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宵待保育園  作者: もちむぎ


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第三章 朝まで全員生きていれば勝ち

第三章 朝まで全員生きていれば勝ち


「いつまで塞いでいればいいんだよ!」


 悠斗の手の中で、ことが何かを言おうとしている。


「んむぅ。んー」


「何を言ってるのか分からない!」


「分からなくていいんです」


 夜久園長が、ことの正面へしゃがんだ。


「ことちゃん。今日のおやつは何でしたか?」


 ことの動きが止まった。


 半分閉じていた目が、ほんの少しだけ開く。


「黒川さん、ゆっくり手を離してください」


「本当に大丈夫なんですか?」


「別のことを考えさせれば、今見えた未来から意識をそらせます」


 悠斗は警戒しながら、ことの口から手を離した。


 ことはしばらく口をもごもごさせたあと、間延びした声で答えた。


「ぷりん」


「そうですね。プリンでしたね」


「からめる、にがかったぁ」


「もう少し甘い方がよかったですか?」


「うん」


 夜久園長は小さく息を吐いた。


 久太郎も安心したように、頭の皿を撫でている。


 悠斗だけが何も分からないまま、ことの前へしゃがんでいた。


「説明してください」


「ことちゃんは、件です」


「くだん?」


「これから起こることを予言する妖です」


 悠斗は、人の顔を持つ小さな牛を見た。


 ことは未来よりも、プリンの苦いカラメルについて考えているらしい。口をへの字に曲げている。


「未来が分かるなら、便利じゃないですか。天気予報より当たりそうだし」


「大人の件であれば、疫病や飢饉、大きな災害を見ることもあります」


「この子は?」


「まだ幼いので、見えるのはごく近い未来だけです。誰かが転ぶ。玩具が壊れる。食事を床へ落とす。その程度です」


「だったら、別に言わせてもいいでしょう。転ぶ前に教えてもらえれば助かるし」


 夜久園長は、静かにことを見た。


「件は、見えた未来を最後まで言葉にすると死にます」


 悠斗は黙った。


「……どんな内容でも?」


「はい」


「誰かが転ぶって言っただけでも?」


「はい」


「給食が足りなくなるとかでも?」


「命を失います」


「釣り合ってないでしょう」


「そうですね」


 ことは何も聞いていないような顔で、自分の尻尾を追ってその場をゆっくり回っている。


「予言を止めたら、その出来事も起きないんですか?」


「いいえ。未来は変わりません。予言を聞いても聞かなくても、起きることは起きます」


「じゃあ、この子は……」


「これから起きる小さな不幸を、誰かに教えたくなるんです」


「自分が死ぬかもしれないのに?」


「まだ幼いんです。死ぬことがどういうことなのか、本当に理解しているかは分かりません」


 ことが回るのをやめた。


 また宙の一点を見つめる。


「あした――」


 悠斗は反射的に、ことの口を塞いだ。


「んむ」


「またか!」


 夜久園長が、少しだけ笑った。


「今のは早かったですね」


「笑ってる場合じゃないでしょう! 明日の誰かの失敗と、この子の命が同じ値段なんですか?」


「件とは、そういう妖です」


「だったら、何も言わせない方がいいじゃないですか」


「そのために、みんなで見守っています」


「こんな危ない子、どうして普通に預かってるんですか!」


「ことちゃんのお母さんも、夜は仕事がありますから」


「仕事と命、どっちが大事なんですか」


「どちらも大事です」


「そんな答えあります?」


「ここは、その両方を守るための保育園です」


 夜久園長は、ことの前へ木製の玩具を置いた。


 丸や三角の穴へ、同じ形の積み木を入れるものだった。


 ことはすぐに興味を移し、丸い積み木を鼻先で転がし始めた。


「もう手を離して大丈夫ですよ」


 悠斗はゆっくりと手を離した。


 ことは予言の続きを口にせず、丸い積み木を四角い穴へ押し込もうとしている。


「それじゃ入らないぞ」


「はいるぅ」


「形が違う」


「はいりたいって、いってる」


「積み木はしゃべらないだろ」


「河童もしゃべらないって言ってた」


 近くで聞いていた久太郎が言った。


「それとこれとは別だ」


「どう違うの?」


「……知らない」


 悠斗は立ち上がった。


 初日から、すでに帰りたい。


 正確には、園へ到着した瞬間から帰りたい。しかし今は、帰りたい理由が大幅に増えている。


 人の顔を持つ牛の子から目を離せば、その子が死ぬかもしれない。


 そんな話は求人票のどこにも書かれていなかった。


 そもそも求人票を見た覚えもない。


「園長先生」


「はい」


「やっぱり俺には無理です」


「そうですか」


「止めないんですか?」


「門は開いていますから、いつでも帰れますよ」


 悠斗は玄関の方を見た。


「ただし、深雪さんから伝言を預かっています」


「聞きたくないです」


「帰ってきたら、まず腎臓から売る、と」


「母親が息子の腎臓を予約するなよ!」


 そのとき、背後で水の音がした。


 振り返ると、久太郎が大きな水差しを抱えていた。


 保育室の床に、水が勢いよく広がっていく。


「何してるんだ!」


「お皿が乾いてきたから」


 久太郎は頭の皿へ水を入れようとしていたらしい。


 しかし水差しは傾きすぎており、ほとんどが床へこぼれている。


「洗面所でやれ!」


「一人で行ったら駄目って言われてる」


「だったら誰か呼べよ!」


「今、呼んだ」


「水をこぼしてから呼ぶな!」


 悠斗が雑巾を探している間に、こはくが水たまりへ足を踏み入れた。


「冷たい!」


「入るな!」


 驚いたこはくの身体が揺らぐ。


 一瞬だけ姿がぼやけ、次の瞬間、そこには悠斗が立っていた。


 灰色のスウェット。伸びた黒い髪。気だるそうな顔。


 ただし、頭には狐の耳があり、尻から二本の尻尾が生えている。


「何で俺なんだよ!」


 悠斗の姿をしたこはくが、声まで真似て叫んだ。


「何で俺なんだよ!」


「真似するな!」


「真似するな!」


「戻れ!」


「戻れ!」


 こはくは楽しそうに尻尾を振っている。


 めめが近づいてきた。


「先生が二人いる」


「こっちが本物だ」


「どっち?」


「見れば分かるだろ!」


「分かってるもん」


 そう言いながら、めめは壁へ向かって話している。


「絶対見えてないだろ!」


 悠斗が声を上げた途端、いわおがびくりと身体を震わせた。


「大きな声、怖い」


 四角い身体が横へ広がっていく。


 天井近くまで伸びた巨大な壁が、保育室を真ん中から二つに分断した。


「またか!」


「ごめんなさい」


「戻ってくれ!」


「驚いたから、しばらく無理」


「その状態で謝られても何も解決しない!」


 壁の向こうから、夜久園長の声がした。


「黒川さん。まず床の水を拭いてください」


「雑巾がどこにあるのか分かりません!」


「流し台の下です」


「流し台は壁の向こうです!」


「ああ、そうでした」


「ああ、そうでしたじゃないですよ!」


 今度は、いわおの向こう側で大河のくしゃみが聞こえた。


「……くしゅん」


 壁の上から、赤い火の粉が舞い上がる。


「火! 火が出てる!」


「大丈夫です。燃えやすいものは置いていません」


「燃えやすい俺がいるでしょう!」


 悠斗は水浸しの床へ両手をついた。


 まだ仕事が始まって一時間も経っていない。


 それなのに、すでに三回は命の危険を感じている。


「ゲームなら、最初の村で起きるイベントじゃないだろ……」


     ◇


 いわおが元の大きさへ戻るまで、十五分かかった。


 床の水を拭き終えるまで、さらに十分。


 こはくは悠斗の姿を気に入ったらしく、元へ戻るまでずっと後ろをついてきた。


 悠斗が濡れた雑巾を洗っていると、久太郎が再び水差しへ手を伸ばした。


「触るな」


「手伝う」


「お前が触ると仕事が増える」


「今度はこぼさないもん」


 久太郎は水差しを胸へ抱えた。


 ことが、ぼんやりとその姿を見つめている。


「きゅうちゃん、また――」


 悠斗は、ことの口を塞いだ。


「んむぅ」


「今、何を言おうとした?」


 ことは答えられない。


 夜久園長が悠斗を見る。


「聞いてはいけません」


「分かってますよ」


 久太郎が頬を膨らませた。


「今度は大丈夫だもん」


 水差しを持ち上げ、一歩進む。


 濡れた床に足を取られた。


「あっ」


 久太郎の身体が傾く。


 水差しが宙を舞い、中に残っていた水が悠斗の頭から降りかかった。


 保育室が静まり返った。


 悠斗は全身から水を滴らせたまま、久太郎を見る。


「……こぼさないんじゃなかったのか」


「ちょっとしか、こぼしてない」


「残ってた水を全部かぶったけど?」


「さっきより少ない」


「量の問題じゃない!」


 ことが悠斗の手首を鼻先で押した。


 もう未来から意識がそれたのだろう。夜久園長がうなずいたため、悠斗は手を離した。


 ことは倒れた水差しを見つめる。


「これぇ」


「何が?」


「さっき、見えたの」


「久太郎が、また水をこぼすところ?」


「うん」


「止めても、やっぱり起きるんだな」


「うん」


 ことは眠そうな顔のまま、丸い積み木を追いかけて歩いていった。


 悠斗は自分の濡れた前髪を握った。


 久太郎が水をこぼす。


 たったそれだけのことを最後まで教えれば、ことは死んでいた。


 それを知ったところで、水はこぼれた。


 ことの命と引き換えにするほどの未来ではない。


 そんな未来が、この先も何度も見えてしまう。


「本当に、釣り合ってないだろ……」


 悠斗のつぶやきに、誰も答えなかった。


     ◇


 午後九時。


 ようやく子どもたちがテーブルについた。


 夜久園長が軽食を用意する間、悠斗は部屋の隅にあった紙と鉛筆を勝手に借りた。


 紙の一番上へ、今夜いる子どもの名前を書く。


 久太郎。河童。水が必要。勝手に水差しを持たせない。


 めめ。百目。索敵型のはずだが、周囲が見えていない。


 大河。鬼。くしゃみによる火属性攻撃あり。刺激注意。


 こはく。子狐。変化能力あり。現在は悠斗の偽物。


 いわお。ぬりかべ。驚くと巨大化。通路封鎖。


 こと。件。未来予知。最重要。未来の話を始めたら口を塞ぐ。


「何を書いているんですか?」


 夜久園長が、悠斗の肩越しに紙を覗き込んだ。


「攻略情報です」


「保育記録と呼んでください」


「こいつらの能力と注意点が分からないと、対応できないでしょう」


「こいつら、ではなく、子どもたちです」


「内容は同じです」


 夜久園長は紙を手に取った。


「めめちゃんの『索敵型のはず』というのは?」


「目が百個もあるのに、何も見えてません」


「見えていますよ」


「さっきから壁に話しかけてます」


 夜久園長がめめを見る。


 めめは誰もいない椅子へ向かって、楽しそうに話していた。


「めめちゃん。園長先生はどこにいますか?」


「そこ」


 めめが指したのは、空になった本棚だった。


 夜久園長は黙った。


「見えてないですよね?」


「……確認しておきます」


「今まで気づいてなかったんですか?」


「本人が見えると言っていましたから」


「子どもの自己申告だけで判断しないでください!」


「初日とは思えない発言ですね」


「俺に言わせてるのは、そっちです!」


 夜久園長は紙を悠斗へ返した。


「名前を覚えたんですね」


「名前が分からないと指示できないでしょう」


「なるほど」


 園長がわずかに笑った。


 悠斗はその顔が気に入らず、紙へ視線を戻した。


「俺は、朝までこいつらが全員生きていれば、それでいいですから」


「最低限ですね」


「初日なんだから、最低限を達成できれば勝ちです」


「保育に勝ち負けはありません」


「俺にはあります」


 悠斗は、紙の一番下へ大きく書いた。


 ――勝利条件。朝まで全員生存。


「せんせぇ」


 間延びした声が聞こえた。


 悠斗は顔を上げる。


 ことが眠そうな目で、こちらを見ていた。


「あしたはぁ――」


 悠斗は椅子を蹴るように立ち上がった。


 ことはすぐ隣にいる。


 その口を片手で塞ぐ。


「んむぅ」


「何回目だ!」


 ことの尻尾が、のんびりと揺れる。


「黒川さん」


 夜久園長が声をかけた。


「今度は言われる前に動けましたね」


「この子を生存させないと、初日から負けになるでしょう!」


 悠斗は、ことの口を塞いだまま叫んだ。


 こうして黒川悠斗の初勤務は、本人の意思とは関係なく、着実に始まっていた。

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