を身に付け、魔族どもが一人たりともお前に近づこうともしないその実力。私はおおいに買っているのだよ」
「それがどうした。気分で人を、国を壊すようなお前たちに、何を言われようと響くわけもない」
「それは残念だ。私の美しい肢体を見ても何も思わないお前もまた、ふふっ、手に入れてめちゃくちゃにしてやりたいというのも本音だ――どうしたエルフの女王? 何をそんなに怒っている?」
「お前の好きにはさせない、それだけだ」
「……ははっ、そうか。お前もまたそいつのことを好いているのか」
「……」
「え?」
エルソルが私を見た。
驚き、本当にそうなのかと問いかける様な眼差しで。
「そんなわけないだろう」
「そんなわけがあるから、お前はそうしてエルソルと行動を共にしているのではないか? お前ほどのエンシェントエルフなら、強化する前の我を殺せるほどの強大な力を持つ実力者であることは解っている。一万年を生きるお主に、たかだか千年程度しか生きていない我の魔力で、お前を滅ぼせるわけも無かろう」
鼻で笑って、アルラスは腕を組んだ。
「とはいえ、お前と我が戦えば、《世界》がどう動くだろうな。何のメリットもない。我々の攻撃対象の中にエルフは含まれていない。なのにそうしてエルソルと行動を共にしている。《世界》に反する行動だ。デメリットでしかない」
ニヤケ顔を崩すことなく、彼女はそう言ってのける。
「応えないか。まあその答えを聞きたいわけではない。我もまたこの男に好いておるのは事実。これほどまでに強く、そして逞しく成長したこの男を、どうして異性として無視できよう。我にとってこれほどの楽しみはこれまでのどの中でも一番良い」
胸の中にくすぶる不安。
エルソルが彼女に勝てる見込みはそこまで高くない。だがこれまでの戦いの中で成長してきた彼ならば、またも奇跡を起こして彼女を打倒できるかもしれない。だが負けた時、その時私はどうするのだろうか。
「これほどまでに高ぶったのはいつ以来か。殺しても殺し足りない生ではあったが、ようやく満足できる相手がいるのだ。これほど愉快なことはないぞ」
玉座から立ち上がり、階段を一段一段下りていく。
その優雅で、優美な姿もまた、洗練尽くされた魔王の姿。
己に正直で、真っ向へ視線を向ける彼女に――正直妬けてしまう。
「我とお主、どちらが生き残るのか、面白くなりそうでワクワクする」
魔力が解放された。玉座の間の中に広がる高密度高濃度の魔力。一瞬にして結界の張られた魔王場にヒビが入り、徐々に崩れていくその膂力。
そして――。
「ッ!?」
「はっ」
消え、そしてエルソルの目の前。
突き出した拳を、エルソルは抜いたハクジツで遮った。鈍い音が響き渡り、その衝突の影響で床を、壁を殊更に破壊していく。
「よく見切ったッ」
蹴り上げてくる脚にエルソルは足裏をぶつけた。そのままの勢いに宙へと放り出され、体勢を整えている間に彼女は手を前にして。
火球を放つ。
拳大の小さなそれだが、一瞬にしてその距離を詰める速度。そしてエルソルに当たったと同時に大爆発を起こす。
玉座の間の中心にて、巨大な火炎が巻き起こっていた。そこから飛び出てくるエルソル。
服の所々を焼き焦がして、床へと着地。魔力を全開にし、ハクジツへより多くの魔力を送り込むと、黄金色へと変色する刀身。そして距離を詰めて一太刀を浴びせる。
「……舐めるのは大概にしろ、勇者」
人差し指と中指でのみ刀身を挟み込み、白羽取りを悠々とこなしていた。
「ガルムを葬ったあの魔力を。その程度で我の首を取れると思うな」
「くっ」
距離を取り、ハクジツを構えた。
別段手加減しているわけでも、舐めているわけでもない。
負荷がかかりすぎる白金色の魔力を初手から使うにはあまりにリスクが高い。
「まだ本調子でないものでね」
「どちらでもよい。お前が本気を出さないというなら、不完全燃焼で終わった我のすることはまず貴様の故郷を真っ先に破壊することだ――」
ゾンッ。
空気が、空間が、魔王城が――。
振り下ろされたエルソルの斬撃によって、刃の延長線上となるものは全て切り捨てられ、断面を残し、ズルリとずらしてしまった。当然、その先に居たアルラスもまた、綺麗な断面を経て身体が斜めに切り落とされていくのを――彼女は愉しそうに笑っていた。




