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宵待保育園  作者: もちむぎ


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第二十章 お迎え

第二十章 お迎え


 最初に聞こえたのは、車の音だった。


 神社の石段の下で止まり、ドアが勢いよく開く。


 続いて、誰かが階段を駆け上がってくる音がした。


「小吉!」


 社務所の中で、小吉が顔を上げた。


「おかあさん」


 立ち上がり、扉へ向かう。


 足がもつれて一度転びかけた。


 それでも止まらなかった。


 扉が開く。


 仕事着のままの母親が、息を切らして立っていた。


「小吉!」


「おかあさん!」


 小吉が飛びついた。


 母親はその場へ膝をつき、小吉の体を強く抱きしめる。


「よかった……よかった」


 同じ言葉を、何度も繰り返す。


 小吉の体が、少しずつ重くなっていく。


 床板が鳴った。


 母親の膝が沈む。


「小吉、重くなってるぞ」


 悠斗が言うと、小吉は母親へしがみついたまま答えた。


「ふっくらしてるだけ」


「今のは明らかに重くなってる」


「いいんです」


 母親は泣きながら言った。


「今日は、どれだけ重くなっても抱いています」


「腰を痛めますよ」


「それでもいいんです」


 小吉の体から、少しずつ力が抜けていく。


 床板のきしみが止まった。


「ぼく、歩いたよ」


「うん」


「おかあさんいなかったけど、歩いた」


「うん」


「こはくちゃんが、悠斗先生になった」


「そうなの?」


「耳あったけど」


 母親が泣きながら笑った。


「それから、三歩ずつ行った」


「三歩?」


「悠斗先生が、三歩来たら、また三歩って」


「そう」


 小吉は母親の首へ顔を埋めた。


「おかあさん、来た」


「来たよ」


「ほんとに来た」


「必ず迎えに来るって言ったでしょう」


 小吉は、ようやく泣いた。


 山が崩れたときにも、暗い道を走ったときにも、炎を前にしたときにも出なかった声を上げて泣いた。


 母親は何も言わず、背中を撫で続けた。


          *


 次に来たのは、きゅうの母親だった。


 髪も服も濡れている。


 川の見回りをしていたのか、腰まである長靴には泥がついていた。


「きゅう!」


「お母さん!」


 きゅうが駆け寄る。


 母親は、きゅうの甲羅から足先まで確かめた。


「けがは?」


「ないよ」


「本当に?」


「ちょっと水を飲んだ」


「水?」


 母親の顔から血の気が引いた。


「水路へ飛び込みました」


 悠斗が言った。


「ことが流されて、きゅうが追いかけたんです」


「あなた、泳げないでしょう!」


「五秒できた!」


「四秒です」


「今日は五秒!」


「数えてる場合じゃないでしょう!」


 母親はきゅうの両肩をつかんだ。


「どうして飛び込んだの!」


「ことちゃん、流れてたから」


「だからって――」


 母親の声が止まった。


 きゅうは怒られると思ったのか、首をすくめる。


「ごめんなさい」


 母親は何も言わず、きゅうを抱きしめた。


「お母さん?」


「怖かったでしょう」


「ちょっとだけ」


「そう」


「でも、河童だから」


「泳げなくても?」


「今は五秒できる」


 母親は、きゅうの濡れた頭を撫でた。


「帰ったら、また練習しましょう」


「キュウリも?」


「今日は好きなだけ食べていいよ」


「百十五本!」


「それは食べすぎだ」


 悠斗が言うと、きゅうは振り返った。


「悠斗先生がいいって言った!」


「言ってない。百十五連勝とは言ったけど、キュウリは二本だ」


「けち!」


「命が助かった直後でも、それは変わらないんだな」


          *


 めめの両親は、そろって迎えに来た。


 二人とも黒い制服を着ている。


 夜の街で警備の仕事をしていたのだろう。


 扉が開いた瞬間、二人の体にある無数の目が一斉にめめを見た。


「めめ!」


「お母さん。お父さん」


 めめは駆け寄らず、その場に立っていた。


「けがはない?」


「ないよ」


「眼鏡は?」


「ある」


 めめは赤い眼鏡を押し上げた。


「外さなかった」


「そう」


「道がなくなってるのも見つけた」


「道が?」


「暗くて、悠斗先生には見えなかった。でも、私は見えた」


 父親がしゃがみ、めめと目の高さを合わせた。


「怖くなかった?」


「怖かった」


 めめは答えた。


「でも、見えたから言った」


「そうか」


「全部は見えなかったよ」


 父親の百の目が、少し細くなる。


「でも、見えたところは全部言った」


「それでいい」


「全部見えなくても?」


「見えたものを教えてくれた。それで、みんなが助かったんでしょう?」


 めめは悠斗を見た。


 悠斗がうなずく。


「ああ。めめが道を見つけた」


 めめは、少しだけ胸を張った。


 母親が眼鏡の位置を直す。


「大切に使えたね」


「悠斗先生が拭いてくれた」


「毎晩、指紋だらけにするからな」


「悠斗先生の顔、ちょっと丸い」


「今それを報告する必要あるか?」


 父親と母親の全身の目が、一斉に悠斗へ向いた。


「見るな。百個ずつで確認するな」


          *


 大河の父親は、工事用のヘルメットをかぶったまま来た。


 鬼らしい大きな体で社務所へ入り、大河の前へ立つ。


「無事か」


「うん」


 大河の声は小さかった。


 父親の眉が動く。


「聞こえん」


 大河が肩を縮めた。


 悠斗は口を挟もうとした。


 しかし、その前に大河が顔を上げた。


「無事!」


 社務所の中へ、大きな声が響いた。


 全員が大河を見る。


 大河はすぐに顔を赤くした。


「聞こえた」


 父親が言った。


「俺、叫んだ」


「何を?」


「右から行って。左は穴って」


「そうか」


「危ないって、いわおにも言った」


「そうか」


 父親は、大きな手を大河の頭へ置いた。


「鬼らしい声が出たな」


 大河の表情が固くなる。


 悠斗は父親を見た。


 父親は少し迷ってから、言い直した。


「必要なときに、声を出せたんだな」


 大河がうなずいた。


「ずっと大きくなくてもいい?」


「ああ」


「今は小さくても?」


「今は聞こえている」


 大河は、ほっとしたように父親へ抱きついた。


          *


 こはくの母親が来たとき、こはくはまだ悠斗の姿をしていた。


 耳と尻尾だけが、こはくのままだ。


 母親は扉の前で足を止めた。


「悠斗先生?」


「お母さん!」


 悠斗の姿をしたこはくが駆け寄る。


「こはく?」


「そうだよ」


「ずいぶん上手になったわね」


「小吉君とことちゃんを連れて逃げたの」


「その姿で?」


「悠斗先生が二人いたら安心すると思って」


 母親は笑った。


「耳と尻尾は残ってるけど」


「そこは見ないで」


「残っていてよかったわ」


「何で?」


「耳と尻尾がなかったら、お母さん、どっちがこはくか分からなかったもの」


 こはくは、自分の耳へ触れた。


「失敗じゃない?」


「今日は目印ね」


 こはくの姿が、ゆっくり元へ戻っていく。


 最後に悠斗の黒い髪が消え、いつものこはくになった。


「疲れた」


「頑張ったね」


 母親はこはくを抱き上げた。


「悠斗先生」


 こはくが母親の肩越しに呼んだ。


「何だ」


「今度は耳も尻尾もない悠斗先生になるから」


「ならなくていい」


「何で?」


「自分の姿で来い」


 こはくは少し考えた。


「それもできるよ」


「知ってる」


          *


 いわおの父親は、石と土にまみれた作業着で現れた。


 結界の補修中に連絡を受け、そのまま来たらしい。


 いわおの姿を見つけると、大股で近づいた。


「どこで固まった?」


 最初の言葉がそれだった。


「鳥居の前」


「道を塞いだのか?」


「塞いでない」


 いわおは自分の両手を握った。


「道の端に行った」


「端?」


「みんなが通れるところ、残した」


 父親はいわおの腕を見る。


 枝と石が当たった場所には、赤い跡が残っている。


「自分で場所を決めたのか?」


「うん」


「怖くなかったか?」


「怖かった」


「それでも?」


「壁になった」


 父親は、いわおの腕へ触れた。


「立派な壁だったんだな」


 いわおの目に、涙が浮かんだ。


「邪魔じゃなかった?」


「誰がそんなことを言った」


「前に、みんな通れなかったから」


「今日は、みんなを通したんだろう?」


 いわおは泣きながらうなずいた。


 父親は、その大きな体を抱きしめた。


          *


 最後に来たのは、ことの母親だった。


 黒い牛の体で石段を上がり、社務所の前で人の姿へ変わる。


 扉を開けるなり、ことの名前を呼んだ。


「こと!」


「おかあさぁん」


 深雪の隣に座っていたことが立ち上がる。


 母親は床へ膝をつき、ことを抱きしめた。


 角に触れる。


 顔を見る。


 胸へ耳を当てる。


 生きていることを一つずつ確かめるようだった。


「何か言った?」


 母親が尋ねた。


「いったよぉ」


「最後まで?」


 声が震えていた。


「ひとつずつぅ」


「今日も一文字だけ?」


「うん」


「何て言ったの?」


「れ」


 母親は、ことの体をさらに強く抱いた。


「そう」


「おかあさん、いたい」


「ごめんね」


 それでも、しばらく腕を緩めなかった。


 悠斗はポケットからノートを取り出した。


「文字は、ここまで繋がりました」


 母親へ見せる。


「満月の夜、裏山が崩れ。最後までは言ってません」


「でも、あなたには分かったのね」


「満月が出てましたから」


「そう」


「ことが一文字ずつ教えてくれたから、逃げられました」


 母親はノートを見つめた。


「この子が考えたんです。全部言えば死ぬ。でも、一文字だけなら意味のある予言にはならないから」


「頭いいですね」


「そうね」


 母親は、ことの頭を撫でた。


「少し、数えるのが苦手だけど」


「かぞえられるよぉ」


「本当に?」


「いっぱい」


「それは数えてないわ」


 ことは不満そうに頬を膨らませた。


 悠斗は、ノートに並んだ文字を見た。


 最後の一文字は、まだない。


「続きは言わなくていいからな」


 ことが悠斗を見る。


「どうしてぇ?」


「もう山は崩れた。みんな助かった。だから、続きは必要ない」


「でもぇ」


 ことは何か言いたそうにした。


 母親が、その口元へそっと指を当てる。


「今日は、もうおしまい」


「はぁい」


          *


 空が白み始めていた。


 親子が一組ずつ、社務所を出ていく。


 小吉は母親に抱かれたまま、悠斗へ手を振った。


 きゅうは「キュウリ二本、忘れないで」と三回言った。


 めめは赤い眼鏡を押し上げ、石段の先を両親へ教えながら下りていった。


 大河は、小さな声で「また明日」と言った。


 こはくは自分の姿で母親と手をつないだ。


 いわおは父親に赤い跡を見せながら、何度も「道は塞がなかった」と話していた。


 ことは母親の腕の中で眠っている。


 最後の親子が見えなくなるまで、悠斗は石段の上に立っていた。


「全員、帰りましたね」


 夜久園長が隣へ立つ。


「はい」


「安心しましたか?」


「疲れました」


「それは、安心したということです」


「勝手に決めないでください」


 石段の下では、親子たちの声がまだ聞こえている。


 泣く声。


 笑う声。


 今日あったことを、何度も話す子どもたちの声。


 悠斗は、空になった社務所を振り返った。


 少し前まで、ここに全員いた。


 一人ずつ名前を呼び、全員いることを確かめた。


 今度は、一人ずつ親へ返した。


「終わったな」


 悠斗が言う。


「いいえ」


 夜久園長が答えた。


「何でですか」


「保育園を直さなければなりません」


「現実に戻すの、早すぎません?」


「それに、保護者への報告書も必要です」


「園長が書いてください」


「悠斗先生の方が、詳しくご存じでしょう?」


「先生じゃないです」


「そうでしたか?」


 悠斗は反論しようとした。


 しかし、その言葉は飲み込んだ。


 石段の下から、きゅうの声が聞こえる。


「悠斗先生! キュウリ二本!」


「分かってるよ!」


 悠斗が叫ぶと、遠くから笑い声が返ってきた。


 朝日が、濡れた石段を照らし始めていた。

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