13 呪い
次の行先は、魔王場に程近い国――レガノン。
東方の国と違い、こちらは石畳で設計された道なりとなっており、歩道には街路樹、そして建物も石づくりとなっており、かなり整った街並みがあった。
遠距離武器に長けた国で、魔道具の生産量は国一番。飛び道具の中では国一つを滅ぼせるほどの威力を持つ魔道具を携えているという噂さえある。
東は刃物、北は防御、南は体力、西は遠距離武器と、それぞれが違う特色を持って戦力と戦い方を身に付けている。
だが、この国は魔王城から近い場所にあるということで、魔王との戦争では最前線と言っていいいほど激化した場所となっている。
血と煙のにおい、そして死のにおいが充満した今となっては、その街並みも見る影がない。
「ガミル……」
病院へと赴いた私たちの目の前は医療の戦場となっていた。
戦場で傷ついた兵士たち――手足を失い、血を吹き出し、内臓を飛び出させてなお生き永らえている者たちを、必死になって治療にあたる医師たちの姿があった。
魔道具の最先端を走るこの国が、医療に関する魔道具を発明していないはずもなく、だが縫合や接合といった簡易的なものは出来ても、手術が必要な怪我には対処しきれない。圧倒的に医師が足りない。
加えて一番大きな問題が一つ。
「呪いか」
「うん」
傷口に残る黒い靄、そして刻印。
聖水や回復魔法を施しても、その強力な呪いを取り除くことは能わず。
「四天王のガミルだ。奴以外にこんなひねくれた呪いをかける奴は存在しない」
呪いを何重にも重ね掛けし、施された魔力量に応じて呪いの掛けられたものはがより一層苦しむように施されている。
呪いを打ち消す容易な方法は、神聖魔法。
だが並の聖職者ではまずこれほどの呪いを打ち消すことはできない。
「呪いは想い、負の感情だ。魔力だけでない、思いが強ければ強いほど、その効果は大きく上昇する」
「シエル様、彼らを救う方法は――」
「私ならできるが、お前がやらねばならない」
「どうやって」
「呪いとは想いだ。ならお前の想いもまた薬になるということだ。お前の魔力は神聖魔法に向いている。使いこなせ」
「…………」
押し黙るエルソル。
聖職者が聖職者たる所以は、その神に仕える心底から抱く忠誠心、信仰心の賜物だ。ならば呪いもまた然り。
「失敗すれば、その呪いはお前を蝕み、呪い殺す」
「……それでもやる」
ベッドに横たわり、呻き声をあげる患者に近づいていくエルソル。常人には見えない呪いの渦を感じとって、エルソルは歩む足を一瞬だけ止めたが、それでも彼は進んだ。医師の制止を聞かず、殊更溢れ出る呪いの魔力に、エルソルは顔を顰めた。
一番近くにいる軽症の患者。
それでも四天王の魔力を存分に受けた極限の呪いだ。ほんのかすり傷ですら致命傷になるほどの威力を持っている。
彼に近づき、エルソルは患者の身体に触れた。触れた途端に、エルソルの身体に呪いの波が乗り移っていく。頭を押さえ、目を閉じ、唸る。
呪いの魔力に秘められた怨嗟の声、そして苦痛を伴う痛み、そして爆発的な負の感情に呑み込まれて自分を失っていく感覚。呪いとはそういうものだ。
「助ける。必ず……」
それでも患者の身体に触れ続け、呪いの魔力に触れていく。
呪いを解く方法は二つ。
一つは正攻法として、聖職者が呪いを払うことだ。呪いの魔力よりもなお強い信仰心、そして魔力の純度によって、それを患者の身体から捨て去り、飛び出た呪いの魔力は本人へと帰っていく。そして呪いを掛けた本人が、被対象者の苦痛をも一緒に苦しむ。
しかし、今回の相手は四天王だ。その呪いの影響を取り除けるものはこの国にはいない。世界にはいない。これほど分の悪い相手を前に、むしろ背を向けることこそが賢明な判断だ
「く、う……」
苦痛にあえぐエルソル。
患者の身体に宿った呪いの魔力がエルソルへと移動していく。
そしてもう一つがそう。呪いを引き受けることだ。
振れるだけでいい。
相手を呪い殺す呪いを、別の者が肩代わりして捧げればいいだけ。痛み分けはない。途中で呪いの引き受けを中断することはできない。生きるか死ぬか、そういう意味では呪いは凄まじく恐ろしい。
「うぐう……」
患者の呪いがエルソルへと完全に移動し、苦しんでいた彼から苦しみの表情は消えた。穏やかに息を立て、静かに眠っている。
「……ッ……ッ!」
《世界》の干渉によって殊更力を高めた四天王の呪いだ。軽症の呪いであっても、死に値する苦痛を伴う。むしろ自害した方がマシと思えるほどのそれだ。しかし、自害させないよう働きかけるのもまた呪い。死ぬまでずっと、呪いが満足すまで永久にその命は消えることなく苦しみ続ける。まさに生き地獄。
右腕で暴れ狂う呪いの苦痛に、エルソルは必死に耐え、自身の魔力をフル活用させて呪いに抗い続けた。
時間にして一分。
エルソルほどの魔力と強さをもってすれば呪いの方が先に根負けする。それでも堪えねばらないのが恐ろしい点だ。一分が、十分にも一時間にも感じられるほどの苦痛を。
「………………ふ……う」
消えていった呪いの魔力を確認して、エルソルは小さく息を吐いた。
死に物狂いで絶えた呪い。
しかし、それ以上の呪いを受けた者はまだまだいる。
人口が数十万人を超えるこの街で、呪いを受けたのはその兵士や憲兵、あわせて数千。
たった一人の、ほんの小さな呪いを身体に受けてこれなのだ。
呪いが全身に広がった者から受け取ったなら、一体どれほどの苦痛を味わうことになるだろうか、想像に難くない。
「嗚呼、解っていたよ……」
グッと魔力を操作し、受けた苦痛を和らげていく。
「ガミル……お前は四天王の中で一番最悪だ……」
と、ガミルが居る方向へと視線を向けた。
「お前の憎しみは底が見えないな」
と振り返り、次の患者へと歩み寄った。
「他の人たちも、可能ならここへ集めて欲しい。難しいならその場へ魔力を繋ぐからそこを教えてくれ」
医師に向かって強い視線を向けた。それを受けて頷き、他の医師へと伝達していく。
「僕の救いたい意思と、お前の殺したい意思――どっちが上かはっきりさせようじゃないか」
それからというもの、エルソルの救助が怒涛の如く行われた。この病院にいる呪いに冒された者を魔力で繋ぎ合わせ、呪いを一挙に引き受けた。一人の呪いですら悲鳴を上げていたエルソルが、たちまち複数の、それも全身に呪いの拡がった者さえも一気にその身へと落とし込み、呪いを引き受けていく。この場にはいない患者をも救うべく、他の病院、もしくは家、もしくは商店、もしくは、もしくは――全域へと張り巡らせた魔力を患者へとつなぎ合わせ、一刻の猶予もない様子で、全身が真っ黒に染まるほどの呪いを受け切り、呻き声すら途絶えてエルソルは呪いと戦っていた。
たった一人となった街の外、その空の上で、エルソルは脚を組んでじっと呪いと戦っていた。たった一人で、誰の助けも借りずに、正確には誰も近づくことすらできないほどの呪いの魔力によって周囲の人々に影響を与えることを危惧したエルソルが空へと身を移したのだ。街がちっぽけになるほどにまで上り詰めた場所で、エルソルはじっと、じっとして。
「地獄だな、エルソル」
「…………」
返事はない。
だが魔力の波で伝えたいことは伝わってくる。
街の心配。
前線で戦っている者への安否。
早く呪いを解消させて自分もそこへ赴きたいという強い意志が現れて仕方がない。
「お前は本当に優しい奴なのだな」
だからこそ、苦しんでいるのが見て取れるのだから心が痛む。
人のため世のため、家族のため――失う恐怖に比べたらその身が壊れることくらい造作もない、と。
魂、根源にまで達する呪いを、彼は数千分を集めて一人で身に帯びている。
ザアルから始まり、やはり《世界》の干渉はもはや彼の命にまで手を伸ばしてきている。下手を打てばそれこそ、目的を達することが出来ずにここで死んでしまう恐れもある。
「優しさも度が過ぎれば業だな」
人を傷つけることが業であるなら、自身を傷つけることもまた業である。
エルソルを見ていればよく解る。
彼の自己犠牲の域は遥かに一線を画している。他者を慮るばかりに、自身を蔑ろにしていては本末転倒だ。
「これがお前の、目指したかった勇者か?」
小さく頷くエルソル。
感謝はされど、必ずしも恩を抱いてくれるとは限らない。
一年後、半年後、果ては一週間後には彼への気持ちを忘れ、すべてが無かったことになっている可能性すらあるのだから。
「お前は本当にお人好しだな」
命が、寿命が削られていくのが解る。
肉体としての、魂としての寿命。
在るべき姿が、在るべき姿ではない姿として。
「強欲な男だ」
真っ黒だった身体が徐々にその色を損なっていき、元の身体の色へと戻っていく。
激しい苦痛の中、エルソルに掛けられた、移動した呪いがすべて消化されていっている。
もう少しすれば、彼の中の呪いはすべて消え、彼は彼として再び動き出せることができる。
その間、私はただ見守るだけしかできなかったわけだが、呪いの対処法は魔力を通して伝えていた。それにより苦痛がいくばか増したとしても、これほどの呪いを一人で対処できるほど、エルソルに力があるとは到底言えない。ましてや呪いに関することは特に、呪術師ですら完全には把握できていない代物だ。
「……疲れた――」
ふっと力が抜け、エルソルが落ちていこうとするのを抱えて止めた。
今度は私が彼を支えることになるとは思いもしなかったが。
「呪いに打ち勝った。誉なことだ。小さな呪いでさえできないことを、お前は幾千も耐え、乗り越えた。流石だよ」
「ありがとう……」
定まらない視線を私に向けて、小さく微笑む。
「お前は本当に無茶ばかりする」
「そうでもしないと何も始まらないし得られないでしょ?」
そうさらりと言ってのける彼を笑ってしまった。大した男だと、自分の命すら削って欲しいものを手に入れる度胸は認めざるを得ない。やはり勇者、肝の座り方が違う。
「早く行こう。今もみんなが戦っている」
と、私の腕から出ようとするエルソルを、私は流石に止めた。
「そんな体では無理だ。少し休め」
「無理だ。この国を、皆を助けるのにこんなところで休んでなんていられない」
「死ぬぞ」
「構わない。もう失いたくない。間違えたくない」
「……そうか、なら死ぬほどつらい目にあってもらわないとな」
「?」
魔力収納から取り出した一粒の宝石。
「普通の回復薬で回復するならそれが一番なのだが、お前のそれは呪いによる魂の疲弊、そして肉体の存在的欠如だ。お前の歪んだ存在を正すには、少々無理をしてもらう必要がある」
エルフの大地に来た時には呪いの影響が無かったところを見ると、ガミルの呪いを運よく受けずに奴を斃せたと見て良いだろう。今回に限っては、やはりエルソルの存在そのものがあやふやで、何とも中途半端になっているのが見て取れる。
「呪いによって歪んでしまったお前の全てを元に戻す施術だ。苦しいぞ?」
「もとよりそのつもりだよ」
即座に言い放つ彼に、私はクスリと笑う。
そうか、と呟き、エルソルの手に渡した。
「服用するタイミングは自分で決め――」
と言い終える前にはもう呑み込んでいた。
少しは心構えをする姿を拝んで見たかったものだが、エルソルにそんな考えは一つもないということか。
「……ッ」
胸を押さえ、大きく呼吸を繰り返す。苦しそうに全身を押さえ、声にならない悲鳴を上げて。
「お前の強靭な精神には感服するよ」
呪いの同等の苦痛を味わい、それでも乗り越えた彼を見て、ただただ感心するほかあるまい。
「ガミルを打倒しこの国を救って見せろ、勇者エルソル」
顔を上げた視線に、強い意志が宿っていた。
「勿論だ」
そして風切り音を共に宙を突き抜けるエルソル。
レガノン国と魔族領の最前線へと駆け抜ける。
黒煙が立ち上り、焼け野原となっているその場所へエルソルは降り立った。




