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宵待保育園  作者: もちむぎ


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第二十一章 最後の一文字

第二十一章 最後の一文字


 次の夜。


 宵待保育園は、開かなかった。


 園庭には裏山から流れ込んだ土砂が積もり、柵は倒れ、保育室の窓も何枚か割れていた。


 建物そのものは残っている。


 しかし、子どもを預かれる状態ではなかった。


 だから、その夜だけは神社の社務所が保育園になった。


「狭い」


 きゅうが言った。


「昨日、お前ら全員ここにいたんだぞ」


「昨日は緊急だったから」


「今日は我慢しろ」


「水遊びするところもない」


「保育園でも夜中に水遊びはしてない」


「雨の日はした」


「お前が勝手にやろうとしただけだ」


 社務所の壁には、夜久園長が紙へ書いた看板が貼られている。


 仮設・宵待保育園。


 その下には、きゅうが描いたキュウリの絵があった。


「何でキュウリを描いた」


「目印」


「誰のための?」


「ぼく」


「お前は字が読めるだろ」


 きゅうは聞こえないふりをして、悠斗が持ってきたキュウリをかじった。


「一本だけだぞ」


「二本って言った!」


「一本は今。もう一本はあと」


「今、二本食べたい」


「知るか」


 めめは社務所の中を見回していた。


 赤い眼鏡をかけ、百の目で柱や天井を確かめている。


「ここは壊れない?」


「夜久園長と神社の人が確認した」


「悠斗先生は?」


「何を?」


「確認した?」


「一応、見た」


「見ても分からないでしょ」


「お前、最近遠慮がなくなったな」


「私も見たから大丈夫」


「最初からそう言え」


 大河といわおは、部屋の隅へ座布団を運んでいる。


 こはくは自分の姿のまま、小吉と並んで折り紙をしていた。


 誰も昨日のことを忘れてはいない。


 大きな音がすれば、小吉の肩が跳ねる。


 外で枝が折れると、いわおの体が固くなる。


 大河は何度も窓の外を見る。


 それでも、全員来た。


 親たちも、また仕事へ向かった。


 河童の親は川を見る。


 百目の親は夜の街を見張る。


 鬼の親は崩れた道を直す。


 狐の親は人に紛れて働く。


 ぬりかべの親は、危険な場所を守る。


 小吉の母親も、昨夜できなかった仕事へ向かった。


 夜の保育園が壊れても、夜の仕事はなくならない。


「悠斗君」


 夜久園長が、社務所の奥から箱を運んできた。


「これをお願いします」


「何ですか」


「昨夜の報告書です」


「園長が書くんじゃなかったんですか」


「悠斗先生の方が詳しくご存じでしょう?」


「だから先生じゃ――」


 悠斗は、そこまで言って口を閉じた。


「何ですか?」


「何でもないです」


 箱を受け取る。


 中には、白い紙が大量に入っている。


「これ、全部?」


「保護者用、町の妖の管理組合用、神社用、山守用、それから園の記録用です」


「山が崩れるより面倒だな」


「書類は避難してくれませんから」


「うまいこと言ったつもりですか」


「少しだけ」


          *


 ことが登園したのは、全員が揃ってからだった。


 母親に抱かれ、眠そうな顔で社務所へ入ってくる。


「こんばんは」


 ことの母親は、部屋の中を見渡した。


「本当に、今夜も預かっていただけるんですか?」


「はい」


 夜久園長が答えた。


「この場所は、神社からお借りしています。裏山からも離れていますし、安全確認も済んでいます」


「ありがとうございます」


 母親は頭を下げた。


 ことを床へ下ろす。


「おかあさん、おしごとぉ?」


「そうよ」


「おむかえ、くるぅ?」


「必ず来るわ」


 ことは、小吉を見た。


 小吉がうなずく。


「来るよ。おかあさんは来る」


「うん」


 ことの母親は、悠斗を見た。


「昨夜の文字のことですが」


「もう言わせません」


「でも、この子は続きを言おうとするかもしれません」


「そのたびに止めます」


 悠斗は、いつものように両手を広げた。


「スライディングでも何でもします」


「床は畳ですけど」


 夜久園長が言った。


「滑りにくいな」


「膝を痛めないでくださいね」


「心配するところ、そこですか」


 ことの母親は、少しだけ笑った。


「よろしくお願いします」


「はい」


 母親が社務所を出る。


 ことは、扉が閉まるまで手を振っていた。


 それから、みんながいる部屋へ戻ってくる。


「ことちゃん」


 きゅうがキュウリを差し出した。


「食べる?」


「いらなぁい」


「おいしいよ」


「いらなぁい」


「本当に?」


「嫌がってるだろ」


 悠斗は、きゅうからキュウリを取り上げた。


「ぼくの!」


「ことへ押しつけようとした罰だ」


「一口だけ!」


「あとで返す」


「今返して!」


 きゅうが悠斗の腕へしがみつく。


 その横で、ことが口を開いた。


「る」


 小さな声だった。


 悠斗の動きが止まった。


 きゅうも、キュウリをつかんだまま止まる。


 夜久園長が振り返った。


「こと?」


 ことは、何事もなかったように悠斗を見上げている。


「今、何て言った?」


「る」


 ことはもう一度言った。


 悠斗は、きゅうの手を振りほどき、ことの前へしゃがんだ。


「待て。待て待て待て」


「るぅ」


「もう言わなくていい!」


「もういったよぉ」


「そうだけど!」


 悠斗は、ことの肩へ手を置いた。


「大丈夫か?」


「だいじょうぶぅ」


「苦しくないか?」


「くるしくない」


「どこか痛くないか?」


「いたくない」


「眠くないか?」


「ちょっとぉ」


「寝るな!」


 悠斗が叫ぶと、ことの目が丸くなった。


「悠斗君」


 夜久園長が隣へしゃがむ。


「落ち着いてください」


「最後まで言ったんですよ!」


 悠斗はポケットからノートを取り出した。


 ページをめくる。


 最後に書かれた「れ」の隣へ、「る」と書く。


 まんげつのよる。


 うらやまがくずれる。


 文章が完成した。


 悠斗は、ことを見る。


 ことは生きている。


 黒い子牛の体で座り、眠そうに目を瞬いている。


「何で……」


「何でって何?」


 きゅうが尋ねる。


「予言を最後まで言ったら、死ぬんだろ」


 社務所の中が静かになった。


 園児たちが、ことを見る。


「ことちゃん、死ぬの?」


 小吉の声が震えた。


「死なない!」


 悠斗はすぐに言った。


「死なない。今、生きてる」


「これから?」


「死なないって言ってるだろ!」


 自分へ言い聞かせるような声になった。


 夜久園長が、ノートをのぞき込む。


「予言ではなかったのではありませんか?」


「文章になってます」


「文章にはなっています。でも、裏山は昨夜、すでに崩れました」


 悠斗は、ノートを見る。


「満月の夜、裏山が崩れる」


 今朝までなら、未来のことだった。


 今は違う。


「起きたことを言っただけ……?」


「おそらく」


 悠斗は、以前の出来事を思い出した。


 きゅうが水をこぼした夜。


 ことは、水がこぼれる前に言おうとした。


 悠斗が止めた。


 水がこぼれたあと、ことは同じ内容を口にした。


 何も起きなかった。


 もう起きたことを言っても、それは予言ではない。


「そうか」


 悠斗は、その場へ座り込んだ。


「終わったあとなら、言っても死なない」


「しなないよぉ」


 ことが答えた。


「お前、分かってたのか?」


「なにがぁ?」


「分かってないな」


 悠斗は大きく息を吐いた。


 全身から力が抜ける。


「よかった」


 こはくが、ことへ抱きついた。


「ことちゃん、生きてる」


「いきてるよぉ」


 小吉も近づく。


 大河といわおも、その周りへ座る。


 きゅうは悠斗からキュウリを取り返し、ことの前へ置いた。


「生きてるお祝い」


「いらなぁい」


「おいしいのに」


「まだ勧めるのか」


          *


 少しして、悠斗はことを自分の前へ座らせた。


 ノートを開き、文字を指で追う。


「こと」


「なぁに?」


「これ、一日一文字ずつ言ったんだよな」


「うん」


「山が崩れる日に、最後の文字を言うつもりだったのか?」


「うん」


「でも、一日遅れた」


 ことは首をかしげた。


「おそかったぁ?」


「遅かった」


「しっぱい?」


 悠斗は、すぐには答えなかった。


「今回は、その失敗で助かった」


「できた?」


「できてない」


「でも、たすかった?」


「ああ」


「じゃあ、できた?」


「そこが難しいんだよ」


 ことは、ますます首をかしげる。


 悠斗はノートの端へ丸を十個描いた。


「文字が十個あって、満月まで十日なら、一日一個で間に合う」


「うん」


「文字が十一個あるのに、満月まで十日しかなかったら?」


「いっぱい」


「いっぱいじゃない」


 ことは丸を数え始めた。


「いち、にぃ、さん、よん、ごぉ……いっぱい」


「途中で諦めるな」


「むずかしい」


「だから、今度から算数を勉強しような」


「さんすう?」


「残りの文字と、残りの日を数えるやつ」


「悠斗先生、おしえてくれる?」


「足し算くらいならな」


「三千万円もぉ?」


「それは忘れろ」


 社務所の入口から、深雪の声がした。


「忘れさせないわよ」


 悠斗が振り返る。


 深雪が大きな袋を持って立っていた。


「何しに来たんだよ」


「着替えを持ってきたの。それと、食事」


「三千万円の取り立てじゃないのか」


「それは逃げないでしょう」


「逃げたいんだけど」


 深雪は部屋へ入り、ことの前にしゃがんだ。


「算数を教えるの?」


「次に同じ間違いをして、早く言い終わったら危ないからな」


 深雪は、少しだけ目を細めた。


「そうね」


 悠斗はことを見る。


「今回は、たまたま一日遅れたから助かった。でも次も同じとは限らない」


「はやかったらぁ?」


「山が崩れる前に、予言が完成してた」


「こと、しぬぅ?」


 悠斗は答える前に、一度息を吸った。


「ああ。だから数える」


「いっぱいまで?」


「いっぱいの先までだ」


 ことは真剣な顔で考えた。


 やがて、小さくうなずく。


「おべんきょうする」


「よし」


「悠斗先生もぉ?」


「俺も?」


「三千万円、かぞえるぅ」


「それは数えなくていい」


「一緒に勉強しなさい」


 深雪が言った。


「母さんはどっちの味方なんだよ」


「算数の味方よ」


「何だ、それ」


 ことが笑った。


 周りにいた園児たちも笑う。


 悠斗は、完成した言葉の下へ一本の線を引いた。


 まんげつのよる うらやまがくずれる。


 予言は、一日遅れて完成した。


 だから、ことは生きている。


「明日から算数だ」


 悠斗が言うと、ことは元気よく返事をした。


「はぁい」


 その声は、社務所の外まで聞こえた。

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